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始まりはいつもタイのバンコク

2022.08

ある日、突然会社の同期から「上司がタイに行くって言ってるんだけど同行しない?」と誘われました。

その時の状況と言えば、1日の新しい感染者が100人を超えたとか、芸能人が感染しただの、世間は海外旅行なんて行くような雰囲気では全然ありませんでした。

ほとんど鎖国のようになっている2年間、旅行に行きたくて行きたくて仕方がなかった私はバンコクにいる自分を想像しただけで心臓がバクバク。

「行きたい!」とすぐに渡航条件を調べました。

ちなみにこれは出張ではなく、有給を取って行くプライベートの旅行。
上司と一緒に、旅行だなんて。

本来旅行は自粛しなければならない雰囲気の中、ましてや海外に行くなんて危険だという状況の中、どうしても行きたかった私はむしろ上司は好都合でした。

その上司はバンコク駐在経験があり、何かあっても助けてくれる人脈と力を持っている人。そんな人と行ける事はラッキーだと思いました。
これを逃すとまたいつ海外に行けるかわからない。急いでワクチン接種証明書を発行しました。

到着日、初めてのトゥクトゥク

2年ぶりの海外旅行。

念入りにパッキングと感染症対策をしました。
なるべく濃厚接触者にならないよう外出は控え、出発前日はPCR検査で陰性を確認しました。

日本を出国できても、もしタイで感染してしまったら14日間の自主隔離。

また、日本に帰国する為にはタイ現地でPCR検査を受けて陰性証明書を発行しなければならなりませんでした。

旅行というのは楽しみなはずなのに、こんな状況のせいで不安の方が大きかった…

出発時間2時間前、ドキドキのチェックインを済ませて「本当に海外に行くのか!」と思っていた矢先、上司から「ごめんけど、感染したので行けなくなった」との連絡。

頭が真っ白。

元々の不安が2倍に膨れあがりました。


チェックインを取り消すかギリギリまで悩みました。

周りに海外に行ってる人がいなかったのもありコロナ禍の海外旅行は本当に未知だったんです。

でもここまで気持ちも準備した。

やらない後悔より、やる後悔。

ここまできたなら行くしかない。

絶対に自分は感染しない!と言い聞かせて飛行機に乗りました。

第二の故郷


実は生後3ヶ月から5歳になるまで過ごしたバンコク。

記憶も土地勘もほとんどない。

だけど無事に到着後、聞こえてくるタイ語や雰囲気全てが心地よいことに気づきました。

幼馴染に会い、約18年ぶりに食事をしました。

通っていた幼稚園に行ったり、会社のバンコク支社の方と一緒にローカルフードにも挑戦しました。

あれだけ不安だった気持ちが、タイの心地良さと熱気で一瞬でほぐれたのを覚えています。

日中は一人で寺院巡り。

壊れそうなボロボロボートに乗ったり、物と人で溢れるマーケットにも行き、人生初めての「ほぼ1人旅」を楽しみました。

ボートに乗ってチャオプラヤー川 を下りながら、ふと

「あぁ、自分は一人で何でもできる歳になったんだ」

と生まれて初めての感情になったのをよく覚えています。

幼少期を過ごしたバンコクで、大人になった今、一人でこの土地を歩いている。

文字通り「戻ってきた」ような不思議な感覚がしました。

これからどこに行こう、これから何を食べよう、全部一人で決めて自由に行動できる、実践できる、だからこれをきっかけにもっと世界を見ようと思いました。


(帰国日、PCR検査の結果を待つ時は心臓が破裂するくらい緊張しました…)


人生が始まったバンコク。
そして大人になった、と心の底から初めて感じたのも今回のバンコクでした。

自分は何でもできるんだ、を教えてくれました。

この旅をきっかけに私の「世界と繋がりたい」思いに火がつきます。

休みが取れるのであれば、できれば毎月1ヶ国行きたいなぁ…

そんな夢が現実になるとは思いもしませんでした。

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