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母親の親友の死

仮想通貨に関係ない話です。
ちょっと色々と考える事があり、書き残したいと思います。

私の母親の親友(以下、敬愛の意を込めて「おばちゃん」と書きます)が「69歳」という若さでお亡くなりなられた。母親が小学校3年生からの親友で「小学校・中学校・高校」と一緒だったようだ。私の母親も同年齢。

私も小さい頃から大変可愛がって頂き、結婚式にも参加して頂いたくらいに付合いが深い方です。そして、そのおばちゃんには、一人娘さんがいます。

このおばちゃんの葬儀に参列させて頂いたのですが、ちょうど母親と同年齢のおばちゃんが亡くなると、自分の母親もそういう年齢になってきたのかと考えてしまった。。。。いまだに亡くなったという実感が私も沸いてない。それもそうである私の母親と同年齢なのだから。。。

私の両親は共に健在だが、おばちゃんが亡くなったことによって、両親の死というものも年齢的に思うと、他人事ではないと痛感してしまった。私は自分の両親に対して、育てて頂いた恩返し等を出来てるだろうか。両親のしたいことをして上げていることが出来ているだろうか。と考えてしまう。

「恩返ししたいと思った時には、親はいない」と言いますが、本当にそうなのかもしれない。一人娘さんも告別式の挨拶時に「母には色々としてもらったが、私は母に恩返し等をしてあげられなかった。してあげたかったことが一杯あった」と述べていた。この言葉は私の心に突き刺さるものが強くありました。

私自身の立場に置き換えると「そうだな。恩返し等がまだまだ足りてないな」・「してあげたいことも全然出来てないな」と考えさせられてしまった。

また私自身、一人娘なのですが。。。。

これもおばちゃんの状況ににており、おばちゃんは一人娘だから、何かあっても良いようにと「余命宣告を受けたその日から、本格的に自分で色々と葬儀段取りやら相続関連の手続の段取りを進めていた。そして終活として、徐々に準備も進めていた」とも述べていた。

そう考えると私自身に何かあったことを想定して、そういう準備が出来ているのか?と考えさせられてしまった。

〇子供の立場として、両親に対しての恩返し
〇親の立場として、子供に対してできること

私はどちらもできてないのでは?と痛感してしまった。今回のおばちゃんの死により、両方の立場から色々と考えさせられた。。。

一日一日を大切にして、「子供の立場として自分・親の立場として自分」と、両親や娘と向き合う事ができているのだろうかと、考え反省をした部分が多くあった。そして、大切に一日一日を生きないとダメだと思った。

過去の自分をもっと見つめなおして、両親や子供に対してしてあげられること、そして係わる人に対してしてあげられることを、もっとしないとならないと痛感した。。。

私にとって、自分を再度見つめ直す本当に良いタイミングであったのかもしれない。。。。

文末になりますが・・・・

心からお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。

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