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下品は伝染する

人はみんな、何かしら他人の影響を受けています。

誰からの影響も受けていないという人はいないはずです。まず、言語を扱うという時点で先人を真似ているし、身体を使って移動することも先人を真似ているし、息をすることも先人を真似ているし、生きている時点で先人を真似ています。

大人になってからも影響というものは受け続けます。5歳まで馬に育てられたというパーク・マンサーさんだって、後に小室哲哉さんの影響を受けて軟式globeを結成しました。

良いものの影響を受ければ、新しい良いものが生まれます。軟式globeの生み出した数々の替え歌が「学校へ行こう」の視聴者に受け入れられたのは、原曲であるglobeの『Love again』が素晴らしかったからです。

しかし、逆にいえば、悪いものの影響を受ければ、新しい悪いものが生まれます。腐ったものを食べると腹具合が悪くなるように、下品なものを見ると、自分もだんだん下品になっていきます。

ここでいう下品というのは、ちんちんに象さんを書いたり、ちんちんをいなりずしと呼んだり、ケツを出して反復横跳びをしたりする、野原さんちのしんちゃんみたいなことではありません。最近はもうケツ出し以外はやっていないみたいですが。

そうではなく、人間的に下品ということです。悪口や文句しか言わない人、駅員や店員に怒鳴り散らす人、著名人が亡くなったら即座にネタにする人……。

自分の基準ではそういうものが下品だと思うのですが、近くにいるとどうにも影響を受けてしまうものです。周りの人が言っている他人の陰口に、つい乗っかっていってしまうという経験は、けっこう多くの人が持っているのではないでしょうか。

学校や職場など、ひとり嫌われている人がいれば、そいつを除け者にすることで謎の一体感が生まれることが実際にあります。共通の敵を作ると共感を引き起こしやすい。

あと、自分の立場を明確に作れて、守りに入れるというのもあるでしょうね。怒鳴る人の心理もたぶんそういうところでしょう。威圧感を示すことで、自分の位置をどうにか守りたいのです。

この、怒鳴る人、自分は昔からどうにも苦手です。というか、得意な人は存在するのでしょうか。なんとも思わない、という人はいるでしょうが、好きな人はあんまりいないはず。

他人に罵られ虐げられる趣味嗜好を持っていたとしても、それは麗しき方に罵られ虐げられるから嬉しいのであって、どうでもいい奴に罵られ虐げられるのは苦痛でしかない。

ラグーン商会のレヴィさんになら殺されてもいいけど、大阪駅のエスカレーターで向こうからぶつかってきて逆ギレしてきたおっさんに叱られるのはムカつくだけである。

これを避ける方法は、できるだけ怒られないように常日頃から注意を払うことですが、世の中には空が青いことが気に食わないという人も存在するし、怒りたくないけど怒らずにいられないという人もいる。

それは無差別にいる。特に大阪駅なんて、無限に人がいる。どこに潜んでいるか、まあわからない。

ウォーリーみたいに赤と白の縞の帽子を被っているという特徴があるとも限らないので、道中でウォーリーがうっかり落とした文庫本を探すよりも難易度が高い。

というかあの人はなぜリュックにはみ出すほどの大量の本をわざわざ担ぐんだ。駅のロッカーを使えよ。あれだけしょっちゅう海外旅行をしているセレブなら、ロッカー代の数百円なんて余裕で持っているだろうに。

ウォーリーの経済事情はともかく、怒りというのは、世界が不穏な時よりも、むしろ世界が平和になってきた時に出てくるという印象があります。

2年前、例のアレのせいで我々は自粛生活を余儀なくされました。マスクを着けることが常態化し、アルコール消毒がほとんど義務化されました。

それの是非はともかくとして、あの当時は意外とあんまり怒っている人を見かけなかったように思います。まあ、そもそも街中に人がいなかったわけですが。

意外なくらいに、基本的にはみんなおとなしく家に籠もっていたということ。一致団結というのはあんまり好きではありませんが、それを徹底しようと思えばできるものなのか、ということを実感した時期でした。

それから2年。

例のアレはもはや日常の一部のようになってきて、街には人が戻ってきました。でも本当はそういう時こそ危険で、心の構えがゆるくなり、他人に流されやすくなる。

できるだけ下品にはならないように気をつけようと思いました。サウナ後の整った脳内で。満月の夜の銭湯はいいぞ。


サウナはたのしい。