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囚われの身だったなんて知らなかった

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

僕は、自分の事を「食へのこだわりが少ない」と自覚しています。
外食時に何を食べようかメニューで迷うことがあんまりないことからそう思っているんですが、いつも一つだけ迷ってしまう事があります。

それは、大盛りにするかどうか。

これだけはいつも迷います。
「せっかく美味しいものを食べても物足りなかったら嫌だなあ」とか「お腹空いてるからたくさん食べたいなあ」という思いが先行しているのか、注文時にはついつい「大盛りで」とか「L サイズで」とか言ってしまいそうになるんですが、最近では一呼吸おいて、「本当に大盛りが食べられるのか?」という問いを自分に投げ掛けてみます。

外食時の大盛りは、若い頃は当たり前に頼んでいました。並盛りでは全く物足りなかったからです。その頃は、今とは比較にならないくらい日常的に運動をしていたというのもあるんでしょうが、外食時は「質より量」のスローガンを明確に自分の中に掲げていました。それでも、朝昼晩きちんとガッチリご飯を食べていたのが懐かしい感じです。

今はとてもそんな風には食べられなくなりました。お昼にうっかり食べ過ぎた時には、晩ご飯が食べられないくらい満腹が続く事もありますし、おやつ時に「小腹が空いたなあ」と、うっかりおやつを食べ過ぎると、これも晩ご飯に影響を与えます。
もちろん年齢的なこともあるんでしょう。消化機能が衰えてきたとか、代謝が落ちてきたとか、そういう事もあるでしょう。単純に、運動量が少ないというのもあるんだと思います。

ここまで書いてみて、自分の体が加齢とともに変わってきているというのを自分でもハッキリと認識しているんだなあとあらためて感じました。
「体の変化=昔に比べたらそれほど食べなくてもよくなっている」
それなのに、外食時には大盛りにするかしないかでなぜこんなに迷うのか?
自分で書いておきながら、整合性が取れていない事に気づいてしまいました。と言うか、前から気付いていた事なんだと思います。

これはきっと、自分の中の「大盛りを頼んでたくさんご飯を食べるキャラ」という、自分自身が守りたいと思ってるキャラクターを何とか保とうとしてる行為なんだろうなあ。恐らく、このキャラ設定が自分を形作るための重要な要素なんだと誤解したまま修正できていないんだろうなあ。

もう少し言えば、「たくさん食べる人は男らしい」とか「たくさん食べるのは強さの
象徴」とか、まるで昭和のプロレスラーとか『グラップラー刃牙』の世界観をそのまま自分にも当てはめているそんな価値観に基づいているんじゃないかなあと。
だからこそ、40代半ばになって、明らかに昔よりも食べる量が減っているのを認識しているのに、いまだに大盛りを頼むかどうかでいつもいつも迷ってしまうんだと思います。

こういう「現状の自分に合っていない」とか「過去に囚われた」信念に基づく行動やが自分の中にあることに気付く瞬間が時々あります。
こういう時って、「自分についての新しい発見ができた!」っていう喜びももちろんあるんですが、それよりも「嗚呼、俺という人間は、このような囚われによる愚行を何度繰り返せば気がすむのか…」という落ちこみの方が大きいんですよねえ。

とは言え、囚われからの解放がまた一つできたので、自分自身のアップデートかできたと言うとても前向きで未来が明るくなる出来事だから良しとしておきましょう。

これからは、「大盛り」にしようかどうしようか迷う事は…(皆無とは言わないが)…今までよりはグッと回数が減ることでしょう。きっと。






あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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