新しい自分を作り出していきたい
コロナになってから、人とのコミュニケーションが変わった。
職場の休憩室では、机にテープが張られ、席を間引くようなマークがしてある。
「久しぶり~!!」と言いたくても、ハグしたくても、
「ちょっと、蜜!!」
というツッコミが入り、人との触れ合いがなくなった。
天気がいいのに外に出られないなんて、子供だけじゃなく、大人もつらい。
というか、人間としてつらい。生き物としてつらい。
マスクで表情も見えない。そもそも夏のマスク、異様な光景だ。
上司に、打ち明けてみた。
「正直、今の状況きついっす。正面からずれて斜め前に座るっていうルールができたときから、きついなって思っているんです。必要以上に会話しない。なんてルールもでてますけど、休憩中4人でご飯食べてるのに誰も一言もしゃべらないって、苦痛でしかないです。どんどんコミュニケーションに対するハードルが高くなっていくし、触れ合いもなくなっていくし、察しながらの仕事になっていくから、相手のことがわからないんです」
上司は、
「そうかぁ。そんなこと思ったことなかったなぁ。つらいねぇええ。(笑)うんうん。(笑)」
と、まるで赤ちゃんをお世話するような話し方で、私に答えた。
正面から受け答えるというより、かわしながら、笑いに変えた感じだった。
私としては苦しい状況だけど、そこまで苦痛に感じない人もいるんだな、と、改めて人によって感じ方は様々だと感じさせられた。
同時に、なんてドライな人たちなんだ、とも思った。
社会人自体、そんなもんなのかもしれないけど。
今は、コロナ終わったら遊び狂おう!飲み狂おう!旅行に行こう!とにかく会おう!山登ろう、カメラ持って出かけよう、映画館行こう、水族館行こう、買い物思いっきりしよう、、、!!とか、先の楽しみを作ることしかできない。
もういい加減遊びたいし、我慢の限界だな、と思うけど、かといって、自粛が解けつつあっても、私は自分から誰かを誘うことはないと思う。
誘われたら断りはしないけど、いろいろ考えたことがあるのだ。
私は、とある小売業の店舗配属で働いていて、この夏店長試験を受ける。
けど、この仕事で私は食べていけるのか?この会社では生きていけるとしても、会社の看板がなくなっても通用する武器を手に入れたか?
と考えると、クエスチョンマーク。
例えば、将来、店舗の収益改善のためにPL構造から見直していって、中長期で成果を出す、しかも仕組みだけ変えるんじゃなくて、人も圧倒的に成長させて次に異動していく、気づけば簿記周りや、日本の主要産業の経費構造が理解できて、会社のカネの問題はなんでも任せろ、となっているとか?
例えば、将来、最初は20人弱の人数からスタートするだろうけど、いずれ50人、100人、と大型店のマネジメントを経験して、甘え力だったり、交渉力だったり、頼る力だったり、一人でも多くの知恵を結集して業務遂行していくような、リーダーシップに磨きをかけて、会社の組織の問題、人の問題はなんでも任せろ、となっているとか?
周りの人はよく、
まだ1年も経っていない社会人生活だし、
3年くらいしないとまだわからないと思うよ、
とか言うけど。
それをそのまんま信じていると、結局どの方向にも向かわないし、それこそ会社の駒としての3年を過ごすことになると思う。
ただがむしゃらに、深く考えることなく今を生きる、みたいな性格だったら別だろうけどさ。
まずどこにゴールをおいて、逆算していけばいいのか、ちょっと見えなくなっているなぁと、いうのが最近の悩みなのだ。
きっと、なんとなくこのまま、来年は海外の店舗にチャレンジして、帰ってきたら結婚して、、、気づいたら最初に感じていた会社への違和感も忘れて、違う自分に変わってしまって。
でもやっぱり、自分が打ち込みたいと思える仕事が見つかって、そっちを選ぶかもしれない。そしたら、自分の中に「家庭」っていう選択肢は永遠なくなっちゃうのかな、とか。
休業中も、私は趣味に打ち込んで、共通することはなにかなぁと考えていた。
家では、花の写真を撮って、料理をして、そして一日12時間寝ていた(笑)
そして気づいた。
何かを「作ること」が好きだ。
ニコンのカメラを買ったのは、フランス一周旅行に出かける前で、去年の5月くらいだったと思う。ちょうど一年くらいたった。プロのような写真は撮れないけど。
これまで、写真といえば写っているものを撮る、と思ってたけど、一眼を買ってみて、「写っているものを撮る」よりも、「光を撮る」に近いなと感じた。それから、ハマりにハマった。
料理は、食べたもので体ができているわけだから、もっと気を使わないといけないと感じた。最近は味見しなくても仕上がるくらい、腕前が上がった。
買い物の大変さとか、洗い物のめんどくささから、これはどう考えても家族プレーであるべきっていうのも気づいた。
食事関連で行くと、ベランダ菜園も初めて、トマトとナス、枝豆の日々の成長はとてもかわいらしい。でも、日当たりが悪くて、徒長しまくって、どうにかならないか、と奮闘する日々。
しかし、この、「つくることが好き」だけでは、足りない。
なにか、わかりやすい武器が、欲しい。
この休業になったことで、生き残るか、生き残れないか、
線引きがされたような感じがする。
今のままでは、「3年間新卒で入社した会社で頑張りました」しか
言えないと思った。自分で独立できるくらいの武器が、欲しい。
頭で勉強するだけでは生き残れないし、かといって自ら勉強しにいかない人は論外。
収入先も、マルチにあった方が、やっぱりなにか有事の時に安心なのだ。
しかも、お金は流さないと、意味がない。貯めるだけだと、経済が回っていかない。
もう、ひとりひとつ、自分のビジネスを持っている時代なのに、私は持っていない。そこに、あせりを感じる。
大学まで、やりたいことがありすぎてどうしようもなかったのに、
自粛生活になって、遊びという遊びもうまくできなくなって、仕事の見えない不安と隣り合わせで、でも進むしかない。
これじゃだめだ。
なにかつかみたい。なにか見えたい。
明日から営業再開準備。少しずつ、前の生活に戻っていく。
少しずつ、新しい自分を作り出していきたい。