結婚式と葬式を一ヶ月のうちに経験した話

 初めての友人の結婚式と初めての身内の葬式を一ヶ月のうちに経験することになるなんて夢にも思わなかった。

 結婚式と葬式は恐らく人生における儀式の中でももっとも重要な儀式の二大巨頭と言ってもいいと思う(結婚式=新しいファミリーの誕生、葬式=旧くからのファミリーの逝去)。我々は一世紀にも足らない人生の中で数多くの結婚式と葬式に参加する。

 しかし――当たり前のことをあえて言わせてもらえば――自分の結婚式は経験することができるが、自分の葬式を経験することはできない。

 上記の文章を書いてから私は続きを書くことがしばらくできなかった。「*」以降のこの文章は「*」以前の文章からかなり隔たった時期に書かれている。いまどのようにこの文章を書き進めていけばいいのか、非常に悩んでいるところなのだが、どうにか書いていきたいと思う。

 友人の結婚式があったのはよく晴れた日のことだった。その友人は私にとって幼馴染と言ってもいい間柄で、幼稚園時代のころからの知り合いだった。私はそのころ仕事を辞めたばかりで無職だったけれど、何とかご祝儀の算段をつけ、しっかりとスーツを着て結婚式に臨んだ。

 結婚式自体はとても華やかなものだった。コロナ禍の影響もあって参加者こそまばらだったけれど、その代わりに本当に親しい知り合いだけが集まって、友人のことを祝福していた。新郎新婦のなれそめを紹介するビデオの上映があり、ディズニーランドの元キャストによるパフォーマンスがあり(友人夫婦は二人そろって大がつくほどのディズニーファンだったのだ)、ウェディングケーキへの入刀があり、花火の打ち上げまであった。笑い声の絶えない非常に素晴らしい結婚式だったと思う。将来的に私自身は結婚式をやりたいとは考えていなかったのだけれど、「やはり結婚式をやってみてもいいかもしれない」と思ったくらいにはいい結婚式だった。

 身内が亡くなったのはその二週間後くらいのことだった。夜明けに突然電話がかかってきた。その電話は身内が亡くなったことを伝えるものだった。私はそのとき恋人といっしょにベッドで眠っていて、まだ半分夢の中にいるような気持ちで電話の向こうの声を聞いていた。私は「わかった」とだけ言って、すぐ横で眠っていた恋人を起こした。そして「身内が亡くなった」と言った。我々はそれから眠ることができずに朝を迎えた。

 身内の通夜はぼんやりと雨が降っている日に行われた。親戚一同がまず集まり、コロナ禍にも関わらず亡くなった身内の知り合いや友人がたくさん集まった。そして故人の逝去を悼んだ。恋人は通夜の間中、ずっと私のことを気にかけてくれていた。私が泣き出したときには肩を優しく抱いてくれた。

 翌日の葬式は親戚一同だけで行われた。棺桶の中にいる身内は――月並みな表現で申し訳ないけれど――何だか眠っているだけのようだった。声をかけたらいますぐ起き上がりそうだった。しかし、現実にはいくら声をかけても故人が起き上がることはなかった。親戚は全員泣いていた。私も泣いていた。出棺の前に棺桶の中に故人の思い出の品を納めることができる時間があった。私はちょうど故人の顔の横のあたりに、私自身と故人が二人で写っている写真を納めた。「さびしくないから」と私は言った。そして火葬場へ遺体は運ばれ、故人の肉体は煙になってどこへとも知れない場所へ行ってしまった。後には一人の人間だったとは信じられないほど小さな骨の破片だけが残った。親戚一同はそれを一つ一つ骨壷に納めた。親戚の小さな子どもたちはその光景を何だか不思議そうに眺めていた。

 それから半年ほどが経過したいま、私は色々な問題を含んでいるにはせよ、基本的には結婚式 - 葬式以前と同じような生活を送っている。結婚した友人は幸せそうに結婚生活を送っているようだし、身内が亡くなってしばらく体調を崩していた私の妹も、先日恋人と同棲するために東京へ引っ越した。死者は死者として、生きている人間たちはその後も人生を営んでいかなければいけないのだ。

 さいきん私は持病で体調を崩していて、なかなか思い通りには生活を送ることができないでいる。働くこともままならないし、ほとんどベッドで眠っているだけというような状態が続いている。でも、いつまでもこのままではいられないし、早く仕事にも復帰しなければいけない。亡くなった身内はよく私に「元気でがんばることがいちばんだ」と言っていた。病気のせいで私が一年間ひきこもっていたときもずっと私のことを励まし続けてくれた。

 別に「亡くなった身内の分までがんばって生きよう」などと立派なことを言うつもりはない。身内はほとんど老衰のような形で亡くなったのだし、当人自身にも死期が近いことは恐らくわかっていたのではないかと思う。

 生前に最後に会ったとき、もう身内は喋ることも何もできなくなっていた。ただ、ベッドに横たわって点滴につながれてようやく生命を維持しているような状態だった。しかし、私がやって来たことはわかったようで、私が話しかけると身内の両目から涙がこぼれた。私は身内の手をとって「大丈夫」とだけ言ったように記憶している。そしてしばらく手を握ったままでいた。大好きな大好きな温かい手。「また来るから」と別れ際に私は言ったのだったが、結局それが身内との最後の面会になったのだった。

 天国の今日のお天気はどうかな。こっちはこっちで何とかやっているよ。

thx :)