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恥と同情

ある日、会社の食堂で足の不自由な人がコップに水を注ごうとしてた。おれも水が欲しかったからそばに立ってたんだけど、なかなか時間がかかりそうだったので、「水入れましょうか?」とか言って手伝おうとしたけど、やめた。なぜか分からないけど、断られる気がした。

最近哲学の本で、「同情」とは相手の価値基準を無視して、自分の価値基準を押し付けることだと書いてあった。要は、おれが手伝おうと思った訳は、「足が不自由そうで大変そうだから」という勝手な思い込みかもしれないということだ。なんて恐ろしい考えだろうかと思った。足が不自由な人からしたら水を入れるという行為には苦労してないかもしれないのに、おれは勝手に苦労してると思い込んでるということで、それが価値基準の押し付けで、同情において危険なことであるらしい。

むしろ、本当に言いたいのはここからで、「同情された」と相手が思ってしまったらそれこそ最悪なことでその人の誇りを傷つける可能性もあるということ。苦悩を理解した気になって、相手の心に土足で入り込み、荒らして帰るようなもの。恥をかいたならなおさら最悪。それは道徳的な行動とは言えないと哲学の本には書いてありました。

「これがニーチェだ」著・永井均

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