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誇りと冷静と躊躇と油断#3 奇妙なる同居

 少なくとも2000年ごろのソウルとその周辺において、韓流ブームはまだやって来ていなかった。W杯共催は2年後、ヨン様もまだ知られていなかった。

 ぼくが学生だった90年代はまだ韓国語はマイナーな言語で、ぼくのいた学科は文学部だったにも関わらず、第二外国語として必須単位扱いされていなかった。不本意だが中国語を履修した。そして韓国語の先生も学生もどこかあか抜けない個性的な、誤解を恐れずいうならどこかおかしな人たちばかりだった。

 その後の韓流ブーム。韓流熱の果てに韓国語を学び、実際に韓国に留学し、韓国語を話せるようになった中高年の女性も急増したと聞く。レンタルビデオ店の棚を韓流ドラマが占拠し、キムチが食卓に並び、最近、女子高生のリュックにハングルの名札が時々かかっていたりするのをぼくは見たりする。ぼくが学生だった、90年代後半から2000年ごろにかけての短い時期とは今は明らかに違う。

 今、ソウルで道を聞かれて韓国語で答えられたとしても、スンデをごちそうになるような僥倖はもう訪れないだろう。カラオケ店でK-POPを熱唱してもそれほどの反応は返ってこないだろうか。あぁ、韓流好きな日本人増えたよねー、君もそうなんだよね?という程度の反応ですむのだろうか。もう10年ソウルを訪れていないからわからない。

 ぼくの母校の学部でも韓国語は今や、第二外国語として認められている。履修者も急増し、中国語と第二外国語の履修者トップを争う勢いだとか。代わりにドイツ語やフランス語の履修者数減が著しいという話を聞いた。韓流は流行というひとつの段階を越え、既に定着したといえよう。

 だが一方で思うのだ。韓流は世界を席巻している。韓国人はそんな驕りにも似た感情と共にどでんと不遜にふんぞり返っているわけではない。

「ハングルは全ての音を現せる」「兄に学べ弟よ」と誇りながらも「でもオレたちの言語や文化ってマイナーだよな」と冷静に躊躇し「まさか実際に学ぶ弟はいるまい」「わが国の文化やことばを理解出来る日本人などまずいないだろう」という油断。奇妙な4つの感情が同居している印象がある。

 その誇りと冷静と躊躇と油断の間に隙が生まれる。ガードが下がり、スッと入り込めるのだ。ポテンヒットみたいな印象。あるいは「ちょっとごめんよ」と事件現場の立ち入り禁止のテープをスッと上げ、しれっと事件現場に入り込む老獪な元刑事のように。

 韓国語を学び、その社会や日常にアンテナを伸ばすことは、その意味で非常に重要なのだ。韓国人の油断を突くのだ。

「え?韓国語出来るのですか」「ちょ、ちょっと待って。あなた日本人ですよね?」。先日池袋で訪れた韓国料理店で久しぶりに韓国語を話す機会があった。その時の韓国人の反応に久しぶりの新鮮さを感じた。

 ちなみに街にある韓国料理店はふたつに分けられる。在日コリアンのやっている店と、韓国からやって来た韓国人の営業する店のふたつに。後者の店での出来事だった。

 日本の企業で働く30代の韓国人男性と話した。「韓国のどこ出身なのですか」「一山(イルサン)です」「おお、一山新都市ですね。一回行ったことありますよ」「ちょ、待ってくださいよ。ホントに日本人ですかあなたは」

 男性とは実に短い時間でスッと距離を縮めることが出来た。アルコールもなしにぼくたちがたどたどしい日本語を話す外国人に対して優しくなるのと同様、韓国人も韓国語が出来る日本人に対しては暖かい。だがその暖かさは少し違う。驚きの成分が日本よりもかなり増している印象がある。

 誇りと冷静と躊躇と油断。その同居は北ではどうなのだろう。ちょうどお時間になりましたので、このあたりで。

■ 北のHow to その50
 日本文化圏で朝鮮語を話す人=在日コリアンという印象が南北共に強い印象があります。日本人でわが国のことばを学ぶなんて、そんな奇矯な人がいるわけがないと。ここがアピールポイント。あふれ出る韓国愛、朝鮮愛を熱く語るのです。もう好きすぎて好きすぎて、楽し過ぎて楽し過ぎて。その意外性、ギャップにかの国の人たちはキュンと来るのです。暖かく迎えてくれるのです。

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