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東京日朝焼肉大戦争血風録(1)

 ここ10年くらいある抗争の渦中にいた。のちに東京日朝焼肉大戦争と呼ばれるその抗争はまさに血で血を洗う、それはそれは凄惨な抗争であった。

 そもそものきっかけは、当時勤めていた会社の同僚A子から持ち込まれた「焼肉詳しいですか」という話だった。その時のぼくはちょっと調子に乗っていた。韓国にも留学したし、北朝鮮にも行った。新大久保にある韓国人しか出入りしないようなディープな店も何軒か知っていた。年下のA子に負けるわけなどない。「もちろん」と不遜に答えた。

「じゃ、私と焼肉行きませんか」。A子の誘いに乗ったのが間違い。連れて行かれたのは板橋のO。日暮里のFといったようなディープなお店。A子というのは、当時勤めていた会社では珍しい、ファーのついたコートが似合う、そもそも板橋だの日暮里だの下町には立ち入らないような感じの女性だったのだ。

 聞くとA子は休日、その格好で立ち飲み屋を始め焼肉店を開拓しているという。ひとりで。ぼくは驚愕した。あかん、こりゃ戦争や。どえらい奴が現れおった。まるで事務所のドアに銃弾を撃ち込まれた、どさんぴんのやくざみたいなもんだった。ひとりでは勝てへん。こらあかん。ぼくが頼ったのは在日ルートだった。

 在日コリアンの友人Yさんに泣きつくと「板橋のO?日暮里のF?ナニモンやそいつ?なんでそんな店知ってんねん。若い日本人女性?ありえへんでしかし!」と独り言ち「ちょっと待っとき。こらえらいこっちゃ。抗争や抗争や」とじーこじーこと黒電話をダイヤルすると、朝鮮語でごにょごにょと話し、受話器を置くとメモをぼくに渡したのだった。そこには焼肉店の店名と最寄り駅が書かれていた。「ここはな、ワタシら在日でもなかなか知っとる奴おらん店や。予約不可。並ぶの覚悟で行くんやで。ワタシの名前だしたら、サービスついてくるで」

 数週間後A子の顔が歪んだ。「ほほぅ。こう来ましたか」。次にA子が持ってきた店がまたディープだった。確か北浦和のXという店だった。ぼくは再び泣きついた。「Y姐さん!あかん!北浦和のXやて!」「な、何者やそいつは…。北浦和のXやとぅ!」

 こういうやりとりが何度か続いた。Yさんも「こりゃもう、在日の自尊心に懸けての抗争や」と、在日ルートを駆使して、都内の隠れた名店をいくつも紹介してくれた。かくして、首都圏を舞台に美味しい焼肉店の応酬が続き、ぼくの転職とA子の結婚を契機に抗争はようやく手打ちとなったのであった。結果、何が残ったか。ぼくだけが得をした。美味しい焼肉店の情報がたんまり残った。今も接待の時は使っている。

 Yさんのような在日コリアンの友だちがぼくにはいっぱいいる。この焼肉大戦争の話をすると、在日コリアンの友人たちは「日本人に負けたらあかん。在日の自尊心に賭けて、ええ店紹介したる!」と俄然張り切るのだ。そしてそういう店は実際美味しい。そして余り目立たない。さらに安い。

 だがここで異端児が現れるのだ。厳密にいうと誘われたのだった。

                               つづく

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