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鈴木眼鏡作業日記♯7
「一刻も早く首を吊って死ね」と自分に対して毎日思う。
普通の人間みたいに働けるわけでもなければ、特別なスキルがあるわけでもない。いまよりもっと若いころは自分のことを天才かもしれないと信じていた。でも、全然天才じゃなかった。凡人ならまだよかった。むしろ凡人よりさらに下だった。人間に上下があると考えている時点で最低だ。実際、こういう種類のネガティブなナルシシズムでしか自分を保つことができないのは
鈴木眼鏡とかいうアマチュアとして新人文学賞に応募し続けることの苦々しさと甘ったるさ
「鈴木眼鏡」というペンネームを持つアマチュアとして、新人文学賞に自分の書いたものを送り始めてからもう一年以上になる。
一番最初に群像に『日本語は絶滅しました』を応募したときには二十七歳だった。次に新潮に『新世紀探偵』を応募したときには二十八歳だった。そして、いま再び群像に応募した『東京の鱒釣り』の結果を待っている私は二十九歳になっている。もし、このままずっと新人賞にトライし続けることになるの
東京論(のようなもの)
Tokyo? 東京? とうきょう? トウキョウ?
メガシティ・東京ではいつでもみんな急いでいる。いつ何時でもラッシュが続く。どの町のどの電車に乗ってもひとびとがどこかからどこかへ移動している。世界一人口密度の高い東京にはもちろん夥しい数の人間がいる。ときどきいまここにいる全てのひとびとが各々の人生を営んでいるのだと思うと、情報量の洪水に押し流されてしまいそうになるときがある。
東京は不特
鈴木眼鏡作業日記#6(2023/09/03)
8月34日(日)みたいな一日だった。
三回忌でお寺に行った。親戚一同でカニを食べた。それから恋人と海に行った。マジックアワーの光のもとでサーファーたちが今日最後の波に乗っていた。地元の学生が遠くから私たちを撮ってくれていて、写真をAirDropで送ってもらった。「オアシス」という海辺の喫茶店で、『東京の鱒釣り』のリサーチとして藤本和子『リチャード・ブローティガン』を拾い読みした(必要な頁に付
鈴木眼鏡作業日記#5(2023/08/31)
NewJeansにはまって一週間くらいずっと聴いていた。
恋人と近所の花火大会に行った。
東京と京都から友人が来て季節外れのクリスマス・パーティーを三日三晩続けた。
四年振りに東京へ行って一泊二日のオデュッセイアをした。
LIQUIDROOMでCorneliusと坂本慎太郎のライブを観た。
毎晩、仕事から帰ってきてからAmazon Prime Videoで『ドキュメンタル』を
鈴木眼鏡作業日記#4(2023/08/25)
ひさびさに日記を再開しようとしたら前回から4ヶ月も経っていてびっくりする。相変わらずものごとを継続するということができない。それでも4ヶ月ぶりに日記を書こうと思っただけでも進歩かもしれない。退化しているのかもしれない。
『殺しのライセンス』というnoteで発表する予定の短篇小説と『東京の鱒釣り』という来月の文學界新人賞に応募する予定の中篇小説を同時並行で書いている。とりあえずの予定としては、
鈴木眼鏡作業日記#3(2023/04/10)
働く。
仕事中、あまりにも暇すぎるので、労働時間の半分くらいはネットニュースを見ている。国内、国際、経済、エンタメ、スポーツ、IT、科学、ライフ、地域……。全てのトピックに目を通しても、まだ時間が余ってしまうくらい暇をもてあましている。
「やることがないならやることを見つけてでも仕事しろ」みたいなことを言う人間は、資本家に定額働かせホーダイで搾取されてるだけの馬鹿だと思う。どうぞそのまま
鈴木眼鏡作業日記#2(2023/04/09)
働く。仕事がある日については一日の三分の一が労働で消えていくので、特におもしろいことはない。決まりきったルーティンを繰り返すだけ。ただ時間と引き換えに賃金を発生させているだけ。自分の人生と何の関係もない、切り離された時間。ただただ、無駄な時間。
「学者や芸術家は世間知らずだから困る」とか言っている人の「世間」って、たいてい会社と取引先と、後は家庭くらいだったりするので、くだらない。その程度の
鈴木眼鏡作業日記#1(2023/04/08)
つい昨日、人生で初めて応募した『日本語は絶滅しました』が群像新人文学賞に落選したことがわかったばかりで、一瞬全てに絶望して死までよぎったものの、すぐにあっけらかんと持ち直してしまう。私には意外とそういうところがある。しかし、第一次予選も通らないとはびっくりした。講談社が雇った下読みのアルバイトが全部悪いと思うことにする。センスなさすぎ。
打って変わって、今日は朝から恋人と出かけた。先週ひどい
文章を書くことについての覚書(あるいはマヨネーズ)
文章を書く。
それは誰の(あるいは何の)ためなのだろう。
もちろん第一には自分のためだ。村上春樹が『風の歌を聴け』の中でおよそ半世紀前に書いたように、それは「自己療養へのささやかなこころみ」だからだ。そして、半世紀後の物書きの端くれとして、私が文章を書くということに新たな定義を追加するのであれば、「自己解放へのささやかなこころみ」という表現を使ってもさしつかえないかと思う。
村上春樹
結婚式と葬式を一ヶ月のうちに経験した話
初めての友人の結婚式と初めての身内の葬式を一ヶ月のうちに経験することになるなんて夢にも思わなかった。
結婚式と葬式は恐らく人生における儀式の中でももっとも重要な儀式の二大巨頭と言ってもいいと思う(結婚式=新しいファミリーの誕生、葬式=旧くからのファミリーの逝去)。我々は一世紀にも足らない人生の中で数多くの結婚式と葬式に参加する。
しかし――当たり前のことをあえて言わせてもらえば――自分の
仕事に行けなくなった話
仕事に行けなくなった(再び)。
正社員として働いていたときも、フリーターになってからも、私はあらかじめ運命づけられていたかのように仕事に行けなくなる。
働き始めてからしばらくは「今度こそ」と思っているのに、やがて行けなくなる日がやって来る。そして宿命づけられたかのように何回か休み続け、休むことが癖のようになって何もできなくなり、最終的には仕事を辞めなければいけなくなる。
勤務先の労働
恋人と同棲を始めました
恋人と同棲を始めて一週間が経った。
私は何しろ同棲をするのが初めてだったので、同棲に対しては数々のフィクションを通した何となくのイメージしか持っていなかった。ただ、一人暮らしをした経験だけはあったので、実家を出て生活するということがどういうことなのかはわかっているつもりだったけれど、二人で生活を営むというのがどういうことなのかはほとんど何もわかっていなかった。
結論から言うと「同棲は最高