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【note版】イギリスで朝食を

※こちらはALOHADESIGNさん

のステキで熱い想いのこもったWEBマガジン、「STAY SALTY」に掲載中のエッセイから転載(自著)した、過去のものです(2021年6月2日執筆分)。木ノ下さん、いつもありがとうございます。noteには私の個人的な記録として一部割愛、再編集したものをときどきお届けします。そのほかの号の掲載分、さまざまな分野でご活躍されている、ほかの方の寄稿文についてはこちらをご参照ください。

はじまり

「イギリスと言えばなにを思い浮かべる?」
「・・・ロンドンの歌・・」

これはイギリスの公共放送局、BBCの番組『Japan with Sue Perkins』で交わされたやりとり。コメディアンや女優、作家として活躍するスー・パーキンスが尋ねた相手は京都の芸妓たち。

スーは、幾多もの象徴的なアイコンがあるイギリスにおいて、たったひとつ選ばれたものが「ロンドン橋」そのものですらなく、よりによって「ロンドンの歌」であったことが腑に落ちない様子。

さらに追い打ちをかけるかのように言われた「アメリカ人もイギリス人も同じって感じ」という発言には衝撃を受けていた。

が、申し訳ない。ヨーロッパからすると「極東」と呼ばれるほどはるか遠くの、日本に暮らす者からすれば、私のイギリスに対するイメージとてくだんの芸妓と大差なく、せいぜいユニオン・ジャックぐらいのものだった。旅行先としては行ってみたい国のひとつであったが、まさか住むことになるとは。「夢にも思っていなかった」とは、まさにこのことである。

そもそも夫の赴任先としての候補地が「ロンドンかヤンゴン」という、冗談みたいなホントの話で、独身時代をそれぞれインド、タイで過ごしていた私たちにとって、ヤンゴンはむしろ地理的になじみのあるエリアで、ふたりともどちらでも構わなかった。いまのヤンゴンは、軍事クーデターで大変なことになっているけれども・・。

ちょうど4年前のいま頃、まさに6月、私は子供と一緒にロンドン・ヒースロー国際空港に降り立った。イギリスの6月といえばもう初夏で、いまであれば「1年のうちで最も過ごしやすい最高の季節」として私も認識できる。

実際、空港から利用した配車のドライバーには「今日も暑いね、もう夏だから」と言われたのだが・・日本から来たばかりの私には、吹き荒む風の冷たさに震え、いったいどこがどう「暑くて夏」なのか、皆目見当つきかねた。

しつこいようだが、いまであれば「イギリスの夏」は晴天続きで青空が広がり、爽やかで美しいと言いきれる。しかしそれはあくまでも「全体的な雨の期間の、合間のほんの一部」であり、実際はあれだけ晴れていたのが嘘のように、翌日にはもう雨、ということがここでは当たり前だ。今年などは、3月に季節外れの暖かさがやってきたと浮かれていたら、翌月には冬に逆戻り。毎週のように雪に降られたものだ。

この気まぐれ気候のパターンに気づいて以降は、少しでも晴れるととてつもなく感謝し気分がアガるようになった。これは意識的に身につけた、いわば生活の知恵とでも言えるものである。

入居する予定だった家がその頃まだ埋まっていたので、夫がひと足先に来て住んでいた家に、一家で借り住まいすることになった。普段はシェアハウスとしても使われているほどなので、やたら部屋数やらバスルームが多く広かった。

が、その頃の私にはこの広大さが逆にキツかった。日本から来たばかりだったので、6月に暖房を入れるという考えは皆無であったが、この頃は季節柄そもそも暖房自体つかないように設定されていた。

けれど、その後身につけた習慣として、イギリスでは暖房をつけるタイミングというのは、季節を問わず「つけたいと思った時がつけ時」である。この時は、つけるべきな寒さだったのだ。けれど、そんなこととはつゆ知らず、外は晴れていても家の中は薄暗くて常に肌寒いので、毎日ソファで震えていた。

引っ越し荷物が未着なため、長袖なんてものは基本的になかったのだ。

家具つきの家ではあったが、使い慣れた調理器具や料理本もまだなく、レシピがないと作れない私は、満足にいかない料理と慣れない食材に、文字どおり味気ない思いを募らせていた。

極めつきはバスルームの電気がつかないことで、夏だったから日が長くてよかったものの、それでも毎晩自分が入浴する頃には薄暗くなってしまっていた。暗闇のなか手探りで動かなければならなかったが、幸いにも3階のバスルームには窓がついていたので、バスタブにさえたどり着けば外のわずかな残光でなんとかやり繰りできた。

まだ地理的構図がわからず、いったいその家がどういう立地に建っていたのか不明だったが、高台にあったせいか窓から見える景色は庭と、さらにその先は樹々に覆われ森林状態に。時おり覗く他家も屋根だけで、あとは同じく高台に向かって立ち並ぶ家々が、まるで絵画のように遠くに見えるだけ。

なんだこの幻想的な風景は。まるでおとぎ話に出てくるような、森に突如現る洋館そのものじゃないか!

そう感嘆しながらも、なんだか切なく悲しい気持ちになっていた。

まだ子供の学校も決まっておらず、知り合いが誰ひとり近くにいないなか、数週間のうちに家族以外と話したのは大家、学校見学に出向いた先の校長と電気修理に来た業者のエンジニアのみ。昨年から続くコロナ禍での「ステイ・ホーム」を先取り、地でいくような引きこもり生活を送っていたのだ。

テレビをつければ、私たちが到着したその夜に、ロンドン橋で起きたテロ事件の報道ばかりが流れていた。その10日後には、第二次世界大戦後最悪の死者数を出したと言われた「グレンフェル・タワー」が、火災で燃え盛っていた。

当時イギリスはその前年より欧州連合離脱、いわゆるブレグジットが決まり、悪い意味で日本でも注目されていた。そこへきて、来るなりこの有り様だ。親からの何気ないLINEの言葉にさえ過剰に反応してしまい、「わが家が日本から厄災を持ち込んだのか?」などと関係ないことまで考えていた。

外に

出よう

週末、子供を夫に預け、はじめてひとりで町を歩いてみた。

教会の多さが目についた。誘われるようにふらりと立ち入ると、にこやかな女性に声をかけられた。「業務連絡」ではない、はじめて「プライベート」でイギリス人と言葉を交わした瞬間だった。

そこで、教会では日本の児童館のような役割を果たす、親子向けの集まりが毎週あることを教わった。

はじめて、ママ友ができた。

7月、はじめて、ピクニックに参加した。

はじめて、家に招かれた。

はじめて、地域の祭りを訪れた。

8月、自転車を買った。

それまで、夫が運転する以外はどこへ行くにも徒歩だった。ヨチヨチ歩きの子供とでは、とてつもなく時間がかかった。

週末、はじめてひとりで自転車に乗り、買い物に出かけた。

ペダルをひと漕ぎするだけで、ズイッと滑るように前に進み出た。

視界が、トラックの運転席のように、いっきに高くなった。

初夏の風が全身を切り抜け、気持ちよかった。

イギリス

これが、イギリス

ペダルを踏む足に、力を込めた。

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