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権藤権藤雨権藤

俺は俺のことを信用していない。

いや厳密に言うと、圧倒的に信頼の寄せられる強烈な強みと、吹けば飛ぶどころか花澤香菜の「せーの」 程度のウィスパーボイスですら血液がドライビングハイウェイしてしまうほどの弱みの分別がついているのである。それは声豚すぎるだけか了解。

4月。社会に出て仕事をするということ、それは自分にとって後者だと思っていた。
俺のメンタルの貧弱さやこだわりの強さ、気難しさ、狷介さを熟知してくれている友人などからしてもそれは完全同意だったと思う。

そもそも、俺は環境が変わることに滅法弱い。事実、中学校を卒業して高校に入るだけでこの世の終わりみたいに取り乱した。

大袈裟だと思う人もいるかもしれないが、はっきり言って、社会というシステムに一切馴染めずに人生が詰んだ餅状態になる可能性まで見ていた。

だから学生最後の半年は気が触れたように好きなことをした。まるで今世に思い残しはない、と思わせるぐらいに。

沢山旅行に行った。美味しいものを食べた。お酒をたらふく飲んだ。昼間から色々な場所に出かけた。無駄な時間の無駄さを敢えて楽しんだ。様々なコンテンツを摂取しまくった。この時間を一生忘れないように、ちょっと、写真を好きになった。

……そんな鬼気迫る不可逆的にも近い決意で開いた社会へのドア。案外、どうにかなりそう。

まだ仕事らしい仕事はしていないのだけれど、その段階でも俺という人間の躁鬱メーターが臨界点にまで振り切れる可能性は十二分に想定していた。だからこそ、この健闘にはビックリしている。手前味噌ながら褒めてやりたい。なんてほろりとしてしまう。

改めて自分はストイック人間なんだなと思った。
もはやマゾヒストに近いかもしれない。
成果をあげるあげない以前に、自分を追い込んでいるという意思の強さ自体に酔える。何か特別な者であるという自意識が萌芽し、人生がキラリと輝くのだ。

仕事という固定のタスクが出来たことで、むしろそれ以外の時間をいかに有効活用するか、という張合いが生まれた。圧倒的にメリハリ。ご飯がいっそう美味いし、エンタメはいっそう面白い。もちろん仕事も頑張りたい。そもそも誰かの役に立つってのは一番カッコいい美徳なんだ。そのものに対するやる気も湧いてきている。

なにせ、中途半端はつまらん
タスクでも趣味でも人生全般、過剰なぐらいに頑張るほうが俺は楽しいと思えるタイプ。
手抜きをしたらモヤモヤするし、成果も出ない。成果が出なかったらつまらん。

また、バリバリ働いてる人にリスペクトがある。素敵。そういう人にも憧れる。一方、死んだ目をして働いている日本の旧態依然のサラリーマン然とした人には未だに抵抗感がある。面白くなさそうに仕事をし、大人になることへの嫌悪感を植え付け続けてきた張本人。そういう人と同質化しないために、自分は逆張りで努力し続けようと思ってさえいる。君らにどんだけ暗い思いにさせられたと思ってんねん。一緒になってたまるかい。

……とまあ、弛緩して好きことやりたいことだけをやり倒した大学生活から一転、どうなることかと思ったけど、命を燃やすという新たな快感を見つけましたよと。そういう話ですねん。

そもそもWeb小説の原稿の追い込み時期、誰にも頼まれていない一銭にもならない原稿を8時〜25時まで飯以外ノンストップで執筆推敲するみたいな過労死ラインを自主突破したみたいなことがしばしばあった。

もちろん責任が伴うビジネスと一緒くたには語れないし語るつもりもないが、自律心とスタミナが養われたのは確かなのかなと。

その心の余裕が、人間関係にも良い風に作用している。

……曲がりなりに成長してたんやな。俺も。

雇用と生活がある程度担保されている日本のサラリーマンになってみて、逆説的に自分の人生を突出させたい。それだけで満足したくない。当たり前のことを当たり前にやりきって、プラスアルファで特別なことを成し遂げられたら最高に最高じゃないですか。

この威勢の良さがいつまで続くかなんてわからないけど、少なくとも、2日目のお仕事が終わった晩に3時間の小説&note執筆、学習内容の復習をこなせている無双状態の俺には最大限の賛辞を差し上げたい。お前、カッコよくなれるぞ。

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