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あの角を曲がれば、君。

近所にほっともっとというお弁当屋さんがあって、私の体調が悪くてご飯がつくられないときとか、誰かが熱を出して、夕方病院に駆け込まなくてはならなくなったときとか、とてもお世話になっている。
今の家に引っ越して、近所にお弁当屋さんがあるらしいと知ってはいたものの、なぜか長らく足が向かず、ある時友達に、「ほっともっとを利用しないなんて信じられない」と言われたのだ。
とってもおいしいからぜひ利用したほうがいい、と彼女はほっともっとについて生き生きと語っていた。

以来、たびたび利用するのだけど、毎回ありがたみがすごい。
スーパーのお惣菜を利用することはある。
外食することもある。
けれど、ほっともっとで得られる救世主に救われたようなあのありがたい感じは他では得難いのだ。
日曜日、私は朝から酷い枯声で、身体も鉛のように重かった。風邪をひいたらしい。それに加えて生理一日目という弱った体にボディブロー。そして、子どもたちはショッピングモールに行きたいと飛び跳ねていた。

夫は子守を買って出てはくれたものの、息子は「ママも一緒に行こう」とうるんだ瞳で訴える。
私は息子に弱い。重たい身体を引きずって支度をすませ、外に出る。
体調が悪すぎて日光も外気もすべて身に染みる。関節が痛い。皮膚の表面が痛い。のどが痛い。声が出ない。

夕方、渋る子どもたちをなんとかなだめて帰宅する。もはや、振り絞ってもなんの力も出ない。私を使い切ってしまった。

「お弁当買ってきて」と夫に伝えてお布団へスライディング。少し仮眠すると夫がお弁当を買ってきた。ほっともっとで。
ほっともっとの素晴らしい点はできたてであることだ。
野菜炒めもしゃきっとしていておいしい。
子ども用のおにぎりも握りたてとわかるあたたかさ。
誰かが作ってくれたものだという実感にありがたみがすごい。
そして、それを家で食べられることでさらにありがたみが増す。
弱った身体で小さい三人を連れて外食するなんて骨が折れすぎて複雑骨折してしまう。
そのありがたみは、実家の母が(ありえないけど。とても遠いので)飛んできてタッパーに入れた煮物を持ってきてくれるより、家に来てごはんをつくってくれたりすることより上だ。
お金で外注しているから申し訳なさも気遣いもいらないし、そして洗い物が出ない。

こんなに美味しくてありがたくて便利なものがあるのだからいっそごはんなんてつくらなくてもよい、毎日外注だ!ってできる柔軟な心があればよいのだけどね。
どうしてなかなか。

でもきっと、またお世話になるよ、ほっともっと。
困った時は君がいる、その事実が重要なんだ。

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