無関心に気付きを与えたい
時々、自分の道はここで合っているのかと不安になる。
というのも、私が基本的に場違いな環境にいるからだ。
しかし場違いな環境に身を置いているのには理由があって、つまりそれがやりたいことを達成するために必要だからそうしている。
需要と供給の不一致
SNSではいろいろな人とつながっているが、資産形成や稼ぐことを考えている人たちが多い。
界隈で言えばビジネス界隈とくくられるだろう。
この界隈では商売の基本として「ペルソナを絞れ」という。
知りたいと思っている人に知りたいことを伝えればいい。それはそうだ。
需要と供給が一致するならそれは互いにWin-Winな関係であり、必要な情報に対して適正な対価が支払われるのは妥当である。
ただ、私がSNSをしているのはペルソナを絞ったビジネスをするためでもなく、同じく副業をする人たちと切磋琢磨するためでもなく、ましてやビジネスの手法を発信するためでもない。
他分野だからこそつながる
私がしたいのは、気付きを与えることだ。
関心があることなら、誰でも自ら率先して調べたり知ろうとするだろう。
けれど、無関心なことというのは意識にも上がらず、日常の中で目を向けていない、気付いていないことなのだ。
好きなものは集めようとするし、嫌いなものは避けようとするが、どちらでもないものには接点がない。知る由がない。
「そんなの考えたこともなかったよ」
そこにフォーカスを当ててもらいたいから、私とは視点が異なる人たちとつながることに意味がある。
私が伝えたいこと
私がみんなに知らせようとしているのは愛と自由と社会に生きること。
毎日noteで書いているのもこのどれかに属する内容ばかりだ。
この社会で生きるためにはお金がいるから、きちんと社会の仕組みを知って搾取されないように賢く生きてほしい。
そして共同体として誰かから搾取することなく、お金がすべてと考えず、周囲に対する愛をもって生きてほしい。
そして共同体だからと個を殺すことをせず、一度きりの人生を自由に生きてほしい。
ただこれだけのことを伝えている。
無関心を関心に変える
最初から私と同じように考えている人には、伝えたって意味がない。
ないことはないが、賛同を得られて、互いに共感して満足して終わりだ。
私たちは伝えたいことがあるなら、伝わっていないところへと伝播させていく必要がある。
なにも、無関心だった人に対して「問題意識をもって改善に取り組め」と言うのではない。
気付いてしまえばそこには必ず判断が不随する。
問題だと思うのか関係ないと思うのかもっと判断材料が必要だと思うのか。
その判断の機会を生むこと。
これこそが発信する意義だと思っている。
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