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北朝鮮でのサッカーの作法 #1サッカーと接待

 池袋で務めていたころ通っていた理髪店の主人が、生まれついての太鼓持ち気質と言えばいのだろうか。何を話しても、こちらを最後ヨイショするかたちで会話を終わらせる名人だった。何を言っても、ヨイショ。どういう話題でも、ヨイショ。

 喉笛を晒すという意味では、理髪店の顔そりはひとつの恐怖でもある。突如主人が錯乱して、剃刀をぼくの喉笛にぶすりざっくりとやったら人生一巻の終わり。その意味で、寡黙で武骨にすぎる近所の理髪店の店主はひたすら恐怖の対象だが、相反するヨイショ!な人というのもまた困ったもので、毎回笑いを堪えるのが必死だった。笑いに伴う不規則な振動もまた、恐怖の結末に繋がるのだから。

 主人はたぶん、巨人ファンが来たら坂本を推し、阪神ファンが来たら梅野を推す。そんなことが平気で出来るのだろう。嫌味ではなく。ぼくは生粋のカープファンなので、そんなことは出来ない。讀賣新聞の勧誘員に「おいらの良心に賭けて讀賣だけは取れねぇ」と言い放ち、理髪店にスポーツ報知が置いてあったら、そっとどかす。ヨイショの主人の柔軟性に、心からリスペクトを表したい。

 だが、サッカーに関してはぼくは無関心である。負けられない戦いがそこにはある。そうですか。サムライブルー。ああもう、サッカー中継のせいでニュースやってねえじゃねえか!というレベルである。ヨイショの主人に比べたら、まだまだだと思うが、サッカーの話題なら血圧も心拍数も変わらない。

 サッカーの日本代表対シンガポール代表の試合があった日のこと。ぼくは都内で在日コリアンの友人ふたりと会っていた。その店ではサッカーの生中継が流れていた。日本代表は苦戦していた。いや逆だ、シンガポールが善戦していたのだ。友人ふたりはそわそわと何だか落ち着かない様子。

「サッカー気になりますか」と聞くと頷く。「あ、ぼくのことなら遠慮なく。サッカーなんてどうでもいいので」と言ってもまだ遠慮している。しょうがない。こちらが率先するしかない。彼らのやりたいことを、ぼくがまずやるのだ。

 日本がゴールを外したら「よっしゃぁ!」と拳を突きあげ、シンガポールが攻め込めば「行け!行ったらんかい!シンガポール!魂見せたらんかい!」と率先してやった。なお、ぼくだけ素面であった。ようやく3人の間にあった氷が溶けた。3人でシンガポールを応援した。確か試合は引き分けた。アナウンサーも解説者も、意外な結果にショックを受けている様子がわかった。

 在日コリアンのふたりは、非常に温厚で「反日」という確固たる思想と態度を持つわけではない。ぼくにも遠慮するだけの心遣いが出来る繊細な人たちだった。だが本音ではサッカーに限っては、日本が負けて欲しいのだ。在日コリアンの男性には元サッカー部員が多い。このふたりは大学まで続けたと聞いているから筋金入りだ。ぼくたちに接待される、接待するという感覚と関係はないが、ぼくは接待する側、ヨイショに回った。

 FIFAのランキングでは、日本が北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国を上回る。また、サッカーは北朝鮮にとって国技である。サッカーの日朝戦、もとい朝日戦はいわば下克上の立場。在日コリアンを含む朝鮮人に営業、接客する立場になったら、日本ではなく北朝鮮を応援すると「愛い奴」と思われるかも知れない。これもまた、かの国の人たちの懐に飛び込むひとつの手段である。

■ 北のHow to その65
 売国奴!と日本人には言われるかも知れませんが、これくらいの腹芸ならいわゆる営業マンと呼ばれる人なら平気で出来る技でしょう。
 しかしその効能は想像以上。ちょっとした背徳感と共に、成果と楽しい時間を得るのはなかなか得難い感覚です。

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