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色々言いたい事もあるだろうけどまずはやってみよう

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

組織開発の仕事をしていると、例外無く、常に、必ず、立ちはだかってくるものがあります。

それが、個人の「適応課題」です。

組織の問題の真因は、最後は必ず、「当事者である個々人が、自身の適応課題に立ち向かい、それを乗り越えられるかどうか」にかかってきます。

個人の適応課題に、きちんと正面から立ち向かえるかどうかは、個人差があります。

最初から、「合理的に考えたら、絶対に必要なんだから」しっかり立ち向かえる人にもよく出会います。

でも、それはかなり“例外的な存在”です。

でも、「合理的に考えれば、必要なことはわかるけど、そうは言っても○○だからそれはやれない」という事に囚われてしまって前に進めないというのが、大抵の人が直面している適応課題です。

これの構造を少し考えてみると、大抵の人は「“正しいこと”をしようとしているから」だと言うのが見えてきます。

“正しいこと”は、誰から見ても、誰が聞いても確かに“正しい”ので、それを自分の真ん中に据えてモノを言えば、いわゆる正論になるわけです。

当然ながら、それは正論なので、反論するとしてもそれとは“別の正論”を用いる事になるので、正しさと正しさがぶつかるだけで特に現状に変化が起きる事はありませんし、お互いが「相手が間違ってる」と言い合うだけで、何の生産性もありません。だけど、「自分は正しいことを言っているし考えている」と思う事は、客観的に見ても可能なので、その“正しさ”にずっと浸り続ける事が可能です。

もちろん、そういう状況におけるそういう人達が主張していることは、傍から見ても“正しいこと”ですし、本人達にとって正しいわけなので、それを周囲の関わりで曲げさせるとか変えてもらおうとするのは、正直に言ってほぼ不可能だと思っています。

ただ、“正しいこと”を主張していたとしても、「問題が起きている現状」が変化するというのも、ほぼ確実に起こりません。

なぜなら、一方に“正しいこと”があるとしたら、それと相反する“正しいこと”というのが、組織の中には必ずあったりするからです。これは、「自身が所属している組織以外の組織」を客観的に眺めてみればば誰にでも理解できることだと思いますし、それでもわかりづらければ、現在“戦争”を起こしている国同士を眺めてみるとよくわかるかもしれません。

「“正しいこと”は立場によって変わる」

これは、僕が唱え始めたわけではなく、世間一般で昔からずっと言われていることですが、本当にその通りだと思います。

そして、この言葉の後に続くのは、「勝った方が“正しい”」という言葉です。

この言葉には、僕はとても違和感を感じます。

なぜなら、「勝った方が正しい」ってことは、“正しさ”がぶつかってしまったら「闘う必要がある」という事が自明になってしまうからです。

国という単位だろうが、組織という単位だろうが、個人という単位だろうが、それぞれの“正しさ”がぶつかりそうになったり、ぶつかってしまったとしたら、闘って「どっちが正しいか決める必要がある」というのが、この言説の根底に存在しているのが前提になっています。

と言うことは、ガチンコで闘わないと、“正しいこと”として相反する意見が存在する場合には、どっちが“正しいこと”なのか決めなければいけなくなります。

でも、組織開発を生業として他社という組織に関わらせて貰っている身としては、「どっちが正しいか闘って決めましょう」というのが、「組織には全然そぐわない」というのは断言できます。

だって、多くの組織で「こっちが正しい」「いや、こっちの方が正しい」って事が日夜繰り返されているけれども、「そんな諍いを続けたお陰で、すげー良い組織になったんですよ」という話を見聞きした事は一度たりともありません。これは断言できます。もちろん、「どちらかが、パワーや政治によって、一方を駆逐したお陰で平定できた」という戦争のような話を見聞きする事はありますが、それによって「良い組織になった」と感じているのは、大抵が、そのパワーも持つ人や政治力を持つ人に限られているというのはただの偶然というだけではないはずです。

だからウチの組織開発では、「正しいことよりも、“役に立つこと”をやっていきましょう」というのを推奨しています。

これは、僕たちがずっと考え続けてきた事でもありますし、その考え方が相通じている尊敬できる素晴らし人達に師事もして常に学びを続けています。

“正しさ”に囚われてしまっている人達は、自分自身を“問題の当事者”ではなく、“問題の外側”に位置づけて自分達を「正しくない事が行われていることによって被害を被っている」という被害者の立場に位置づけます。

その証拠に、“正しさ”を主張する人達の言説には必ず「○○だから、出来ない」とか「○○のせいで、それをやるのが難しい」という話ばかりが出てきます。

でも、“役に立つこと”に目を向けている人達からは、「○○なのは仕方無いから、それはそれとして、どうしたら今よりもっと前に進められるか考えよう」とか「○○も変えたいけど、それは今は難しいから、それ以外の部分で出来る事をやっていこう」なんていうふうに、自分自身も“問題の当事者”に含めてモノを考え、「言っても仕方の無いことは一旦おいておいて、行動する事で変えられるところからやっていこう」という話をして、まずは自分が行動を起こして、周囲を巻き込みながら、自分の行動によって変えられる事に注力する。これをやっているんです。

当然ながら、この“役に立つこと”に目を向けて考えて行動している人達こそが、「適応課題に正面から向かって取り組んで乗り越えている人達」であることは、あらためて書く必要も無いとは思いますが、こんな“役に立つこと”に目を向けて行動する人達にしか、組織の問題を解消することは出来ません。

誤解の内容に言っておくと、僕も、“正しさ”は、無いよりもあった方が良いに越したことは無いだろうと思っています。だけど、現状が問題に直面していて、それに対して“正しさ”を主張しても事態が何も変化しないのであれば、まずは、“役に立つこと”から考えて現状を「今よりも良い状態」に変えていくことが先決です。現状を変える事ができるのは、“正しさ”の主張よりも、“役に立つ”行動です。これには例外はありません。

その“役に立つこと”をする際に、“正しさ”も一緒にそこにあるのなら、それは申し分のない状態です。でも、その“正しさ”を叶えるために、今の現状を変える必要があるのなら、まずはそのために“役に立つこと”をしていこう。言うなれば、ただそれだけの話です。

特に、何か難しい事を言っているわけでもありませんし、実現不可能な事を言っているわけでもありません。これを実現しようと思えば、とても簡単に出来る話です。

だって、“役に立つ”のであれば、その大小は関係なくて、ほんの少しであっても“役に立つ”のなら、少なくとも「クソみたいな現実」はその分だけでも「良くなった」はずなんですから。

そんな、至極単純で“役に立つこと”を阻害しているのは、いつだって、誰か個人の中に存在している「適応課題に立ち向かえない弱くて狡い自分自身」に在るのは間違いありません。

だけど、それを越えていくのが、多くの人にとっては途轍もなく大変で苦しくてツライ事だと言うのは、僕たちもよく知っています。

だから、一緒に“それ”を越えていく方法を考えましょう。

できるだけ負担が少なくて、できるだけ楽に、“役に立つこと”を考えて実行できる道筋を。

「現状に問題がある」それが理解できる聡明さがあるのであれば、それを変えるのに必要なのは“正しさ”ではなくて“役に立つこと”だと言うのは、きっとすぐに理解できるでしょうから。

あとは、「自分に負けない勇気」。

これだけあれば、今の現状を変える事は可能です。

「周りを見てると、諦めようかなと思っちゃうんですよね」

そんな声を聞く事がよくありますが、僕達から見ていて「これはもう諦めるしかないよね」と思えるような状態にある組織は今までのところ存在していた事はありません。

まだまだ全然いけますし、まだまだ幾らでも「良い状態」に変えていくことができる組織ばっかりです。

必要なのは、「できるかできないか」じゃなくて「やるかやらないのか」だけです。

そのためにも、「自分自身が、この問題の当事者である」そう考えて「役に立つことをする」。

まずはここから始めましょう。

それができたら、いつの間にか、その問題は徐々に小さくなっていって、いつの間にか解消している事になるはずですから。

もしも、「ほんとかよ?嘘くせーな」と思ったんだとしたら、まずは、ここに書いてある通りにやってみて下さい。

あなたの話は、その後で幾らでもじっくり聞かせてもらいますよ。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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