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考えなくても動けるように

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

朝の涼しい時間帯から、家の周りの草むしりをやってみました。

前回、草むしりをした時に“ほぼ完璧”に近い形で雑草を全て抜き去りました。
それが正確にいつだったか思い出せませんが、もう既に夏になっていたことは間違いありませんし、梅雨も明けていたような記憶があります。

猛烈な陽射しの下で、汗をダラダラ流しながら長時間地面に近い位置に座り込みひたすらに草をむしり、根を掻き切って、何度も抜いた雑草を運びました。

全て終わった時には、想像を越えるくらいの雑草が高く山積みになりました。
それとともに、途轍もない疲労感を感じましたし、同時に、途轍もない達成感を感じました。

あれから数週間ち、行くはずだったキャンプをキャンセルしたために時間がたくさんあったので庭先に出たら、あんなにキレイにしたはずの家の周囲がまたもや草だらけになっていることにようやく気が付きました。
とは言え、前回は長い間放置していたために「草ボーボー」と言えるくらいの丈と量の雑草が生えまくっていたのに比べると、今回は確かに生えてはいるけれども「まだ放っておいても大丈夫」な感じではありました。

そういう感じだったのもあって、根っからグータラの僕としては「大丈夫なんだから放っておこうかな」とも思いました。
でも、これを放っておくとあと数週間後には、前回メチャクチャに大変な思いをした草むしりと同程度の労力が必要になる可能性が高いんじゃなかろうか?なんてことを想像し、時間があるこの休みの間にむしることに決めました。今の自分がやらなければ、後々の未来の自分がやらなければいけないのが明白ですから。

ということで、まだ日が高くなる前の朝の時間帯に完全防備の状態で草むしりを開始しました。

それにしても、前回の時にも痛感しましたが“腰痛持ち”には草むしりに必須の「しゃがむ姿勢」がとてもツラくて堪えます。なので、低いイスのようなモノに腰をかけながら草むしりをするんですが、それでもやっぱり腰は痛いしツライのは間違い在りません。

そんな痛さとツラさに意識が向けられつつも「草をむしる」という行為をするだけなので、「あー腰が痛い」ということしか考えていなくても、手はしっかり草をむしり、その後で反対の手に持った道具で草の根が残っていそうなところを掻き分ける行為は意外と手際よくできていることに作業の途中で気が付きました。
「頭の中は“腰が痛い”という思考しか無かったはずなのに、草むしりの作業には何の支障も無いというのは一体どういうことなんだろう?」

今度はそんな事を考えながら草むしりを続行です。

さっきまでも今も頭の中は“何か”で一杯になっている状態なのに、変わらず草むしりは同じペースで進んでいきます。やっぱり“何か”を考えていて頭の中がそのことで一杯になっているのに作業はできる。

そこで気が付きました。

「もしかしたら、草むしりは“考える”があまり無くても作業ができる内容だから頭の中が別のところに向かっていても問題無く作業が出来て目的の達成に近づけるのかもしれない」ということに。

これが例えば、「思考が必要な作業」だったとすると“何か”を考えながら作業をするというのはかなり難しいのかもしれない。そう感じました。

例えば、このnoteを書く時、僕は「誰かと会話をしながら」では文章を書くことができません。というか、文章を書くのか誰かと話をするのかのどちらかにしないとどちらも成立しなくなります。文章を書いている時には会話は上の空になりますし、話をしていると文章を書くことができなくなります。僕にとっては、「話す」も「書く」も同じく“何か”を考えながらの行動なので、どちらもかなり脳みそを使いながらになってしまいます。

そうやって考えてみると、今自分が携わっている仕事の中には“草むしり”のように「何かをやりながら別の何かを進める」というのはあまり向いていないような脳みそを使うモノが多いから同時進行で進めることをしなくなっているんだろうな、という事に気付きました。

あれもこれもそれも全部“何か”と同時に進めることは難しいなぁ、とどの仕事を思い返してみてもそうとしか思えなくなっているところなんですが、ふとこんな疑問も浮かんできました。

「とは言え、これがもしも自分じゃない人がやるんだとしたら“草むしりのような同時進行”は可能なんだろうか?」と。

こればっかりは幾ら想像してみても、結局は僕が想像する“誰か”だとしてもそれはすなわち“僕の中にあるモノ”を材料にした想像になってしまうので「“同時進行”は難しいんじゃないだろうか?」という結論になってしまいそうです。

なので、身近な他人ということで、仲間の仕事ぶりを思い返してみましたが、いわゆるマルチタスク的な仕事の進め方は常にしていますが、それをもうちょっとクローズアップして見てみると結局は細かい単位で「1つずつの仕事」を切り替えながら進めているというのが実際のところなのかなと思えてきました。

そう考えてみると草むしりみたいに“何か”別の事を考えながらでも動ける作業というのは、ある意味では、「無意識のレベルまで落とし込まれてオートマチックで繰り出すことができる行動」だとも言えるのかなぁ、なんて朝から思ったところでした。

朝から草むしりを終え、外観もスッキリ、気分もスッキリ、その後にシャワーを浴びてシャッキリしたところで、よく晴れた空の下で、炭酸の入った黄金の液体をゴクゴクと飲み干して途轍もなく幸福度の高い休みを満喫できました。

そろそろ日も暮れてきたので、あらためてシュワシュワの黄金の液体を一杯いこうかな。

一日の中で、これだけ繰り返しシュワシュワするということは、僕にとってはもはやオートマチックに繰り出す事のできる行動にまで練り上げられているということなのかもしれません。これが本当かどうか、これからしっかり確認してみます。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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