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子宮からの解放 三十年前のフェミニズム小説 酒見賢一『後宮小説』

少し前に1000字書評の課題本として、酒見賢一『後宮小説』を読んだ。

『後宮小説』は、1989年に日本ファンタジーノベル大賞第一回受賞作品に選ばれて大きな話題となり、のちに『雲のように風のように』という題でアニメ化もされている。
小説は読んでいなくても、アニメは見たことあるという方も多いのではないだろうか。

このときの日本ファンタジーノベル大賞の選考委員は、荒俣宏、安野光雅、井上ひさし、高橋源一郎、矢川澄子という豪華な顔ぶれで(ほんとうは手塚治虫も入っていたが、急逝したため、残りの5人で審査したらしい)、井上ひさしによる「シンデレラと三国志と金瓶梅とラストエンペラー」という評のとおり、中国をモデルにしたと思われる架空の王国でくり広げられる壮大な艶笑法螺話だ。
恩田陸がこの小説を読んで作家になることを決めたというのも、有名な逸話らしい。

そもそも後宮とは?

念のため、後宮とはなにかというと、「天子の宮中の奥深い部分の意味で、江戸の大奥、イスラム世界のハレムに類似する」(日本大百科全書(ニッポニカ)より)で、つまりは皇帝の世継ぎを生むための女たち(夫人)が待機しているところ、である(たぶん)。

言うまでもなく、後宮にしろ大奥にしろハレムにしろ、フェミニズムの視点を持つ現代の読者に受け入れてもらうためには、なんらかの仕掛けを必要とする。というか逆に、あえて後宮や大奥やハレムといったものを題材にしたからこそ、フェミニズムの視点を抱合したおもしろい物語を作りあげることができるのだろう(よしながふみの『大奥』がいい例ですが)。

では、このバブル真っ盛りの時代に書かれた『後宮小説』は、どのように描いているのかというと……という観点から、以下のように書評を書いた。

1000字書評

『後宮小説』は、田舎育ちの少女銀河が素乾城の後宮に入るところからはじまる。
銀河は後宮がどういうところかもほとんど理解していないにもかかわらず、後宮へ続くトンネルを通るとき――狭くて暗く、膣口を連想させる――自分でも理由がわからないほどに取り乱す。そして同じく宮女候補である高慢なセシャーミン、やたらと無口な江葉とともに、角先生による「女大学」の講義を受ける。

この講義で印象深いのは、真理とは何か? という問いだ。
角先生は、すべての真理は子宮から生まれてくると論じる。子宮を模した後宮に「女大学」、さらに真理は子宮に宿るといった論調は、現代のフェミニズムの視点で考えると違和感を覚える。

銀河は皇帝双槐樹の正妃に選ばれるが、すぐさま素乾城が危機に陥る。
角先生の弟子である菊凶の陰謀のもと、幻影達率いる幻軍が襲ってきたのだ。銀河は後宮軍隊を設立し、つねに冷静沈着な江葉を将軍に命じる。江葉はめざましい軍才を発揮し、意外なことにセシャーミンまでもが軍隊に志願する。
女たちが生きのびるために連帯して、敵と戦う。ここで『後宮小説』は、突如としてシスターフッド小説に変貌する。

「呆れるほど楽しそう」に戦う銀河や江葉と比べて、男たちはいとも簡単に死んでいく。菊凶はあっさり斬られ、角先生は馬車の中で息を引き取り、双槐樹すらも銀河に子を孕ませるやいなや毒杯で命を落とす。まるで昆虫のようだ。
冒頭から房事に焦点をあてていたにもかかわらず、肝心の銀河と双槐樹の交わりの場面はいともあっけなく終わる。それよりも銀河が自ら江葉に接吻をするときの方が、甘やかな官能性が感じられる。

素乾朝と素乾後宮は滅びる。『後宮小説』とは、後宮が滅びる物語であったのだ。
つまりこの小説は、女たちが子宮を模した後宮から解放される物語だとも言える。前半で生じた違和感がここで解消される。

後日談として記されている、銀河が初期の女権論者であるリヒトシトリ侯爵夫人であるという説からも、フェミニズムを意識していることがわかる。
後宮を滅ぼす糸を引いた菊凶が、真理は子宮に宿るという後宮哲学を唱えた角先生の愛弟子であることも象徴的だ。

後宮に入るときにあれだけ脅えた銀河が、後宮を出てから各地を飛び回って伝説を作る。たしかに真理は子宮に宿るのかもしれないが、子宮から解放されるときに真理が目覚めるのではないだろうか。

書評の補足 『後宮小説』の語り口について

書評を書いたあとで気づいたけれど、「子宮からの解放」というテーマ、というか結論になってしまったのは、松浦理英子『優しい去勢のために』で書かれていた「性器からの解放」が念頭にあったのかもしれない。

しかし上のような評を読むと、『後宮小説』は、最近多いフェミニズム小説の先駆けだったのかという印象を抱くかもしれないが、『後宮小説』の大きな魅力は、どこまで嘘か誠かわからない法螺話を大仰に語る、人を喰った語り口のおもしろさである。この物語の冒頭を引用すると――

腹上死であった、と記載されている。
腹英三十四年、現代の暦で見れば一六〇七年のことである。

歴史書というものは当時の人間が書くものではなく、後代の人間が書くものである。更に言えば次の王朝の士官が書くのが通例である。よって、この歴史書の筆者は王の腹上死を実際に目撃したわけではないし、直接に調査し得たわけでもない。

と、語り手が歴史書を参照しながら語るスタイルになっていて、谷崎潤一郎『春琴抄』を引きあいに出した書評を書いた人もいた。でっちあげの歴史書という点では、たしかに似ている。

だが奇妙な愛憎劇を描いた『春琴抄』とはちがい、擬史という技法をふんだんに活かして荒唐無稽な架空の国を作り上げて、最後に爽快にぶっ壊し、後日談やあとがきすらも読者を翻弄させる文体を徹底した『後宮小説』には、高橋源一郎が「重力の軛を逃れて浮遊している」「軽さ」と評しているとおり、不思議な軽やかさがある。

そこが三十年経ったいまでも楽しく読める秘訣でもあり、たしかに新人のデビュー作としては破格のものであっただろうと、今回はじめて読んでつくづく感じた。
(2023/02/20 2021/05/05付 はてなブログ記事を加筆修正)

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