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整うわたし #呑みながら書きました

免許の更新ができなかったのはいったい誰なのかと思うほど、ここ数日の私はえらい。
あ、前回の呑み書きのときも、私ってば、私がえらかった話書いてたね。
まぁ、あれはそれ、これはこれ。

ここ数日の偉いには理由があって、まこさんとか、ヨリさんとかマイミさんがね、お掃除アドベントカレンダー?みたいなのをTwitterでやってるのだ。ここんとこ。

でね、それがちらほら視界に入ると、「あぁ、マイミさんちは今日もまたひとつきれいになったのだなぁ」とか、「まこさんまた断捨離進んでるねぇ」とか、「ヨリさんのお子さんは持ち物をアップデートしてもらってうれしいだろうなあ」とか、整っていくよそのおたくに思いを馳せてしまうのだよね。そして、「よし、来年の目標は“整える”に決めた」と私にしてはとても進歩的なことを思ったりもして。

でも、この家が整うことなんてこの先あるのかしら、いったいどうやったら整うんだろうか、とぐるんぐるん頭の中を巡らせていたら、はたとあることに気がついた。
私、その昔はとても片付いたきれいなおうちに暮らしていたのでした。よ。
あれはOLだった頃、現夫と同棲していた頃、そして、新婚の頃、長女がまだ1歳くらいだった頃、私はいつもそれなりにきちんと片付いて整ったおうちに暮らしていたのだ。
いったいいつからこんなことになったのかしら。こういうものと、いつのころから諦めていたのかしら。

そう気がついたら急にめりめりやる気が湧いてきた。
私の中にあったちゃんとした部が、急に「やあ」と顔を出した感じ。

こうなるともう止められない。
来年なんてぬるいこと言ってる場合ではないのだ。今日、この瞬間からさあ始めよう、つって、何かの合唱曲みたいな思いがこみ上げた。
ここ数日見て見ぬふりをしていたあらゆるものを片っ端から片付けた。息子がおった無数の紙飛行機とか、もう見れない傷だらけのDVDとか、いらなくなったハンガーとか、あらゆるものを捨てて、捨てて捨てた。
こんなに捨てるものがあるとかなに。こんなに大量のごみと私、一緒に暮らしてたの、と愕然とする。
あらゆるものを捨てまくって、片付けて、家中がすっきりしたら、暮らしぶりもなんだか少し整った。
整うとなんでもかんでもやる気が出てしまって、またひとつまたひとつと断捨離に力が入る。
こうなるともはや、毎日ひとつ、のアドベントお掃除ではないんだけれど、毎日ひとつなんてぬるいテコ入れではびくともしないのが我が家なのだ。
このペースがきっと適正。

*

そんなこんなで、ここ数日の私がとてもえらい、のだ。
今日の夕飯なんて、聞いて、メンチカツだよ?
めんどくさい食べ物選手権、堂々1位のメンチカツだよ?
キャベツをみじん切りするのも面倒だし、塩もみして水気を切るのも億劫だし、丸めたそれをそのまま焼きたい衝動と戦うのも苦しいし、そこを乗り越えて終始、このまま焼きたい、を胸に抱きながら衣をつけるのもとても大変。
さらに、ハンバーグみたいに最悪煮込めばいい、というセーフティネットもないから、火の通りが不安で心労も絶えない。なんて難儀な食べ物なんでしょう。メンチカツ。
それを20個も作ったのだ。どうしたの私。
向こう3年くらいはつくらないと思うな。でもおいしかった。

暮らしぶりが整ったことによって、最高にめんどくさい献立だってこなせてしまう。
でもそんなめんどくさいメンチカツだって、あんなに手を煩わせたっていうのに、一品にしかならないところが罪深いよね。
副菜もちゃんとつくったよ。整ってるから。ほら。

*

そのメンチカツは昨日の夜に仕込んでいたので、今日はそれなりに余裕があった。その余裕があった私は今日何をしたと思いますか。
なんと、午前中のうちにお昼ごはんをつくって、そして、床を磨きました。
どうしたの私。
セスキをシュッシュして、ごしごしして、床がひと皮むけたようになった。そして、二階のおもちゃ部屋を徹底的に断捨離した。また驚くべき程のごみが出たよ。どれだけ出るのかな、ごみ。
その後はいつもの土曜日。長女を習い事に連れていって、帰っておやつを食べて、夕飯の支度をして、食べて食べて、お風呂に入って、夫がそのうち帰宅して、子どもたちみんなおねんね。

この整った感を持続し続けてよいお年を迎えたい。
そして来年も予定通り、整った暮らしを手に入れたい。

ヨリさんマイミさん、まこさんありがとう、おかげでくらしががらりと変わったよ。いまなら「丁寧な暮らし」のハッシュタグを我が物にできそうな勢い。
いつまで続くか分かんないけれど、なるべく長く続きますように。

今の私だったらきっと免許の更新だって、しゃしゃっとできたと思うんだ。
ほら、整ってるから。

また読みにきてくれたらそれでもう。