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あまりにもリアルでおさまりの悪い〈奇想〉小説集 マシュー・ベイカー『アメリカへようこそ』(田内志文訳)

マシュー・ベイカー『アメリカへようこそ』(田内志文訳)を読みました。

↓の写真でもわかるように、ファンキーでいかした面構えのマシュー・ベイカーは、Variety誌によって「注目すべきストーリーテラー10人」にも選出された、アメリカの新進気鋭の若手作家である。(訳者あとがきより)

この『アメリカへようこそ』には、13の物語が収められている。
どの作品もいわゆるリアリズム小説ではないが、〈奇想〉と括るにはあまりにもリアルであり、〈寓話〉と見做すにはあまりにもおさまりが悪い。悪夢のような現実、現実のような悪夢というのが近いだろうか。これは悪い夢にちがいないと覚醒している自分が眠っている自分に言いきかせるような感覚。

以下に一編ごとの感想を書いたので、どれかひとつでも気になる物語があれば、ぜひ手に取って読んでみてほしい。

◎売り言葉

辞書編纂者である「僕」が、妹が置いていった娘、つまり姪のエマを守るために、弟のスチュアートと甥のクリストファーと協力していじめっこのネイトと戦う物語……なのだが、脇筋であるはずの「僕」の仕事の内容につい気が惹かれてしまう一編。

「僕」は一般的な辞書編纂者のように、すでに存在している言葉の定義を書くわけではなく、「架空の定義を持つ架空の言葉」を作っている。が、この「架空の言葉」が実に巧みで、ほんまにあったらええのに!という絶妙なところをついてくる。

たとえば、「他者の苦しみに共感することにより感じる苦しみのこと。元の苦しみよりもさらに苦しい」と定義された「アザリー」という心情なんて、誰でも思い当たる節があるのではないだろうか。ほかにも、架空の生物に対する欲望を意味する「インプセクシュアル」や、「親ではなく、子供の育成に責任のある親族」を指す「ティアンズ」(複数形)といった言葉がもしほんとうに存在したならば、より自由でより多様な欲望や家族の形をあらわすことができたのではないだろうか、なんて考えてしまった。

◎儀式

ストーリーを説明したり、この物語から連想した別の作品に言及すれば、たちまちネタバレになってしまいそうなので、とにかく読んでもらうしかないが、現実の人生と同じように寂寞とした光景が描かれるなか、この一節が心に残る。

「何も起きやしない」ザックがつまらなそうに口を尖らせた。
しかしオーソン伯父さんは雲を見上げて微笑み、手漕ぎボートを見つめて微笑み、釣り竿を見て微笑んだ。
「何か起きなきゃならんってわけじゃない」オーソン伯父さんが言った。

◎変転

こちらも「儀式」と同じく、寒々とした近未来を描いていると言えるのだが、身体を無くす〝手術〟って悪くないかもと思ってしまう自分がいた。
たしかに、身体なんてただただ厄介なだけの代物かもしれない。ちょっと動いたら疲れるし、気圧のせい、いや原因なんてないのに頭が痛くなるときもあるし、眠りたいときに眠れなかったり、眠ってはいけないときに眠くなるし、歳をとると歯も目も耳もポンコツになるし、これほどままならないものがあるだろうか……

と書くと、最終的には肉体のある現実のすばらしさに目覚める話のように思えるかもしれないが、そう一筋縄でいかないところがおもしろい。

◎終身刑

過去のない男を描いた、いわゆる「奇妙な味のミステリー」とも言える一編。ウォッシュと呼ばれているのは、ブレインウォッシュからだろうか。
自分は家族を愛しているのだろうか?
愛したことがあったのだろうか?
どちらがほんとうの自分なのか?
そもそもほんとうの自分なんて存在したのだろうか?
過去を消されるというモティーフはそれほどめずらしいものではないかもしれないが、ディテールの積み重ねによって不穏さが増していく。

◎楽園の凶日

男と女の立場が入れ替わった世界を舞台とする、フェミニズム要素の強い一編。ナオミ・オルダーマンの『パワー』が好きな人にとくに勧めたい作品。

それにしても、中盤から最後のくだりに列挙されている事例は、一見ディストピア世界にふさわしい極端なもの、現実ではそうそうありえない出来事が語られているかのように思ってしまうが、よくよく読んで考えると、どれもごくありふれた、新聞の三面記事や下手したら身のまわりで起きているようなエピソードばかりであることに心底ぞっとさせられる。

◎女王陛下の告白

消費や物欲が恥ずべきもの、みっともないと蔑まれる〝健全な〟世界を描いた一編。所有物の比率(レシオ)が健全の指標となる。よって、お買い物が大好きな裕福な家(レシオが9000対1)で育った主人公は、クラスメートから馬鹿にされる日々を送っている。
こんな世の中なら、私も私の家も超健全でみんなから尊敬されるにちがいない……って好きで健全な暮らしをしてるわけちゃうわ!と言いたくなる物語。(どんな物語や)

「僕は金持ちが好きです」コーディが続けました。

清貧とかミニマリズムとかいった言葉が持つ嫌ったらしさ(私の偏見?)が伝わってきて、「私も金持ちが好きだ! というか金持ちになりたい!」と心のなかで叫んでしまった。

◎スポンサー

なにもかもスポンサーを要するようになった世界で、結婚式直前にスポンサーを失った「僕」の物語。
個人的に、結婚式って愚の骨頂ではないかと思っているので(すみません、また偏見です。世の中にはすばらしい結婚式があるのも知っています)、なんとかして「真実の愛」のために結婚式を挙げたいと願う「僕」が、スポンサーを得るために、ある意味文字どおり悪魔に魂を売るさまが、皮肉がきいていてニヤリとしてしまった。

◎幸せな大家族

家族=国家となり、国家がすべての子どもを預かって育てるようになった世界を描いている。そうなる前の世界について、登場人物のひとりがこう回想する。

まだ家族という言葉が血族を意味していたころ、まだ結婚する人々が多く存在したころ、そして子供を望む人々にまだ家庭で子育てをする時間があったころ

国家がすべての子どもを預かる、もしくは取りあげる世界は、『すばらしい新世界』のようなディストピアと思えるかもしれないが、一方で現実は、家庭で子育てをする時間や余裕がなくなった結果、子どもの数がものすごい勢いで減っている。そもそも、家族=血族という固定概念がいくつもの不幸を産んできたようにも思える。となると、小説と現実、どちらがディストピアなのか、どちらが正解なのか、なんだかわからなくなってしまった。

◎出現

ロード・アイランド州に住む「僕」は、爺ちゃんと一緒に「不要民」を捨てに行く。不要民が工場や飲食店、ガソリンスタンドといった仕事をどんどん奪っていくので、爺ちゃんをはじめとする多くの人々がクビになった。
ロード・アイランド州は不要民を違法と定めている唯一の州であり、バスで連中を強制移送しているが、爺ちゃんは自らの手で正義を執行すべく不要民を捕まえている。
このあらすじからもわかるように、難民や不法移民の問題が連想されるが、単に移民を排斥するなというスローガンを物語化したものではなく、外と内、もしくは境界、そしていったい誰が難民なのか考えさせられる。

◎魂の争奪戦

あなたは輪廻転生や生まれ変わりを信じていますか?
もし輪廻転生がほんとうにあるのならば、地球の人口は増え続けているのだから、魂が足りなくなるのではないかと疑問を抱いたことはないでしょうか?
この物語では、その疑問が現実となった世界が描かれている。

ある日を境に、からっぽの赤ちゃん、中身のない赤ちゃんが生まれてくるようになった。魂が足りなくなってしまったのだ。
大量の新生児の死体を目のあたりにした看護師のナオミは衝撃を受け、自らの子宮で育っている赤ちゃんに思いを馳せる……

この前の「出現」も同様だが、現実を風刺した寓話かと思いきや、最後でわかりやすい〝オチ〟に至らず、思いもよらぬ方向へ転がっていくところに圧倒される。

◎ツアー

この本でもっとも難物だった一編。「ザ・マスター」という名を持ち、山間の売春宿ではじめてのギグを行って以来、ギグをしながら全国をまわっている達人と、そんな達人を追いかけるカヴェの物語。
マスターがスケジュールを発表すると、ギグをめぐってチケットの争奪戦がくり広げられ、カヴェとレイチェルがチケットに当たった外れたと話すくだりは、人気アーティストと熱心なファンの関係と重ね合わせることもできる。

だから彼は仕事の合間の暇な時間が嫌いだった。地元で足止めを喰らうのが嫌いだった。この町の何かが最悪だからではない。この町があらゆる町とまったく変わらず最悪だからだ。

自称〝愛国者〟でありながら、この町にうんざりしているカヴェは、目の前の現実に風穴をあけるものとしてマスターとのギグを待ち望んでいたのだろうか。ギグによって過去から解放されると期待していたのだろうか。

簡単に理解しようとすることを拒否する物語であるが、先に書いたように、「人気アーティストと熱心なファンの関係」になぞらえてみると、身も心も陶酔させられるギグのさなかは、忘れたはずの記憶や封じこめた感情が走馬灯のように頭をめぐり、終わったあとには「底知れない安らぎ」に包まれることがたしかにある。

◎アメリカへようこそ

祖国である合衆国から独立を果たした「僕たち」は、自分たちの国をアメリカと名づけた。「僕たち」のアメリカでは、全市民を平等に扱うため、性器によって呼び方を変える習わしをやめた。メートル法を採用した。登録商標や著作権を根底からひっくり返した……個人的に、私は特許事務所で働いていて、ふだんは商標登録や(たまに)著作権登録などの手続きを処理しているので、このくだりはめちゃめちゃ爽快かつ痛快だった。こんな国に住みたい!と心底思った。

「僕たち」のなかで独立に反対した数少ない人物のひとり、ベトナム帰還兵であるサムと、DV夫を叩き出した過去を持ち、自立心と反骨心によって独立を主導したベル、それぞれの生き方とふたりの関係の変容が、このアメリカという国の在り様を象徴している。
私もベルを目指して、これからの人生の目標は「50歳で大統領になる」ことにしようかな。

◎逆回転

突然「僕」が見も知らぬ妻と離婚したと両親から告げられる冒頭を読んだときは、『ベンジャミン・バトン』のような仕組みなのかと思ったが、この本のすべての物語がそうであるように、そう単純に論理づけられる話ではなかった。
「僕」は四次元にとりつかれていて、事あるごとに四次元のイメージについて語るのだが、昭和生まれの日本人である私はドラえもんの四次元ポケットとか、机の引き出しがタイムマシンになるとかがどうしても頭に浮かんでしまった。

先の「魂の争奪戦」と同様に、目の前の世界が混沌とすればするほど、そこからの〈誕生〉によって喚起される「強烈な生の歓び」の眩しさに思わず息を呑む。

以上、どれもわかりやすい物語とは言い難いが、短編なので気負わず読むことができる。気になったものから読むもよし、順番に頭から読むもよし、好きなところから手を出せるのが短編小説集のいいところ。

訳者あとがきによると、「変転」の映像化権はAmazon Studio、「終身刑」の映像化権はNetflixがそれぞれ取得しているとのこと。どちらもどこまで(小説のオチまで? あるいはその先まで?)映像化するのか非常に興味深い。楽しみに待ちたいと思います……って、ワシNetflix加入してへんやないか!(お金要るから)

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