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どんどんおくってあたえちゃおう

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「でも、利益も大事だから~」

色んな経営者の方と“経営”についての話をする機会がそれなりにたくさんあるんですが、ウチの仕事柄“経営”を組織や人の面に焦点を当てた話をすると、冒頭のような言葉から始まる“反論”を投げかけられることがよくあります。

そういう話をされる度にいつも思うのは、

「“利益なんて大事ではない”という話をしたつもりは1㎜も無いけれども、きっと“そういう話をされた”と受け取られたってことなんだろうな」ということです。

思い返すと、他社の経営者の方と“経営”についての話をした時に冒頭の言葉を言われなかったことは数える程しか無かったように記憶しています。

そんなこともあったからか数年前からは、

「組織や人に主軸を置いて経営を考えるということは“利益を獲得するということと相反するモノである”という考え方が経営者界隈では主流ってことなのかもしれないな」

なんてことを思うようにもなっています。

とは言え、

“組織や人に主軸を置いて経営を考える”という話に対して「でも、利益も大事だから~」という反論を受けるのがなぜなのか?については、今のところ僕には全く理由はわかりませんが、これまでに聴かせてもらってきた“そういう話”を総合的に考えてみると、もしかしたら“時間軸の長さ”だったり“贈与と交換”だったりの話なのかもしれないと考えています。

“組織や人に主軸を置いて経営を考える”となると、いわゆる“利益の増大”という成果が出るまでには少し長めの時間軸で経営を考える必要が出てきます。

もう少し言えば、組織や人に投資をしたとしても数か月とか“今期内”で“利益の増大”という成果が出るかと言えば、その組織や人の“現状がどうなのか?”にもよりますが、大抵は「それはなかなか難しい」というのが現状です。

“利益の増大”という成果を数か月から今期内に獲得しようと考えたら、“組織や人への投資”よりももっとずっとお手軽(に見えそう)な手段が幾つか見つかるのかもしれません。そして、そんな“お手軽(に見えそう)な手段”が見つかったとしたら、「そっちの方が“利益の増大”には良いだろう」となるのかもしれません。

そんな“時間軸の長さ”という観点と同時に存在するのが“贈与と交換”の観点なんじゃないかと思っています。

例えば、“組織や人への投資”と呼ばれるような経営活動とすると、“組織への投資”であれば、“制度・仕組みの構築”や“心理的安全性の涵養”などの時間がかかる取り組みが代表的です。また、“人への投資”であれば、様々な段階や内容での“人材育成”です。
そんな、“組織や人への投資”と呼ばれるようなモノをよくみてみれば現実的には“投資”という側面もあるかもしれませんが、実際には“贈与”という側面も大きく存在しているように感じます。

なぜなら、既に組織や人の雇用をしている会社であれば今後はよっぽどのことが無い限りは「組織を無くす」とか「人を雇用しなくなる」ということは考えづらいはずです。
ということは、その後もずっと“組織と人”には投資をし続けることになるわけです。でも、組織を織りなしているのは結局は“人”であるわけですが、その“人”に対してお金や時間や労力をかけて人材育成に取り組んだとしても、その人が身につけた知識も技能もその人個人のモノになります。いわゆる「学んだコトは誰にも奪われない」という状態です。

言うなれば、「与えたからといって本当に身につけられるかどうかなんて全くわからないし、身につけたからといって後々にその力を駆使して返礼してくれるかどうかなんて全くわかっていない」にもかかわらず、「同じ共同体に所属してくれたから」という理由から「持っていない人」に対して「贈り与える」ことで「持っていない人が、懸命に身につける取り組みをする」ことで、「持っている人になる」わけです。
そして、ようやく「持っている人」になったからといっても、“返礼=共同体への貢献”をしてくれる前にその共同体を抜けて別の共同体へ行ってしまう、なんてこともあるわけです。

こうやって考えてみると、“組織や人への投資”というのは、「実際には投資と呼ぶよりも、“贈与”と呼ぶ方がしっくりくるのではないだろうか」と考えています。

そして、“組織や人に主軸を置いて経営を考える”とういことは、“贈与”をベースにしたうえで、数か月~今期内という短期間ではなくてもっとずっと長い時間軸で経営を考えるということであり、そうやってと“人と人が協働する仕組み=組織”と“組織を織りなすそれぞれの人たち”がどちらも成長して高いパフォーマンスを発揮できるようになることで、結果的に“利益の増大”も当然のように手に入れる。
そして、当然ながら、常に“利益の確保”が出来なければ組織にも人にも“贈与”なんてできるわけもないのは言う間までもなく。

そんな風に考えているんですが、そういうところがイマイチうまく伝えられていなかったり受け取ってもらえていなかったりするからこその冒頭の反論をもらうのかもしれません。

そもそもで言えば、ケンカをするつもりもないし、対立するつもりもないし、もっと言えばコンフリクトが起きていると思ってすらもいません。

経営をする以上は、「“利益”が大事」なのは言うまでもなく、それは言うなれば人間にとっての水とか空気とか食料(三大栄養素&必須ビタミンミネラル)のようなモノだと考えています。もっと言えば、常々意識するまでもなく確実に摂取しているけれども枯渇したら即座に生命維持に重大な影響を及ぼす“水”に近いのが“利益”なんじゃないかという感覚でいます。

日常的に「今日はどのくらいの水飲んだかな?」とか「あと何ミリリットルの水を飲まなくちゃ」なんて考えるまでもなく、当たり前のように水を飲みたいときに飲める状態を維持して、いつでも必要な時に摂取できることが大前提であり、それがあるからこそ生命維持が可能であるモノ。

だから「“利益”が大事」なのは言うまでもないことであり、当然すぎるほと当然のことであり、生命維持をして、この生命を駆使して“やりたいコト=存在意義”を実現させるためにも絶対に枯渇させてはならないモノが、会社経営にとっての“利益”なんじゃないか。

僕はそんな風に考えています。

そんな、「会社を経営していくうえでの“大前提”とも言えるモノ」についての話よりも、その“大前提”を踏まえたうえで、生き残っていることを前提にして、維持しているこの“生命”を駆使して「何のために、誰のために、どんなことをするのか?」そんなことを考えていたいし、これからもそうしたいと考えています。

“長い時間軸”を持って“贈与”に取り組みつつ、これからどうしていくか?

そんな風に話ができたりすると、「経営について語り合うのって本当に楽しいなぁ」って感じますし、「また一緒に語りたい」っておもいます。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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