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躁か鬱のときに来ます

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最近の記事

のろいのそうび

あらかじめ宣言しておきますが、この文章では息を吐くように弱音を吐き続けます。体内に溜まった闇をデトックスする方法、僕はまだ書く以外に見つけられていないから。 ゲーム機器よろしく、人間というものもざっくりソフトとハードのようなものから構成されている……というのが僕の思想の一つです。 ソフト……各人の内に宿るもの。ゲームのカセットがプレイヤーに何某かの経験を与えたく生まれたということになぞらえるならば、ゴール。『夢』。そしてそれを達成するためのコマンドであり、ゲームを成立させ

    • 愛じゃなくて、恋じゃなくて、夢を歌え

      ≒JOY 2nd ANNIVERSARY PREMIUM CONCERT 昼公演を配信で見た。 このグループが向こう何年かのアイドル界の覇権を獲る。そう確信させられた。それぐらいに、圧巻の完成度と充実感。 なんなら自分がこれまで見てきたアイドルライブ・公演の中で最上位クラスの評価をあげてもいい。そんな代物を二周年時点で供給してきたニアジョイがあまりに末恐ろしい。 なぜか。 ≒JOYには、女性アイドルの楽しさが、極めて高次元に詰まっているからだ。 クラシカルで正統派なアイ

      • 奇跡は間に合わない

        途方もない数の選択結果により、『今』がある ゾッとする。あの採用面接での立ち回りが違っていたら。あるいは、採用担当の人の好みでなかったら。もっと言うなら、自分の未来を選びとるための価値観形成が違っていたら。あの本に出会わなければ。あの人に出会わなければ。あの映画を見なければ。あの帰り道がなければ。あの会話がなければ。あんなことをしなければ。あれをしていたら。今の親の下に生まれていなければ。 考えるだけで怖い。怖いのはきっと、今の自分の人生が悪いとは思っていないから。恵まれ

        • 権藤権藤雨権藤

          俺は俺のことを信用していない。 いや厳密に言うと、圧倒的に信頼の寄せられる強烈な強みと、吹けば飛ぶどころか花澤香菜の「せーの」 程度のウィスパーボイスですら血液がドライビングハイウェイしてしまうほどの弱みの分別がついているのである。それは声豚すぎるだけか了解。 4月。社会に出て仕事をするということ、それは自分にとって後者だと思っていた。 俺のメンタルの貧弱さやこだわりの強さ、気難しさ、狷介さを熟知してくれている友人などからしてもそれは完全同意だったと思う。 そもそも、俺

        のろいのそうび

          恥ずかしながら今更「人間失格」を読んだ話

          ・大学の学費は4年間分の自由時間を買うためのもの 持論である。 その4年間をかけてしたいことが学部の勉強ならばそれに骨を埋めればいいし、そうでない人は人生が頓挫しないために最低限の勉強はしておいたほうがいい、ぐらいの感覚。大学生の本分だと言われがちな「大学の勉強」も個人的には「自由時間」の内側に包摂されている認識がある。 陳腐な言説にはなるのだが、大富豪から浮浪者まで等しく持っているもの……それが時間。 365日×4=1460日。こんな膨大な時間をたかだか数百万円で買

          恥ずかしながら今更「人間失格」を読んだ話

          これでいい

          このnoteは心に溜まった闇を濾過するために書くことがほとんどなので、今日みたくポジティブな日の記録は希少だと思う。 加減しない人生のほうが楽しい 22歳にもなって、これが若いのか歳をとってきたのかさえわからないが、当たり前のようなことこそいかに気づくのが難しいか痛感する。灯台もと暗しとはよく言ったものだ。常識らしき「最適解」みたいなのは白Tに紺色のジャケットを羽織って髪をジェルで立ち上げた胡散臭いベンチャー企業の社長(関東の私立大学時代に起業)が遠くから教えてくれるが、

          これでいい

          にんニク多メ、希シ念慮マシマシ

          努力だけでは手に入れられないものを『才能』という言葉で定義すると、きっと他者から好かれることは立派な才能なんだと思う。 フランケンシュタインみたいなことを言うが、俺には人に好かれる方法がわからない。厳密に言うと方法論として理解しているところもあるが、それを外部に上手く出力することができない。 頭の固さ、偏屈さ、圧倒的不器用さ、天邪鬼、我の強さ、、、 色んな要素が複雑に絡み合っている。 円滑で良好な人間関係をつくるにおいて、「嘘」は必要悪であることも多い。俺はそういう嘘す

          にんニク多メ、希シ念慮マシマシ

          なりたい自分、なれる自分

          子どもの頃から、仲間のおふざけにツッコむことが好きだった。小学校・中学校なんかは、基本的にみんな目立ちたがりだ。 悪名は無名に勝る、なんて言葉があったりする。クラスの端で黙々と勉強に励む殊勝な生徒が「陰キャ」と揶揄されるのに対し、先生に噛みついてみたり、誰かに居丈高な態度をとったりするオラオラ系のほうが異性からチヤホヤされていた、そんな絶対に間違えていて、理不尽しかなかった小中の頃。(炎上して名を馳せたYouTuberは本質的に小学生・中学生と何も変わらないから嫌い) 閑

          なりたい自分、なれる自分

          【3日目・宮崎】桃源郷

          ついに最終日。大分の格安ホテルで朝を迎える。 格安ホテルというだけあって、壁は激薄。隣の人のいびきで起床する。 テレビがついていないので、備え付けのPCでYouTubeを見ながら朝の身支度を済ます。 午前7時前。ホテルの目の前の大分駅から、宮崎県に向けて発つ。ここが本当に大移動で、特急でもなんと3時間近くの時間を要する。 とりたててすることもないので、 車窓から景色を眺めながら、大分での出来事に思いを馳せる。(耳には前日消化不良となったマヂラブann0やコウテイのギガル

          【3日目・宮崎】桃源郷

          【2日目・大分】快進撃

          10月31日。午前6時に浅い眠りから目覚める。 この日は博多から大分に移動する日。 昨日は完全に単騎で行動をしたわけであるが、今日は運良く、大分に住む高校時代の友人が半日車を出して大分案内をしてくれるとのことで、非常に頼もしい。ドラクエⅣの1章で、ライアンの仲間にホイミスライムが加わった時のような安心感を覚える。 午前7時。福岡で初めて見た、ローカルのおにぎりを朝食でいただく。博多明太子を使ったおにぎりが美味しいことは、よもや言うまでもあるまい。 午前8時半。バスに乗り込

          【2日目・大分】快進撃

          【1日目・博多】拡がる世界

          午前10時。人生で初めての博多に降り立つ。 1人で見知らぬ街を闊歩する感覚に、非常に興奮を覚える。 それはさながら『ポケモン不思議のダンジョン』で、歩いた所の情報だけが地図に繁栄されていくようなもので。頭の中に雄大な音楽が響く。 博多のアニメイト。よく知らない土地ならではの風土や人々に触れることが、世界・視野を拡げることに繋がると宣う人がいる。確かに一理ある。 しかし、私は逆だ。 どこにいようと、自分が「好きな物」「知っている物」があるという事実によって、帰納法的に世界

          【1日目・博多】拡がる世界

          『俺の総合演出は俺』

          尊敬してやまないある人の一言。 非常に前向きになれる、最高の1日だったので、その記憶を忘れないように、所信表明の気持ちを込めて取り急ぎ。 摩耗し、小さく萎みすぎてしまっていたかもしれない。何を迷っていたんだろう、好きなこと・憧れてること・なりたい姿はずっと目の前にあったじゃないか。 好きなことを追いかけて、熱を帯びている人はやはり美しい。そんな人のラジオから流れる声に刺激を、元気を、活力を貰う。 本屋に足を運ぶ。読まなきゃならない勉強の本と、読みたいと心から感じる本を

          『俺の総合演出は俺』

          キメラのつばさ

          人生の中で、強烈な嫌悪感や疲弊を感じることがしばしばある。 心情の機微までは言わまいが、親交のあるような周りの人間・旧友などにも、刃物のような視線を傾けるようになっていた(る)。 皆が無味乾燥な肉塊に見える。 世紀の裏切り者に見える。 公衆の面前で自慰を垂れ流すような、厚顔無恥な人間に見える。 利己的な猿のように見える。 ある種のL5状態に陥っていたそんな中、友人が余っていた『青春18切符』なるものをくれた。 これさえあれば交通費不要でどこまででも行ける。 まさにキメ

          キメラのつばさ

          豚とソクラテス

          『天才とバカ以外は、出っ張った部分や尖った部分を社会に削り取られていく。 しかし、それは変化でなく適応。かえって効率が良い。 高すぎる理想によって自分はどんどん苦しめられる。適度に刺激が貰えるような、程よい距離で理想像と付き合うべき。』 とある本に書いてある、このようなニュアンスの一節を読んだ。光明だった。 先人たちの、賢人たちの、知恵と思考がこれでもかと詰まっている本は、人生における大きな支えとなってくれる。 1500円程度で憧れの偉人のお話でも、今を輝く実業家のお話

          豚とソクラテス

          死ねば助かるのに

          貴方は何故「生きる」ことに固執するのだろうか? 精神の昂りを感じるような、精魂を傾ける好きなことがある方は少なくないだろう。美食巡り・ゲーム・ライブ参戦・アイドルの追っかけ・釣り、、、 でも、もし、死ぬか・好きなことが出来なくなるのかという2択を突き付けられたら?恐らく多くの人は、好きなことを切り離すだろう。その先に残るのは、好きなことを亡くした、閑静な虚空みたいな余生なのに。 社会や他人に多大な影響・効用を与えるような偉人ではない凡人にとって、「生きること」に大した意

          死ねば助かるのに

          欺瞞

          人間は常に自分を騙し続けねば生きられない、哀しい生き物だ。 全ての人は、【自分がやりたいこと】があると信じて疑わない。しかしそんなものは自分に対する欺瞞にすぎないのだ。 多くの人は【自分がやりたいこと】が、自分の内からフツフツと湧き上がってくる熱を帯びたもの、成し遂げるべき理由がある高尚なものだと考えているだろう。 例えば『野球選手になりたい!』という野球少年の夢は非常に尊いもののように感ぜられる。 しかし、その理由を紐解くと【〇〇選手に憧れて】という外的要因が殆どだ。