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のろいのそうび

あらかじめ宣言しておきますが、この文章では息を吐くように弱音を吐き続けます。体内に溜まった闇をデトックスする方法、僕はまだ書く以外に見つけられていないから。

ゲーム機器よろしく、人間というものもざっくりソフトとハードのようなものから構成されている……というのが僕の思想の一つです。

ソフト……各人の内に宿るもの。ゲームのカセットがプレイヤーに何某かの経験を与えたく生まれたということになぞらえるならば、ゴール。『夢』。そしてそれを達成するためのコマンドであり、ゲームを成立させるシステム――情熱のようなものも含まれると定義。

ハード……身に宿したソフトをばっちり駆動させるための、外側のスペック。体力であったり、日々の経験を華やかに魅せるための画素数であったり、要は日々を滞りなく過ごす基盤になる部分。

自分の場合はどうか。
ソフトは概ね問題なし。手前味噌にはなるけど、おもしれぇソフトが入っとります。感性も豊か、人並み以上には頭もキレる。なによりあらゆるものを面白がれる知的好奇心と探求心がある。『これだ』と信じたものへの推進力もなかなかのものがあり、熱をもって突き詰めているうちに、それが誰かしらに価値をもたらしうる(お金が発生する)レベルにまで到達しているのではないか。1日9時間拘束の対価としてお金を貰う生き方をあえて選ばなくても良いのではないか……そんな予感を感じさせる、ソフト。

問題はハードだ。こっちがあまりに脆弱すぎる。はっきり言って壊滅的。
まず代表的なところで言うと、気圧に滅法弱い。気圧が下がるだけで頭がぐううと締め付けられる感覚に陥り、脳みその中がクリアでなくなる。靄がかったように思考が混濁し、目の前の光景が白昼夢なのではないかと錯覚する。気温の乱高下にも弱い。要は、地球が凪いでいるタイミングでないと心中健やかに生きられない。
体の適応力――つまるところ、自律神経がボロボロなのが理由だろう。
気絶するように眠るのに、夜間に必ず目が覚める。最悪の時期は乗り越えたけど、肩こりや首のこわばりが尋常でない時期があった。自分は石像かと思うほどに。

自律神経が乱れているということ――それは、のろいのそうびを纏っているのと同じだと思う。自分の人生なんてのは生まれてから死ぬまでの一本筋でなはずだけど、自律神経が悪さをしてきたときに、完全に別人に成り果ててしまう。もう一つの筋、別の人生が、始まる。
日によってころころ気分が変わるぐらいならまだいい。自分の場合考えや価値観まで変わってしまうのだから、ホントにジキルとハイドである。この人、このコンテンツ、この体験が好きだ!と思っていたものが、ある日突然なんでもないものに変貌する。『底』の自分の怠慢が『頂』の自分をやりたいことから遠ざけ、『頂』の自分がやりたいと希っていたものは『底』の自分の興味の範疇外で。こんなの生きる上で多大なロスである。時間、お金、体力……。即時性のあるものであればその時々の気分に合わせて選び取っていけるけど、時間差で結果や選択が反映されるものがとにかく苦手になった。通販とか。先の予定を組むとか。

今だってそうだ。ここ数日、気圧と気温の乱高下でもうボロボロになっているのがよくわかる。頭なんて微塵も動いていない。深く思考することなく、蛇口から流れる水をそのまま垂れ流している。きっと後から見たら『なにこれ?』という表現や考えが多発してるんだろう。これはもう脳みその嘔吐だと思っている。ゲロを吐くとき、昨日の昼のラーメンだけは胃袋に残しておこうなどと選択できない。

ボロボロの自分につかの間のブーストをかけるために、少量のカフェインをインする。時間差で苦しくなる。こんなの自分が一番よく知ってる。頭がぐわんぐわん揺れるし、なんだか内臓が荒れる。目がチカチカして気分は急降下していって。

小学校の時ぐらいから、メンタルにはかなりの爆弾を抱えていた。もともとかなり神経質なほうで気にしいでネガティブ。おかげで失敗はほぼなかった。失敗する自分が嫌で、先回りしてがっつり頭を働かせて、万全にケアして臨む。それが自分の戦い方だった。

気分が落ち込むぐらいならまだ可愛かった。最近は体に影響が出るから最悪なのだ。楽しいことが素直に楽しめなくなるし、頭も冴えずに集中力が持たない。好きなことが好きでなくなるというのは最高にキツく、自分を自分たらしめるアイデンティティを自分で否定しているような……そんな救いようのない状態に陥る。

せっかくの休みなのに、好きなことに全力投球できない。週明けまでのタイムリミット。執行猶予が終わる。自分の時間を換金しに行く一週間が始まる。だから、週末ぐらいは自分の人生を生きたいのに。自分の好きなことを全身全霊で浴びて、表現していたいのに。

内からも外からも邪魔されてばっかりだ。今だって顔の火照りが止まらない。キーボードを叩く手も止まらない。脳みそは酩酊状態だってのに。
自分の思考を文字にしているときが、一番呼吸が整っている感じがする。これだけが救いな気がする。

自分に余裕がないから、周りのすべてが敵になってしまう。
正直声をかけられても地団太を踏むぐらいカリっとするし、自分の世界に干渉されると殺気立ってしまう。自分のことさえコントロールできていないのに、他人との折り合いをつけられるはずがない。

焦り、上手くいっていない不満、そして外部への苛立ち。些細なことに目くじらを立てる自分が情けなくて、惨めで、内省して、それにもしんどくなる。もうどうしようもない。自分でさえ自分がわからない。じゃあ君たちに俺のなにがわかる?

痛い。関節が疼くように痛い。手が震えることが増えた。ちょっと寒気がする。顔は火照っているのに。アンコントロールすぎる。こんな状態ではなにもできません。

もうさ、しんどいなんて次元じゃないんだよ。自分の動かしたいように体が動いてくれない感じ。気勢が前のめりにならない感じ。外界と一切関わりたくないぐらい落ち込んでパニックになっているのに、外界にちょっとは構って欲しい孤独感。

何物でもない人間が自分に属性をトッピングするためにMBTIをしてみたり、軽率に自分は病気です、と告白してみたりするの。苦手なんだよ。安易にポジショントークしようとすんなよ。弱い自分という立ち位置を確保するの、つまんないって。自分の成功とか、内から湧き出たものとか、そういうので自分自身を構成していこうや。自分は、そうしたい。
でも最近、ふとよぎる。あぁ、自分は元来卑下してたポジションに内包されつつあるな、って。シンプルに病的。
鬼のようにイラっとして自暴自棄になってみたり。希死念慮がぼたぼたと溢れてきたり。無気力になったり。パニックになって呼吸が乱れたり。不安に思考を侵略されて二進も三進もいかなくなったり。夜眠れなかったり。落ち着いているのが苦手で、あっちこっち動いてみたり。かと思ったら、爆発したように何かに開眼してみたり。極端に神経質で他人に優しくできないときがあったり。急かされるように生きているのに、特にやらなきゃいけないことはなかったり。

全部全部のろいのそうび。

ネットで自分の不愉快なあれこれを調べてみると、しっかりした名前のある現象の表面の部分たちにうっすら漸近していて驚く。カテゴライズするほどでもないが、一歩間違えたら……となりかねないような状態。認めたくはない。認める気もない。

今だって何かのバランスがぎりぎり丁度いいから息をしていられるけど、少しの乱れでいっそうガタガタになってしまいそうで怖い。自分の周りにぎりぎり影響が与えられそうだというメガンテ的理由で、破滅してしまってもいいかもと考える時だってある。1日の中に一瞬でも希望を見いだせる時間が存在しているから、なんとか踏みとどまってはいるけど。

普通の生き方はできない。
だったら割り切って、飛び道具みたいな荒れ狂った人生を歩んでやりたい。でもそれに耐えうるハードがない。これだって一時の気まぐれで、自分がこんなボロボロであることを知っているから、普通に生きられている瞬間、これ以上何を望む?という現状維持の温かさに甘えてしまうこともある。ホントの自分は何?正解はなに?自分にとっての幸せって?

躁鬱の波がおぞましいほどに乱高下して、今はホントに最悪の状態で、喉元のヒステリー球がきゅううううっと締め付けられている感じさえあるけど。
いついかなる自分にも、救いになっている言付けが一つだけある。

文章とは、才能や能力のある人間を地獄に貶めて、その極限の状態から絞り出される果汁のようなものだ。

細かい表現は失念したけど、それが唯一の救いになっている。
自分が地獄に堕ちれば堕ちるほど、良い文章がアウトプットできているいうな気がする。ここに活路を見出したい。世の中に価値提供が、自分の内から湧き出たものを誰かに届けてみたい。

今の、唯一の救いであり、希望。
この幻想から解き放たれた瞬間、自分はどうなってしまうのか、今は想像したくもない。想像できない。






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