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防衛的悲観主義とは?

僕のことをよく知らない人から見ると、僕は楽観的にみられることが多い。

しかし、実のところ、僕自身は『自分は悲観的な人間だ』と思っている。

基本的にネガティブで保守的な人間だと自分では思いつつも、周りからはそう見えないらしい。

この自分と周りとの見え方のギャップは何なのかと、少し考えてみた。

その結果、『防衛的悲観主義』という、一旦の結論が出た。

『一旦の』と書いたのは、これも間違っているかもしれないからだ。

もっと正確に、その時点での僕のことを示すことのできる言葉や概念があるかもしれない。

しかし、現段階では僕はそれを知らない。

だから、一旦『防衛的悲観主義』という概念を使って、自分から見た悲観性と周りから見た楽観性の間のギャップを説明したいと思う。

『防衛的悲観主義』という言葉を初めて聞くという人も多いだろう。

防衛的悲観主義者とは、物事を悪い方に考えることで成功している適応的な悲観主義者のことを言う。

元プロボクサーのフロイト・メイウェザー・Jrなんかは防衛的悲観主義者かもしれない。

彼はかなりの臆病者で、試合中、自分が当初立てていたプランで勝てるとは思っていない。

なので、いくつもプランを用意しており、試合の中で何度もそのプランを変更していた。

フロイト自身もとあるインタビューで『プランAで勝った事はない、常にプランB、プランCで勝っている』と述べている。

他にもオリエンタルラジオの中田敦彦さんもそうかもしれない。

武勇伝のリズムネタはテンポが早いので失敗することももちろんある。

そんな起こり得る失敗を予測し、そうなった時にどうするかを考え、相方にも共有していた。

そんな感じで防衛的悲観主義者は楽観主義者のように『何事もうまくいく!』とは考えていない。

もはや、『以前うまく行ったから今回もうまくいくだろう』とすら考えていない。

例え、やることが同じでも前回と今回では異なる要因がたくさんある。

それらを加味して、前回はうまくいったかもしれないが、今回はうまくいかないかもしれないと思い込んでいる。

そして、うまくいかないシナリオばかりが頭に浮かんでくる。

例えば、僕の場合、研修を作っていても『ここで流れを忘れてしまったらどうしよう』とか『参加者が退屈そうにしてたら嫌だな』とかそんな最悪なシナリオばかりが頭をよぎる。

だから、僕は研修の内容をかなり熟考する。

どんな場面でも対応できるものを作ろうと考える。

そうすることできちんと準備をし、不安を回避しようとするのが『防衛的悲観主義者』である。

この防衛的悲観主義はパーソナリティのようなものではない。

一貫してその人が持つ性質ではないので、どの場面・状況においても悲観的と言うわけではない。

ある一部の重要な局面においてのみ、この『防衛的悲観性』が発揮される。

例えば、さっき言った研修であったりプレゼンテーションであったり、大学の課題であったり、そんな物の時はかなり悲観的になっているだろう。

逆に新しいことを始めたり、それこそ海外に行くことに関してはそこまで悲観的にはならない。

『違う』と感じればやめればいいと思っているからだろう。

さほど重要でないことについて悲観的になる必要はない。

不安ほど居心地の悪い感情はないのだから。

『防衛的悲観主義』が良いかどうかは分からない。

だからと言って、それをやめて急に楽観主義者になる事はできない。

もしかすると、この記事を見て『防衛的悲観主義者』が良いと感じた人もいるかもしれない。しかし、そう感じた人はおそらく防衛的悲観主義者ではない。

なので、無理にそうなる必要はない。

ただもし、あなたがただただ悲観主義者なのであれば『防衛的悲観主義者』になれるかもしれない。

そのためには、まず先に起こるかもしれない事への不安に対して行動することが大切である。

ただ、不安に苛まれて落ち込んでいる場合じゃない。

だからこそ準備ができるのだ。だからこそ成功できるのだ。

防衛的悲観主義とは?


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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