note9周年ということで、ぷらーなのくせに自己分析してみた
先日にnote公式さまからバッジが届いたのですが、どうやら自分は、4月9日でnote9周年を迎えたようです。
長く休むことも特になく、なんだか9年も居座っております。なぜここまで続いたのか、ということを、自分なりにちょっと分析してみました。
理由は大きく分けて、3つだと思います。「みんなのおかげ」「運」「まぐれ」「ヒマだったから」「たまたま」「ダラダラしていたらそうなった」「そもそも居座っているだけでおまえは偉くない」など、説明しなくてもわかりきっている事柄に関しては省略します。
1.自分は何者でもないから
noteはクリエイターのためのSNSという触れ込みでサービスが始まりました。実際はもっと広義的な意味合いを持っているのでしょうが、基本的にはものをつくるクリエイターさんが集うSNSということになっています。
ものをつくるクリエイターさんとはつまり、小説を書く人、詩を書く人、俳句を詠む人、絵を描く人、音楽を作る人、料理を作る人、朗読をする人、……まあ様々な分野があります。
その中で、たとえば小説を書くことを専門としている人なら、小説にものすごく労力をかけて、魂を込めて、そうやってできた力作をnoteに投稿するわけじゃないですか。それで反応が多ければいいけど、少なかったらやはり落ち込むと思うのです。
小説に対して本気であればあるほどそれは大きいだろうし、自分には小説しかないと腹を括っていればいるほど辛いと思う。小説を例に出しましたが、絵でも音楽でもそうなのではなかろうか。
それでいえば、自分は何にも特化しておらず、なんのエキスパートでもない。別に自分は小説の人じゃないし、マンガの人でもないし、ラジオの人でもない。
しいていえばおもしろテキストの人かもしれませんが、それも自分がいちばん気楽に続けられるからだというだけで、一応タグ付けはしているものの、なんだかエッセイと呼ぶのは恥ずかしい気がして、マガジンの名前も、ぜんぜんちゃんとした文面ではありませんから、ということで「カオスエッセイ集」という名前でお茶を濁しています。
つまり簡単にいえば、意識が低いのです。意識を高く持つことを否定はしませんが、自分は宙ぶらりんな状態のままがいいですね。
軸が硬すぎると捕まるのに体力がいるので、スポンジのようにふわふわした棒をふらふら振り回しながら生きていたいです。
などとほざいておきながら、一度エッセイ部門でおすすめに載ってみたいというミーハーな気持ちはあるので、たまに公式さまのお題にあやかります。
公式さまにおすすめされる内容のものとは明らかにテイストが違うことは自覚していますが、それでも一応あきらめてはいない。
2.ネガティブだから
え?ネガティブ?ポジティブじゃなくて?と思われるかもしれません。
ですが、前述のように、褒められるとかチヤホヤされることをあんまり想定していないので、思ったよりスキが少なければ「まあこのくらいが客観値かな」と思うし、伸びれば「うわやべー超うれしー」となります。あんまり自己の評価を期待していないのです。
……………………。
……………………。
……………………。
いやすみません、ちょっとイキりました。
まあ多少はね、俺のテキストおもしれーと自分で思っていることも正直ありますわ。でもそれってわたしの個人的な感想です。ひろゆきさんに論破されたら言い返せません。
投稿ボタンを押しちゃった時点で、それがおもろいかどうかは他者が判断するもの。
実際のところ、自分では気に入っているわりにあんまりウケなかったなーとか、意外とけっこう読まれているんだなーとか、想定から外れることも多々ありますが、それで激しく一喜一憂することはさほどありません。全くないわけではありませんけど。
・SNSも人も、どうせ変わるものだと思っている
2014年にnoteのサービスが始まった頃、クリエイターズSNSという触れ込みとともに、自分の記事に値段を付けて販売できる、というシステムが注目されていました。
それに着眼した初期ユーザーの皆様の多くは、試行錯誤をしつつ、どうすれば記事が売れるのかということを模索されているように見えました。
いちおう自分もサービス開始から2日後に登録したアーリーアダプターな古参であるので、当初はやはり売りてぇ、売れてぇという気持ちを抱え、実験的なこともしました。
当時はユーザー数も少なくて、目立つのはそんなに難しいことでもなさそうで、ちょっと無謀に思えることも、なんかできそうに見えたからです。
まあ、これは自分が当時まだ20代で若かったからというのもあるでしょうね(いや今でも若いし14歳ですが)。若さって素晴らしいし、後から振り返るとイタい。
著名人のユーザーさんもいらっしゃることはいらっしゃいましたが、最初からnoteに積極的に投稿されていたのは、とあるカリスマラジオDJの方くらい。その方も後に実質的にやめちゃったけど。
某めっちゃ有名なバンドのギターの方とか、某めっちゃ有名な少女漫画家の方とかも見つけたことがありますが、いずれもその方の知名度を考えれば絶対におかしいフォロワー数の少なさで、宣伝力が圧倒的に弱いというのがネックだったように思います。
あとアプリがすぐ落ちるとか、謎の引っ越し見積もりスパムとか、岡口撮りとかもあったのだけど、まあそれはそれとして、未発達なSNSだったのですね。岡口撮りに関してはググれば出てきますが、あくまで自己責任でお願いします。
いわゆるインターネットインフルエンサーさんはほとんどおらず、目に見えるユーザーさんの大半は、ここで初めて出会う、プロとアマを問わず、とてつもない才能を持った方たちでした。
そのような狭い、なおかつ、はっきりいって不安定なコミュニティであるからこそ、ユーザー間の仲間意識のようなものは強く、独特の温かみみたいな部分が確かにあって、それらを思い返すと懐かしくもあり、自分も楽しい、嬉しいことをいっぱい経験しました。
実際にお会いして、食事や酒をご一緒した方々もいますし、一時期よくやっていたエスパークイズという大喜利みたいなやつには多くの方が参加してくれて、自分でもこんなふうに、誰かを楽しませることができるんだという自信を付けさせてくれました。
それについては、今でも本当に感謝しています。
ただ、それはそれとして、時代は変わっていくもので、9年も経つと環境が変わるのは当たり前。
小学1年生だった子が、高校に願書を出すような時期。よっぽど特殊な事情がなければ、周りの人間関係も、世の中も変わっているはず。
noteは有名なSNSのひとつに成長し、某エモンさんや某おごられのプロさんなど、インフルエンサーの方がたくさんご活躍されていますが、9年前にたくさんここでお見かけした、才能を持った方々の多くはもう、どこかに行かれてしまいました。
Twitterでつながりのある方ならわりといらっしゃいますが、note上でも昔も今もほとんど変わらず交流がある……となると、もう3〜4名くらいしかいません。
ありがたいことに、新しめのフォロワーさんでコメントのやりとりの多い方もいらっしゃって、それはもちろん楽しいのですが、昔のnoteの雰囲気とはやはり違います。
昔はちょっと内緒話っぽくて、今は開放的というか。どちらが良いというわけではなく、単純に自分も変わっていったのだと思います。もうnoteでビッグマネーを掴むぜとか考えていないもんなあ。
ただ、ビッグマネーはともかく、個人が有料で販売できるシステムについては今でも面白いと感じているし、いずれまた挑戦しようとは考えています。
それが実現するのがいつになるかわかりませんが、まあいちばん自分がイタくて無謀だった2015年頃から7〜8年でもずいぶんと変わったので、いずれ自分でも予想していないような形で何かが起きるんじゃないですかね。知らんけど。
これはnoteに限らず、自分は基本的に、世界は勝手に変わるのが当たり前だという考えを持っています。
たとえば、マスクをした方が良しとされる世の中になった時も、確かにちょっとめんどくせえなとは思ったものの、頑なに拒否するまでには至りませんでした。
もっと前に、スマホのバーコード決済というものが世間に発表された際も、慣れている現金の方がいいよと言う周りのアドバイスなど無視して、PayPayとLINE Payとau PAYとセブンペイを全部ぶっこみました。
ええ、セブンペイに関しては、例の不祥事で自分も痛い目に遭いました……が、それも含めて、未来への学習なのだと。そして、そういうことを学習するためにできるだけ新しい物事には触れておかないと、自分が進化していかないのではないかと。
だからここ数ヶ月ほどTwitterの仕様がゴチャゴチャと変わったりしていますが、今のままのほうが使いやすいとは思うけれども、変わるんなら別にそれでいいよ、未来はイーロンさんの手の中にあるのだから、というスタンスです。
どう足掻こうが地球は回っているし、時間は過ぎているし、我々は歳を重ねるのです。ならばそれに逆らうよりも、すべては無理でもいくらかは受け入れていくべきなのではないか。
エヴァに乗るのは死ぬほど嫌でも、エヴァに乗らないと変わらない未来がある。おい話が壮大すぎてわけわかんなくなってきているぞ。noteはどうした。
まあ未来には進みたいですが、懐古厨で老害でインターネット中年なことをひとことだけ言わせていただくとですね、Twitterはいいねもいいけどふぁぼ、noteのスキは♡もいいけど☆だった頃が好きかなあ、なんて。
まあ、変わっちゃうのは当然だから、今を楽しむんですけどね。
……という感じで、誰の参考にもならんのではないかと思いますが、ぷらーなのnote9周年の自己分析でした。
サウナはたのしい。