ぴょん吉

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Nonfiction to fiction https://twitter.com/mfWNpKziF6vFzQH フィルム、写真、音楽、本

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自己紹介

僕は都内のアパートの一室でこれを書いています。外ではインドカレー屋さんがテイクアウト用のカレーライスを販売していて窓を開ければいつでもインドが楽しめます。 世間では人と会うことを制限され、大学の授業もすべてがオンラインとなりパソコンさえあればどこでも授業にアクセスできるようになりました。しかしその代償として、アパートから出る必要もなくなりスマホに内蔵された万歩計は驚異の70歩を記しています。そんなこんなで私はこのワンルームで「自己紹介」を書いています。 元から家にいるのは

    • 独り言

      私はよく独り言を呟いてしまいます。 家の中でも、誰かといるときでも、基本的にどんなときでも独り言が発生する可能性はあります。誰かの前ではなるべく独り言を言わないように気を付けていて、口を手で防御したり、独り言が出てしまったときもなるべく小さな声で済ませるようにしたりしています。それでもどうしても口をついて出てしまいます。逆に、一人の空間になった瞬間にその防御は剥がれ落ち、いくらでも一人で会話をしています。自分の部屋が好きなのはそういうところがあるからかもしれません。 この

      • 団地と公園

        家の近くには閑静な住宅街が広がっている。駅から太陽を背に少し歩いたところでは学校のチャイムの音が鳴り響き、サラリーマンが憂鬱そうな顔で向かうべきところに向かう。私服の大学生が友達と笑顔で話しながら片耳にイヤホンをさして道に広がって歩いている。 そんな朝方に賑わう狭い歩道を少し行くと閑静な住宅街の一部として団地どっしりと構えている。僕がこの辺りを訪れたのは、憂鬱そうなサラリーマンも、楽しげでどこか物足りなさそうな大学生もいない土曜日の昼前だった。その代わりに満面の笑みであたり

        • 十九、二十(原田宗典)

          私がいままで読んだ本の中でランキングをつけたとすると、この本はかなり上位に食い込んでくるに違いない。 この「十九、二十」という本は読んでいる読者をくぎ付けにし、裏切ったり衝撃的な展開や、一生忘れることのできないような運命的な出会いや心を引き裂かれるような涙を流すような悲しみを物語ったものではない。だが、ここには確実に心を動かす何かが描かれている。もしかしたら劇的な展開を好む人には向いているとは言えないだろう。例えるなら水溜りが揺れるような、タンポポの綿毛が風に吹かれるような

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        自己紹介

          これがニーチェだ(永井均)

          Twitterで部分的に紹介されていたある疑問とニーチェの答えによってこの本を買いたいと思った。紹介されていたのは一節だけだったが、 その疑問に「なぜ人を殺してはいけないのか」という、質問を抱いた人の人間性にすら疑問を抱いてしまうような疑問があった。 この質問をされたら多くの人は困り、少し考えてから「だってあなたも殺されたくないし、愛する人も殺されたくはないでしょう」と答えるそうだ。 確かに私もそう思う。たぶん想像力の乏しい子供でさえこの理論は理解ができる。しかし、これ

          これがニーチェだ(永井均)

          歌詞の意味

          歌詞の意味というものはほとんどアーティストの口から説明されることは無い。あるとしたら、ライブのMCや雑誌の取材の表向きの意味か、ラジオ、情熱大陸でぽろっと口元からこぼれるくらいものだろう。つまり、ほとんどの曲の意味はアーティストのみが知るもので、私たちの知るところではない。 肝心のアーティストでさえ、その歌が持つ意味について深く濃い部分までは理解していないはずだ。なぜならば曲の意味は作った側ではなく、聞いた私達が初めて受け止めるものだからである。究極を突き詰めれば、アーティ

          歌詞の意味

          原作が映像化された映画を週末に見に行った。 一緒に行った人は前から気になっていた人で、すれ違っても会釈をするくらいの関係だったのが、一冊の本をきっかけに映画を見ようということになった。 彼は集合時間には私よりも早く着き、映画は前もって予約してくれている。 本より映画を好む人で本が映画化されるとどちらの方が良かったと決めたがる人だ。 映画を見終わって私たちは井の頭公園を一周し、カップルが漕ぐアヒルボートを眺めて、ベンチに腰掛けた。 取り留めのない会話ばかりをして、時間

          無風地帯

          ぽっかりと空いた心の穴に風でも吹かせたいくらいに、しばらく心が揺れていない。 満たされるわけでもなく、心の穴がそっと埋められることもなく、触れられても来なかった。 そんな当たり障りのない生活にアルコールの匂いに寄せられて金曜の風が吹く。

          エイリアンは黙らない(チョーヒカル)

          日本で生まれ、中国人の親を持ち、アメリカに滞在しているアーティストのチョーヒカルさんによるエッセイ。な自分のことがエイリアンのように思えることが多々あったため、「エイリアン」そして本文を読めば分かるが、主張し続けるという姿勢から「エイリアンは黙らない」というタイトルなんだと思う。強い意志を感じて、とても気持ちがいい本だった。 テレビでも紹介されたことのある「バナナなはずが、きゅうりにしか見えない」作品だったり、「ピザに見えるが、切ってみたらかぼちゃ」だったりというチョーヒカ

          エイリアンは黙らない(チョーヒカル)

          土足厳禁

          人の心をしっかりと考えて、心もしっかりと読んでいる。 賢い人は大体そうだ。 相手のことをしっかりと考えているからこそ、余計な発言を慎み、相手を傷つけるような発言をしない。 正直言って、たまにもう少し踏み込んでもいいのになと思うくらいだ。 だけど、相手の心に土足で入り込まないような人は 同様に自分にも土足で入り込んでほしくない部分のある人だ。

          土足厳禁

          愛するということ(エーリッヒフロム)

          エーリッヒフロム著の「愛するということ」を読んだ。1956年に出版されたこの本は各国でベストセラーとなり、何度も翻訳しなおされ、最近になって新装版が発売されたことでさらに話題になっている。 私は前々からこの本の存在は知っていてはいたけれど、なかなか本屋さんになかったため、手に入らなかった。 新装版のデザインはシンプルでパッと目に入りやすい。 この本は広い意味での「愛」に言及しており、誰もがすぐに思いつく好きな人を愛する「愛」だけでなく、①家族への愛②自分への愛③友への愛

          愛するということ(エーリッヒフロム)

          いつもと同じ一週間と二つとない週末

          毎日同じような日々を過ごしている。 いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じ朝食を食べる。 いつもと違うのは淹れる珈琲の銘柄とお湯の温度。 いつもと同じ時間にいつもと同じ格好で玄関を出る。 いつもと同じ道を歩いていつもと同じ時間の電車に乗る。 いつも同じ会社に出勤し、いつも同じ人と働く。 いつもと同じ時間に いつも違う「日替わり定食」を食べて、 またいつもと同じ時間に働く。 いつも違う会話をして、たまに前に話したような言葉を交わす。 いつもと同じ時間にいつもの帰

          いつもと同じ一週間と二つとない週末

          世紀の大怪盗

          写真を撮ることは「盗む」ことだと思ってます。 写真を撮る時、それはもうすでに建っている建物のデザインや建っていなくても、建設中であったり、自然によって長い年月をかけてできた雄大な風景であったりと、撮るものはそれぞれですが、当然ですが、どれも私が創ったものではないです。 写真を表に出すときは、あたかも自分の才能のようだと言うような顔をしていますが、実際はもうすでにこの世に存在しているものをカメラに収めることが写真を撮るということだと思っています。だからこそ被写体となったもの

          世紀の大怪盗

          梅雨戦線

          ほんとに梅雨嫌いとか言ってると、異常気象かなんかでほんとに梅雨無くなっちゃうかもよ?あの2週間の水浴びをもっと楽しもうよ

          自己肯定感

          自己肯定感の低さ。私が友達から聞いた話で、 その道のプロはみんな自己肯定感が高いか?答えはNOである。 なぜなら今の自分をを不満に思うからこそ それを満たすために努力するのだ 努力の過程でひとたび自分を肯定し、 自分で満足してしまったらそれ以上の成長はない。 このままで良いと思ってしまったらそれはもはや妥協である。

          自己肯定感

          恥と同情

          ある日、会社の食堂で足の不自由な人がコップに水を注ごうとしてた。おれも水が欲しかったからそばに立ってたんだけど、なかなか時間がかかりそうだったので、「水入れましょうか?」とか言って手伝おうとしたけど、やめた。なぜか分からないけど、断られる気がした。 最近哲学の本で、「同情」とは相手の価値基準を無視して、自分の価値基準を押し付けることだと書いてあった。要は、おれが手伝おうと思った訳は、「足が不自由そうで大変そうだから」という勝手な思い込みかもしれないということだ。なんて恐ろし

          恥と同情