見出し画像

東京論(のようなもの)

 Tokyo? 東京? とうきょう? トウキョウ?

 メガシティ・東京ではいつでもみんな急いでいる。いつ何時でもラッシュが続く。どの町のどの電車に乗ってもひとびとがどこかからどこかへ移動している。世界一人口密度の高い東京にはもちろん夥しい数の人間がいる。ときどきいまここにいる全てのひとびとが各々の人生を営んでいるのだと思うと、情報量の洪水に押し流されてしまいそうになるときがある。

 東京は不特定多数のひとびとが作り上げた仮想空間のようだと思う。インターネットがこれだけ普及した現在、オンライン・オフラインの区別なんてもうないのかもしれないけれど、東京にはどちらかというとオフラインというよりはオンラインという雰囲気がある。

 無国籍的な都市という形容詞がいちばん似合うのはもしかしたら東京なのかもしれない。私はニューヨークにもロンドンにもパリにもローマにもベルリンにもモスクワにも北京にもソウルにも行ったことはないけれど、その中でも何となく東京は無国籍的だという印象がある。町ごとにカラーを変えるポーカー・フェイスな都市。キッチュでサイバーパンクでハードボイルドでキュートでクールでへんてこな世界都市としての東京。

 21世紀以降各家庭にコンピュータが普及し、タブレットが普及し、スマートフォンが普及し、いつでもどこでも誰でもどんな情報でもインターネットで調べられる時代にはなったけれど、日本の文化の中心はいまだに東京にあると私は思う。日本のどの地方都市に行っても東京ほど書店やレコードショップや映画館や美術館がバラエティ豊かに揃っている町はおそらくないだろう。確かにインターネット普及以前の20世紀に比較して、我々が書店やレコードショップや映画館や美術館へ行く機会は少なくなったかもしれない。でも書店やレコードショップや映画館や美術館がそこに「ある」ということが重要なのだし、書店やレコードショップや映画館や美術館に行くひとびとが「いる」ということが重要なのだ。

 ひとびとはカフェやバーで、あるいはそれぞれの自宅で、文化について語り合い、論じ合う。各々の趣味嗜好に従って情報を交換し、共有する。ときには批評をしたりもする。そうして文化がより広がり、深まっていく。東京には意識するまでもなく自然とそういう空気というか流れがある。東京はそうして文化の渦を発生させ、日本の文化の中心になっていく。

 正直、私は東京を依怙贔屓しすぎていると思う。そのことは自覚している。もちろん数多くの素晴らしい地方都市が日本にあることはわかっている。それでもやっぱり東京圏で生活を営みたいと思ってしまうのは、私の田舎者根性ゆえだろう。


thx :)