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会話する楽しさを知ってほしい

人と話すのは楽しい。

もちろん相手によるだろう。

私の母は「人見知りだから」といつも言うのだが、私や仲のいい友人にはあっけらかんとペラペラ喋る。

仲のいい相手には気兼ねなくいろんなことが言えるというのはわかるが、母のそれは少々極端だ。

でも、実際世の中には同じような「普段話すのは苦手だけど、仲のいい相手には堰を切ったように話し出す」人はごまんといる。

苦手な理由

「話すのが苦手」と一口に言ってもその理由は様々だ。

何を話していいのかわからないとか、反応に困るとか、思ったことをうまく口にできないとか。

私は人と話すのが好きだけれど、苦手に思う気持ちもわかる。

私の場合は、相手の反応を考えて発言するので、どうしても即時応答ができない。

意図を汲み取り、相手が何を考えているのかと考えを巡らせることに気を張ってしまう。

これは、自分がどう思われるかということには関係なく、相手にスムーズな会話を楽しんでもらいたいからしていることだ。

だから「素直な意見を」と求められても、どんな発言が最適かと考えて言い淀んでしまう。

相手の反応を想像する

そうやって悩んでしまうことは私の性質上避けられないので、対策として、たくさん対話のシミュレーションをするようになった。

伝えることが決まっているのなら、相手はどんな返事をするのか会話の終わりまで想像すればいい。

おそらく起きないであろう事態まで想定してシミュレーションをするのもまた楽しい。

むしろ、仲のいい相手とならスムーズに話せるというのは、「こういえばこんな反応が返ってくる」という目星がついているからだ。

くだらないことを言ってもいい。ちょっとコアな話をしても通じる。

それが分かっているから、思ったまま素直に話せる。

成功体験を積む

よく知らない相手とだったら、何が地雷なのかもわからない。

何に関心があるかも知らないし、どんな話し方をすれば伝わるのかも不明だ。

話すこと自体が億劫になるし、相手から呆れられたり嫌われるのではないかという不安も湧く。

これは、この思いは過去の経験からきている。

初対面やよく知らない相手でも楽しく話せるという成功体験を重ねれば、少しずつ薄れていく感情だ。

ちょっとした過去の失敗にとらわれて、人と関わり楽しく過ごすことの嬉しさを享受していない姿を見ると悲しくなる。

だから私は「優しい関係の中で対話したいと望むなら、私と話そうよ」と常々思っている。

見下したり一方的な評価をつけることもない。

対等な人間としてお話しするから、もっと自信をつけて社会の中で生きてほしいと思う。

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