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子を愛せないのはなぜか

完成された極めて例外的な存在は除いて、人間に完璧な人などいません。何においてかといえば、人を愛する能力です。

私たちは、かなりの頻度で自分のためにならないことをしていることに、多くの人が気づいているものです。そんな未熟な自分を抱えながら何とか向上しようとするのが、私たちの多くが理想とするあるべき姿なのかもしれません。

人として最も大事なのは人を愛するちからだと、私は信じています。計算が早くても、力持ちでも、いかに独創的なアイディアが出せても、人を愛するちからが伴わなければ、誰の福利にも貢献しないばかりか、その人自身が不幸を感じるからです。現象も伴いません。

誰も不幸になりたいと願う人はいません。もしいたとしても、それは更に別の苦痛を和らげるための、苦しい戦いのように思われます。人に苦痛を耐え抜くことが難しいのは、自らの本性、言うなれば魂の本質を否定した状態は、そう長くは続かないからです。経験上、これはもはや法則ともいえます。

子供を愛せないのは、愛されなかったという情報の蓄積があるから

心とは、言ってしまえば情報の集積です。人は自分が経験した通りの人間になるものです。わかりやすい例えで言いますと、自分が若い頃に経験したように、若い人に同じ経験をさせようとする、というのがあると思います。ある情報をインプットしたら、それ以外の情報をアウトプットすることは不可能です。

まるでコンピュータのようですが、コンピュータは心の模倣品みたいなものなので、まさに心がそのようなものなのです。ですから親にされたことを無意識のうちに我が子にしていることに気づいた、というときは、この現象が起こっているということです。

子供を愛せないと感じるならば、愛された経験がなかったか、もしくはネガティブな経験の記憶が覆いかぶさって見えなくなっているからだといえます。

愛着課題の乗り越え方

多くの場合、見失った愛情の落ち穂拾いをすることで、自分が愛されていたことを思い出します。そうして親に対する憎しみや葛藤を乗り越え、人格的にも大きく成長することができます。これはまさに、冷静に振り返る力、すなわちマインドが、「私はこんなことをされた!愛されなかった!」と繰り返し叫ぶ情緒を把握し、包み込む瞬間と言えます。

しかし本当に親から何も得られなかった場合、もしくは今まさに親からマイナスの情報を与えられている人においては別です。その人の場合、問題のあった家族との和合は絶望的なことが多くあります。

その場合、家族とは別の人たちとの関わりの中で、健全で思いやりと愛のある関係という情報をたくさんたくさん入れる必要があります。例えば、毒親に育てられて身も心もボロボロにされたが、素晴らしいパートナーと出会い、その関係において徐々に人同士の温かい関係を取り戻してゆく、といった具合に。

このいずれにおいても、キーワードとなるのは”情報の書き換え”です。何だか機械的で味気ない印象がありますが、そもそも心とはそういうものです。それは常に移り変わり、変化しないということはありません。

心とは確かに人の経験を支える重要なものですし、魂の愛を反映した心は否応なく素晴らしいものです。しかし心によって苦しんでいる場合、その性質について冷静に見ることは役に立ちます。

そしてこの書き換え作業は、意識的に行わない限り、変化にはかなりの時間がかかると考えます。病気の体には意識的な休息と、計画された治療プログラムと、他ならぬ本人の意志と主体性が必要なように、心においても同様の取り組みが必要と言えます。

乗り越える際に働く、核心的なもの

心が情報の集積なのであれば、心を、ひいては自分を変えようという動機はどこからやってくるのでしょうか。

それは今のところ私の経験上、心という情報を超えた魂からやってくると言わざるを得ません。
最初の話に戻りますが、人が幸福やより高い次元を常に求め続けるのは、魂の衝動がそうさせるからとしか言いようがありません。

魂というと、自分の内側という印象を持ちますが、自分の意識していない部分でもそれは働くことがあります。例えば見知らぬ誰かの言動が、自分のあり方を変える決定的なきっかけになったり、魂の働き方は一様ではありません。

セラピーを希望される方にも、そういった魂の力が働いているのをよく感じます。心という情緒性質は魂の要求に対して抵抗し、自分が変容することに頑なに恐怖するものですが、セラピーを希望することはもちろん、帰られた後にも、環境の変化が生じて、ご本人の変容につながるケースは多々あります。変わっていく時というのは、砂つぶを静かな波がゆっくりと押し流してゆくような印象を持ちます。どんなにエゴが騒いで抵抗しても、さあっと流されてゆく、そんな感じがします。

そう考えますと、魂というのはどうにも自他という枠に収まらないもののように感じます。私はこの魂の力を感じながら、それがどのようにご本人の中で展開していくのか、この辺りを常に意識しながら面談をさせていただいています。

自分のセラピーは何なのかな、と振り返りますと、情緒のもつれを冷静な識別力によって解きほぐすお手伝いをしながら、魂の大きな流れに沿って進んでゆく力を感じる、というスタイルなのかもしれません。

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