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スペシャリストとジェネラリスト

 平壌国際空港の入国ゲートをくぐると、厳密にいうとその前からちらちらと案内員の顔は見えている。訪朝団として3回訪朝しているが、案内員の顔ぶれは変わらない。「ああ、今回の担当はAさんか」とわかる。そして次の瞬間、だいたいその訪朝がどんな感じで展開していくかが読める。

 つまり顔なじみというわけだ。だから訪朝団は半ば同窓会のような暖かい雰囲気を醸し出す。

 たまに現地で日本人の複数の訪朝団がまとまって見学をすることがある。別の団体を引率する初見の案内員に挨拶したら、「北岡さんですね」と言われた。「何で知ってるの?」と聞くと「色々朝鮮新報で書いてるでしょう。あなたは有名人ですよ」と言われた。情報は共有されているわけだ。

 ところで数週間後には新しい内閣が生まれるわけだが、調べて見たら拉致担当の大臣は既に19人を数える。2006年の塩崎恭久氏に始まり現在は菅官房長官が担当しているから20人目の大臣が生まれるわけだ。14年で20人。この数は多すぎないか。

 政権交代が間に一回ある。大臣が変わろうとも、政権が変わらなければ姿勢は一致しているではないかという向きもあるが、余りにも替わり過ぎてはいないか。拉致担当の大臣だけではない。総理大臣までもが安倍内閣以前は、1年単位でころころと変わっていた。

 北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国は変わらない。例えば宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使。彼は2006年以来現職にある。それ以前からずっと、90年代から彼は日朝交渉の席にいる。北朝鮮外交の強みがこれである。表舞台から姿を消す人物もいるが、少数の人間が長く窓口を務めることが多く、経験を積みタフ・ネゴシエーターとして鎮座する。北朝鮮外交のしたたかさのひとつの理由がここにある。

 族議員ということばがある。ひとつの省庁と特定の政治家の関係が密接過ぎるが故に、権力が肥大化し汚職と腐敗を生むことになる。それは政権にも言え、安倍政権へのひとつの強烈な批判となり得るのだが、外交と拉致問題に関して言うなら、交渉役をころころと変えることには疑問を覚える。

 その意味でアントニオ猪木氏の政界引退は近年まれに見る痛いニュースだった。ぼくも直接何度かお目にかかったことがあるが、あれほどの北朝鮮通、長く関わった国会議員は今やほとんどいない。そしてそれを継ぐ人物がいない。闘魂が継承されないのだ。

 北朝鮮をよく知るネゴシエーターの不在、猫の目のように変わる担当者。さて次の内閣はどうだろう。1年後の衆議院選挙をにらみ短期政権となり、また1年後の選挙のあとに担当大臣が変わるのであれば、また交渉、問題の解決は遠のく。

 つまり、日朝交渉に必要なのはジェネラリストではない。ジェネラリストの視点で北朝鮮を見極める必要はある。だが、ジェネラリストしかいない、スペシャリストの不在の現状は危機的ともいえる。そして残念なことに、世間一般の組織と同じくスペシャリストは簡単に育たないのだ。

■ 北のHow to その76
 古くは金丸信氏と田辺誠氏。いずれも故人になってしまいました。かつては北朝鮮のスペシャリストはいたのです。アントニオ猪木氏は最後の存在だったでしょうか。スペシャリストの不在は、今後の日朝関係の空白化を加速化させることでしょう。

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