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右足か左足か。平壌の足元

 若い在日コリアン、特に朝鮮学校の生徒と話すと驚かれるのは「え!ウリナラ行ったのですか」ということ。ウリナラとはわが国の意味。彼らが初めて行くのが高級学校(高校)の修学旅行。回数も期間もこちらの方が多い。学年によっては行ったことがない生徒がいるから、色々と興味津々で聞かれる。

 彼らに問われて困ったのが「右足と左足、どっちの足が先にウリナラを踏みましたか」という質問。え?覚えてないよ。厳密にいうと97年に韓国にいた時に板門店から北朝鮮に入っているけど、その時もどっちから踏んだかなんて覚えてないよ。でも彼らには結構大きなテーマのようで、逆に問い返すと「うーん、迷います」と天を仰ぐ。

 俺は両足で踏む!という生徒も現れて盛り上がる。昔は船、万景峰92号で、昔の順安空港もタラップで降りたから、どっちの足で踏むかはっきり意識出来たけど、今の平壌国際空港は日本の空港でもお馴染みのボーディングブリッジで建物に直接入るから、ちょっと入国した瞬間が曖昧だ。いや待てよ、広義的に解釈するなら北京の北朝鮮大使館に入る瞬間でもいいのか。知らぬ。

 右足左足問題も大事だが、訪朝の際は履いていくものにも気をつけていきたい。ぼくはいつも、普段使いのHARUTA社製のローファーと決めている。ぼくは足が小さく(24.0センチ)、フォーマルな歓迎宴の席でも浮かない黒か濃い茶色がよい。

 北朝鮮の歩道は石畳が多い。石油が貴重品であることを考えると、車道はともかく歩道までアスファルト舗装するのは難しい。そしてこの石畳がすき間が多く、また細かい段差が多い。素材故か、韓国でいうところのケンチャナヨ精神を発揮したか、劣化か、その全てかはわからないが、かなりの確率でつまづくのだ。だからヒールのような靴はまずい。そして段差は確実に足に疲労を蓄積させる。

 97年に韓国に行った時のこと。黄長燁氏の突然の亡命、その直後に韓国に亡命していた李韓永の殺害事件が相次いで起こった。その時ぼくが恩師に頼まれてしたことは、最悪の事態の際の邦人救助について在ソウル日本大使館に問い合わせることだった。

「決まっていない」という予想通りの答えが返って来て、大学の恩師と「最悪、釜山まで歩くことになる」という話をした。当時韓国の物価は安かった。明洞のオフィシャルショップでReebokのスニーカーを買った。履いて行ったトレッキングシューズも耐久性はあるが重いし、釜山までもたない可能性もある。約400キロを歩く相棒を用意した。用意だけで済んでホッとした。

 訪朝中に有事があればほぼ確実に拘束されることになるだろう。開城まで自力で歩くなんてことはない。とはいえ、万が一そうなった時のために、また段差の多い平壌の街を歩くためにはHARUTAのローファーがいい。あるいは黒色のスニーカー。歩きやすい。場合によっては数百キロ歩くことに備えること。そしてフォーマルな席でも無礼でなく、足を痛めない配慮。靴を選び履くところから、朝鮮半島への旅は始まっているのだ。

■ 北のHow to その82
 北朝鮮では自動車の移動がほとんどなのですが、意外と見学先で歩くことが多いです。例えば工場の移動も途中止まって説明を受けたりはするけど、気がつくと結構歩いている。滞在後半は足が疲労を訴えます。フォーマルでありつつも歩きやすい靴を選ぶこと。これが訪朝のポイントです。

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