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オッペンハイマー(2023)

世界が注目した原爆開発者の実像
改めて伝えたい核兵器開発の愚行

原子爆弾の開発者であるアメリカの物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーの激動の半生を映画化した話題作。

2023年7月、本国アメリカを皮切りに、全世界で公開されましたが、日本で公開されたのは、8ヵ月以上経った2024年3月から。映画を製作したユニバーサル・ピクチャーズの従来の日本での配給を手がける会社とは違う会社が、日本での配給に名乗りを上げ、さまざまな議論と検討が重ねられた結果、ようやく日本公開が実現したそうです。

本作で描かれるのは、第2次大戦下、原爆開発にまつわるアメリカでの出来事。映画の主眼であるオッペンハイマーが率いた原爆開発の過程は、やがて日本に想像を絶する苦しみをもたらすための道程でもあります。だから、「世界で唯一の被爆国」という重い背景をふまえると、やはり日本では、原爆開発者の映画に対して不快感をぬぐえない人は多いでしょう。

そして、今また戦禍に苦しむ国があり、世界で核兵器の脅威が高まる中で、原爆開発の歴史をひもとくことに対する違和感も否めません。話題性に乗じたヒット狙いといった、映画製作者の目先の利益では決して描いてはいけない題材ではないかと思い、私はこの映画を観ることにためらいがありました。

でも、やっぱり「観たい」と思ったのは、クリストファー・ノーラン監督の作品だったからです。定番のアメコミをフィルム・ノワール風の重厚なアクション映画へと激変させた『ダークナイト』(’08年)を始め、SFアクション『インセプション』(’10年)、『TENET テネット』など、時系列を巧みに操作し、緻密に練り上げられたストーリーと独創的でドラマチックなアクションシーンは作品ごとにグレードとスケールがアップ。豊かな才能に溢れたノーラン監督の映画は、どんな内容であっても気になります。

たった1発で何十万人もの命を奪うことができる原爆。戦争の大義の下とはいえ、前代未聞の〈悪魔〉の兵器を生み出したオッペンハイマーという人物を描くことは、パンドラの箱を開けるようなことになるかもしれません。大きな社会的議論をもたらすことが必至の映画プロジェクトに、ノーラン監督は冷静に取り組みました。

【ストーリー】
原子爆弾を開発し、アメリカに勝利をもたらした功労者として賞賛を浴びていたオッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は、赤狩りの嵐が吹き荒れる1954年、ソ連のスパイ容疑をかけられ、秘密聴聞会で追及を受けていました。その真偽のほどを見極めるために、彼の家族や、原爆開発に携わった学者仲間、米軍関係者などが次々に証言する中で、オッペンハイマーの過去と人物像が明かされていきます。

第2次世界大戦前・中・後を舞台に、ノーラン監督得意の時系列を交錯させたストーリーは、カラーとモノクロの2つのパートに分かれており、オッペンハイマーと原爆開発に関する基本的な情報を知らないと、とても分かりにくいです。

解説によれば、カラー部分はオッペンハイマーの視点で、主に戦前・戦中の出来事、モノクロ部分はAEC(米国原子力委員会)の委員長ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr)の視点で、主に戦後の出来事とのこと。戦後のシーンでは、オッペンハイマーの公聴会に加えて、1959年にストローズがアメリカ商務長官に任命される際の公聴会が描かれます。彼は一躍、時の人となったオッペンハイマーをAECの顧問に任命していたことで、公聴会でオッペンハイマーとの関係を聞かれることになります。

原爆投下後の日本の惨状を知り、原爆の恐ろしさに慄き、水爆開発反対の立場を取ったオッペンハイマー。彼の行為が自身にもたらした苦難と贖罪の日々を描くために、2つの公聴会は重要なシーンとなります。

ストローズの公聴会でのクライマックスシーンは、どんでん返しのある、映画的には見応えのある展開となっています。陰湿で野心家のストローズを存在感たっぷりに演じたロバート・ダウニー・Jr.は、その演技を高く評価され、米アカデミー賞では助演男優賞を受賞。薬物依存から立ち直り、エンタメ映画のアクションヒーロー役で復活した後、オスカー俳優まで登り詰めたことは、素直に感心しました。

とはいえ、私は2つの公聴会パートの状況が掴めず、少々退屈でした。やはり興味を引かれたのは、オッペンハイマーの人物像と、原爆開発の極秘プロジェクト「マンハッタン計画」の経緯。険しい自然の中に設立された秘密基地、ロスアラモス国立研究所で一体何が起こっていたのか……。

ノーラン監督の描いたオッペンハイマー像は、青白く、細面の見るからに神経質そうな風貌に違わず、精神的に不安定。ケンブリッジ大学留学時代には、劣等感や孤独感から教授を殺そうとするほどに心を病んでしまったり、私生活では、既婚女性と略奪婚をしたり、元恋人と逢瀬を重ねたりと、無気力そうに見えて、常識はずれな大胆なことをします。おそらく、物理学のこと以外は、「考えが浅いのかな~」という印象です。それでも、科学者としては天才的な頭脳飽くなき探求心を持ち、またユダヤ人の出自であることから、米軍が躍起になって進める原爆開発のリーダーとなり、ついに成功させます。

ヒトラー率いるナチス・ドイツが核分裂を発見したことから、世界の核開発競争は加速度的に進みました。ナチス・ドイツの核兵器使用を阻止するために、米軍は原爆の開発を急ぎましたが、ナチス・ドイツ軍が降伏したことから、米政府は日本を標的に定めます。

すでに敗戦が濃厚だったことを知りながら、日本に原爆投下の決断を下す様子が描かれ、私は胸が痛くなりました。日本が唯一の被爆国なら、アメリカは唯一の核兵器を使った国。その非情さをまざまざと見せつけられました。そして、「もっと早く降伏していれば……」、日本側にも、あの悲劇を回避できる術があったという状況を思うと、やり切れない思いがします。

本作では、原爆のリアルな恐ろしさは、原爆投下のわずか3週間程前に行われた人類初の核実験「トリニティ」の緊迫感あふれる映像に凝縮され、日本での惨禍は描かれていません。そのため、原爆の悲惨さが伝わらないという批判があるようですが、無慈悲な決定をした政府や、原爆投下の末の勝利に湧き立つ国民など、原爆投下を肯定したアメリカ国内の光景を描くことは相当な決意だったでしょう。恐ろしいのは原爆以上に、それを使う人間です。人間が〈悪魔〉に魂を売る行為は二度とあってはならないのです。

上映時間3時間にわたり描かれたアメリカの原爆開発の顛末。オッペンハイマーを人間に火を与えたギリシャ神話の男神プロメテウスになぞらえた抽象的なイメージを随所に盛り込み、ノーラン監督ならではの趣向を凝らした力作は、原爆による犠牲の大きさを知り、戦後、自らを「死神」「世界の破壊者」と呼ぶまでに深く後悔するオッペンハイマーの姿を通し、核兵器開発の愚かさを示しました。

本作は、米アカデミー賞で作品賞を含む7冠を獲得した他、世界中で数々の賞に輝き、優れた作品とされています。確かに、世界初の核兵器開発の背景は興味深く、不気味な時代の空気感をまとわせた、スリリングな展開に引き込まれました。

しかし、オッペンハイマーがどんなに苦悩し、人生をかけて贖罪をしたとしても、アメリカは戦後間もなくさらに強力な水爆開発に乗り出しました。そして、核兵器開発競争は世界に広がり、21世紀の今なお、続いています。その事実を鑑みると、この映画に物足りなさを感じてしまいました。

映画にこの世界を変えるまでの力を望むのは無理なことだとは思いますが、今の時代に描くのならば、誰もが「この映画に描かれたことはニ度と起こってはいけない」と思えるほどの圧倒的な強いメッセージが欲しかったと思いました。

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