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【感想】映画「夜明けのすべて」

先日、たぶん一年以上ぶりに映画館に行った。ハイキュー!!を見たんだけどすごくよくて、やっぱり映画館で映画を観るのは家と違って全然いいなあなんて思いながら、早速もう一つ気になっていた映画を観てきました。タイトルの通り、松村北斗さんと上白石萌音さんが主演の「夜明けのすべて」。ちなみに、わたしは原作の瀬尾まいこさんの小説はまだ読んでいません。

ここから下はネタバレを含みますが、正直、ネタバレしてもあまり問題なく楽しめる作品だと思っています。(もしくはわたし自身があまりネタバレを気にしない人だから、そう思うだけかも)

あらすじは調べたらたくさん出てくるけど、簡単に。
重いPMSで苦しむ上白石萌音さん演じる藤沢と、2年前から患っているパニック障害をきっかけに転職してやってくる同僚の山添の二人が中心の物語。
藤沢は普段は穏やかな性格なんだけど、PMSの時期は体調を崩すわ、ヒステリックになって上司だろうと構わず周りに当たり散らすわで、新卒で入った会社でも早速ボロボロ。
このままではまずいと思い主治医にピルの服用について相談するけれど、母親に血栓症の既住歴があるために処方はしてもらえない。新しく処方された薬では眠気がひどく、会社でも仕事中に資料をぶちまけて寝ている様子を来客の前で晒してしまい、その場を逃亡(そしてトイレに篭る)、退職。
そんな中、のちに働くことになった「栗田科学株式会社」が舞台。

藤沢には一人後輩がいて、それが松村北斗さん演じる山添だ。
彼は一見ただのやる気のないちょっと無愛想な後輩だけど、実はパニック障害持ちだ。
最初は彼もPMSを軽く見ていて、藤沢の「お互い頑張ろう」の言葉に、「いや、パニック障害とPMSではレベルが違うでしょ」みたいなことを言うんだけど、のちにお互いに支え合う関係性ができあがってくる。

でもこの二人、決して恋愛関係にはならない。広くない部屋でそんなに二人きりでいたらそんな空気にならないかな・・と思ったりもしたけれど、清々しいほどにならない。それがよかった。
ハリウッド映画とかドラマなんか観てるととくに多いと思うんだけど、男女が二人きりになった途端にどちらからともなく抱き合い貪りあうような恋愛感情(もしくは性的感情)。それも嫌いではないけど、そういう刺激物で麻痺させることによって一時だけ忘れられる現実の苦しみは、今は映画や小説ではあまり見たくない。
ドラッグのように雑に扱っては消費される恋愛で一時的に緩和された苦しみなんて、またふつふつと湧き上がってはさらなる刺激で抑えるほかないからだ。その繰り返しで、最後には刺激中毒になってしまいそうで、わたしはいつもそれが怖い。

話はそれたけど、そういう劇薬に頼らず、丁寧に丁寧に、二人が克服しようとがんばって生きている様子が書かれていたのがすごくよかった。
なんでお互いのことをそんなに助け合うの?って、それはやっぱり目の前の相手を助けることで得られる仲間が欲しかったし、その結果として得られるかもしれない救いをいつか手にしたかったからじゃないかな、と思う。

藤沢はPMSの時に、山添が気持ちを落ち着かせるために飲んでいる炭酸水のボトルを開けた時の「プシュ」という音にさえイライラしてしまい、「炭酸水飲むのやめてくれる!?」とまで言ってしまう始末。PMSはたしかに個人差が大きいけど、フィクションとはいえ会社の理解がすごいな〜と思ってしまうよね。本人がどんなにつらくても案外人って優しくないから、どんな事情があるかなんて汲もうとしてくれない人がほとんどだから。

自分が当たり散らしてしまった穴埋めをするように、藤沢はよく会社のみんなに差し入れのお菓子を買っていく。
普段は穏やかで愛想よくしているけど、本当は色々なことを我慢している。その鬱憤を少しずつ晴らすことができない。だからPMSでイライラした時にはそのぶん小さなことが気になって仕方なくなるところもあるんじゃないかな。
でもやらかした自分にもまた自己嫌悪。それなのにまたやってしまう。の繰り返し。
わたしも(PMSが原因ではないものの)過去に同じことをしたことがあるので、周りからしたら迷惑そのものだけど、当事者の苦しみという点ではすごく共感できた。
正しくないよ。「PMSだから仕方ないんです」がまるで水戸黄門の印籠のように他人を傷つけることの免罪符になるわけではないし、それでも納得できないのだって相手の自由。ただ、だからといって本人の苦しみが不当なものだと感じる人になかったものにされないでいてほしいと思った。わたし達はみな感情は自由なんだから。どんなことを嬉しいと思おうと、苦しいと思おうと、誰かに言われた「そんなことで」「でもそれはあなたも間違ってるから(苦しむのはおかしい)」みたいな言葉で止めなきゃいけない感情なんて、この世に一つしてないから。

ラストシーンは、本当に自分でも不思議なんだけど涙がポロポロ流れてしまった。
あの穏やかな感動は一体なんだったんだろう。
藤沢と山添が最後にした選択と、彼らそれぞれが送る日々の穏やかさに、進撃のアルミンが言う「3人でのかけっこ」じゃないけれど、静かな幸せの空気を感じた。

満点の星空を見たくなった。
今まで見た夜空でいちばん綺麗だったのは、二十歳くらいだったかな、幼馴染3人で深夜に車を出して海に行った時に見たもの。
正直、空なんかよりも夜の海を楽しみに行ったものだったから、星には期待はしていなかった。しかし目線を頭上に持っていくと、まるで宇宙に迷い込んだかと錯覚するほどの星々が煌めいていて、この世界にはこんな美しい景色が存在するんだと、ただこの世の偶然と奇跡に感謝したくなったことをよく覚えている。3人で手をつないで「すごい」とか「きれい」とかしか言えずに、そろって上を向いて歩いたあの時間を、これからもきっと忘れない。

この作品の中できっといちばんピークに来るであろうシーンは、終盤の、栗田社長の弟さんのノートに書かれた言葉だろうか。
弟さんは自殺でこの世を去っている。
彼の人生の最期は栗田社長を含め周りの人を悲しませてしまったけれど、でも、彼が残した言葉によって救われた人たちがたしかにいた。
誰かの人生に光を照らすような言葉を紡ぐ人が、自分で自分に手をかけてしまうなんて、と思う。誰かが生きることに希望を持てるようなことを言える人が、なぜ?って、そういう矛盾と思われるようなものもじつは矛盾ではなく、ただ自然に、そうあっただけのことなのかもしれない。
具体的なフレーズを忘れてしまったので、割愛しますが(ネットで調べたら出てくるかも)、タイトルにもある「夜明け」や「闇」に関する、今自分の人生は陽に当たっていないと感じている人を勇気づけてくれるような言葉だった。
この言葉を知り助けられる人たちも、またいつか絶望の闇に飲まれて、生きることをやめたくなるかもしれない。悲しい結末を迎えてしまうこともあるかもしれない。周りの人は、そんなことはできたら避けたい。死んでしまっただなんて認めたくない。そう思うことだって、どこまでも自由だろう。

わたしは、すこし冷たい言い方に聞こえてしまうかもしれないけれど、この広い宇宙の中でちっぽけな存在であることに救いを感じる。
でも、ちっぽけであると同時に誰かの生きる世界の中では大きい意味を持っていたりして、わたしの存在はちいさかったりおおきかったりしてなんだか不思議だけど、そういう矛盾の落とし所が見つからないうちは、生きていけそうな気もする。
まだまだわからないことがたくさんあるから、そういうものをもっと知って満足しないと、死んだらもったいない気がする。
昨日まで希死念慮がすごくて、本気で死のうかと夢の中でも遺書は誰に何を書こうかと考えていたけど、一旦、その気持ちはどっかに置いておこうと思った。

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