見出し画像

東京五輪は終わった

 しばらく体調を崩していた。今も少し不安定な状態が続く。東京五輪の開催は未だ不明だが、北朝鮮がいち早く不参加を表明した。防疫の見地から当然だが、ぼくはこの決定に東京五輪に残っていた、一縷の意義を諦めざるを得なかった。

 平昌五輪において南北合同チームが活躍し金与正氏、金永南氏らをはじめとする北の高官が南を訪れ、芸術公演など交流が行われたことを記憶している方も多いだろう。五輪を契機に両国の関係は確かに動いた。五輪には外交の顔がある。残念ながら一瞬の雪解けムードはその後逆行したが、金与正氏のパーソナリティを垣間見れただけでもその意義は大いにあった。

 コロナが今も蔓延する中開催される、問題だらけの東京五輪の意義は、かすかにそこにのみあった。東京五輪を契機に日朝、南北間の交渉が行われれば、北朝鮮をめぐる関係は動いたかもしれない。金与正氏とはいかないまでも、北朝鮮の日本担当者、政府高官との接触が出来れば面白かった。

 拉致問題の劇的な解決。日朝国交正常化という大きな成果までは期待していなかった。顔つなぎが出来れば、次の交渉に繋ぐことが出来れば御の字だった。

 その期待も潰えてしまった。日本はもちろん、世界は自らの国のことで精一杯か、あるいは米中の対立ばかりに注目が集まっている。北朝鮮は自国のことで精一杯。籠城戦を決めた。日本も台湾問題が急速にクローズアップされて、北朝鮮に関わっている暇はないというのが本音だろう。

 数年前、朝鮮大学校で開かれたイベントで、松浪健四郎日体大総長が興味深い提案をしていた。東京五輪開催となれば、北朝鮮チームのために日体大の施設をキャンプ地として使ってほしいというのがそれだ。日体大は北朝鮮とのサッカー交流を行うなど、地道な日朝交流を続けている。

 これだけ交流が断絶、両国関係が悪化を通り越し透明化するなかで、北朝鮮の東京五輪不参加の表明で実に貴重な機会を逸した。期待出来たのは人的交流だけではない。日本という国を北朝鮮の選手団に実際に見てもらう。日本を体験してもらう。今やそれすらほぼ不可能である。いくら北朝鮮とはいえ、人の口に戸は立てられない。日本で体験したことは静かに、北朝鮮国内で語られただろう。その過程で彼らの心を動かす、暖かい交流が出来たのであれば、日本へのイメージもまた、変わっていたはずだ。長期的に静かに。

 最近アントニオ猪木氏の病状についてのニュースも見た。松浪氏も体調が思わしくないと聞く。スポーツ交流というかすかな繋がりも危うくなっている。

 ぼく個人の話をするなら、北朝鮮選手団が来日したら、在日コリアンの方のコネを使い応援席に記者として入るつもりだった。かつて世界卓球の北南戦の北朝鮮応援席に入ったこともある。北朝鮮応援席の風景と独特の空気感を書ける日本人は、ぼくが唯一だと自負していた。

 その機会も失われた。半ば捨鉢な気分で、ぼくは東京五輪の開催はもう無意味と考えている。

 ■ 北のHow to その108
 スポーツ交流は数少ない日朝交流の手段です。別にプロレベルではなくとも、例えば北朝鮮の案内員はなぜかみんな卓球が好きで、得意です。
 ラバーを買ってきてくれと頼まれてもいます。ぼくは元卓球部ですが、いつか彼らと卓球をするのが夢です。あとはサッカー。実際の交流のために、スーツケースにはスポーツシューズを入れておくのがいいでしょう。

#平壌 #金正恩 #金与正 #日体大 #コロナウィルス

 

サポートいただけたら、また現地に行って面白い小ネタを拾ってこようと思います。よろしくお願いいたします。