はいあんどろう
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
ここ最近、チャットを使う頻度がとても上がっています。
ウチが組織開発で関わらせてもらっているある企業では、数名の社員で結成されたコアチームと一緒に、これからの企業運営の根幹部分に関わる様々な“基準”を作るプロジェクトを進めています。
とは言え、当然ながら毎日その企業に顔を出しているわけではありません。月の中で決まった回数訪問をして限られた時間の中でプロジェクトを前進させるべく関わらせてもらっています。
そんな関り方なので、その企業に訪問をしている時間以外のやり取りは、基本的にはチャットでのやり取りになってきます。
そのチームメンバー全員とウチとのグループチャットを作り、その中で質疑応答や進捗報告や作成データの確認などを行っています。
そんなプロジェクトもいよいよ佳境に入ってきた感じで、チャットでのやり取りがどんどん多くなってきています。
そんな状況の最近では、こんなことが起きるようになってきています。
「あれ?投げかけた質問に対して全然違う回答が返ってきてる?どうしてあの質問に対してこの回答なんだろう???」
なんて言いながら、仲間が戸惑っていることがあるんです。
そういう時こそ、僕の出番です。
投げかけた質問とその回答をよく読むと、「どうしてそんなコミュニケーションの齟齬が起きているのか?」、僕にはその理由が見えて来ることがよくあるんです。
これは、僕の能力が高いから起きているわけではありません。
文章作成能力や文章読解能力は、何をどう比べても、明らかに仲間の方が明らかに高い能力を有しています。これは自他共に認める客観的な事実です。にもかかわらず、チャットで行われる文字だけのコミュニケーションにおいて、その仲間が戸惑っているのに、僕にはその齟齬の理由が見えてくる。
ここにあるのは、「その人が己の中にどんな文脈を有しているのか?」の違いなんじゃないかなと推測しています。
“身内びいき”を完全に差し引いた客観的な評価をしたとしても、僕の仲間は文章読解と文章作成能力を含めた事務処理能力がとても高くて、色んなところから引く手数多なのが実情です(そんな凄い人が仲間にいてくれて僕はとてもラッキーです)。
例えば、官公庁から送られてきたり提出する必要がある“難解な文章”もすらすらと読解できるし、ささっと作成もできるわけです。僕にとっては、もはや“古文書”と同等の難解レベルに感じる契約書なんかもサラッと読み解いて解説してくれるわけです(マジで助かっています)。
僕は、過去様々な業種・職種・規模の会社で働いてきて、多くの“働く人”に会ってきましたが、仲間と同等の事務処理能力を持つ人にはほとんど会った事がありません(もしかしたら、僕が知り得なかっただけかもしれませんが)。
そんな能力の高い仲間なので、どうしても“内在している文脈”がとても高文脈になってしまっていることがよくあるんです。ナチュラルに作成する文章は特に、ある程度の“文章慣れ”をしていないと、時折、読んでいる途中で迷子になってしまいかねないような高文脈の文章が混じってくることがあるんです(とは言え、目の前にその文章を読む人がいるリアル対面の場であればこういう事は起きずに、その場にいる人たちに合わせた文章を書くことは造作も無くできてしまうんですが、如何せんチャットのようにリアクションにタイムラグがある場合には、「どこでズレが起きているのか」を瞬時に察知するのが難しくて、相手の持つ“文脈”に合わせるにも、材料はチャット内の文字だけであり、しかもそれが複数人いるわけなので、なかなか難しさがあるわけです)。
で、僕はと言えば、“内在している文脈”はまあまあ低文脈な文化で生きています。
そもそも勉強がずっと不得意ですし、「本を読む」というのも大人になってから取り組み始めました。なので、どうしても高文脈な文章を読むのが得意ではありません。
なので、上にも書いたように、契約書なんて古文書レベルで難解だと感じますし、官公庁からくる書類は封を開ける前からアレルギーが出そうですし、中身を読んでも意味を解読するのに四苦八苦してしまうので、提出する書類を作成することは最早困難をきわめます(だから、仲間にやってもらうことになるわけですが)。
とは言え、これまでの仕事の中で高文脈な文章を読まないといけない環境がずっとありましたし、高文脈文化の人たち(いわゆる“優秀な人”たち)と円滑なコミュニケーションを取らざるを得ない環境にも長くいました。
だからこそ、僕にとっては自分と同じような低文脈の文章を読み取ってそこにある文脈の解説をすることが可能です。そして、それと同じ能力を逆ベクトルで使うこともできるんです。
例えば、「仲間が書いた高文脈の文章が、相手にどんな風に受け取られて、どんな変遷をたどって、こういう回答が返ってきたのか」を解説することもできるということです。
これは、僕が低文脈文化の出身だからこそ可能な“翻訳”の能力だと自負しています。
大前提、文字通りの意味として“自慢じゃないけど”僕は勉強が出来ません。それに加えて、かなり“高純度”のブラック企業に幾つも勤めた経験があります。更に言えば、世の中にあるほとんどの雇用形態を経験しましたし、“無職・ニート・ひきこもり”も経験してきました。
だからこそ、その自分の特性や経験を生かしつつ、過去の自分を脳内に呼び起こしたうえで、「“あたかも”チャットの向こうの相手と同じ環境に自分がいると想像して」、仲間が作成した文章を読んだ際に“どんな反応が起きるのか”を、自分自身の中にリアルに想起できるわけです(これは他の誰かには出来ない僕だけに可能な特殊技能だと自負しています)。
そのうえで、“現在の自分”が読み取れるモノも自分の中に持ち得たうえで、解説を行います。
つまり、“低文脈文化”と“高文脈文化”の間に架け橋をかけて、一人で行ったり来たりして伝達係を行っているような感じです。これを、僕は“翻訳”と呼んでいます。
最近、よくよくわかってきたのが、「この“翻訳”を様々な形態で行うことが自分の仕事だったんだ」ということです。
実際に、僕の“翻訳”が無ければ前に進まない仕事ばかりです。
それと、同時に、仲間の文章読解と文章作成が無ければ、そもそも仕事自体が成立しない仕事ばかりでもあるわけです。
なので、二人の能力を併せてようやくウチの仕事が成立しているのが現状です。
最後に、誤解の無いように書いておこうと思うんですが、以前は僕も仲間と同じ分野である難しい文章作成や難しい文章読解にチャレンジしたことは何度もあります。もちろん、その度に「自分にはこれは出来ないんだ…」と挫かれたのは言うまでもありません。それ以降、僕は、「苦手の克服」には重きを置かないようにしています。
僕は今こっちを大事にしています。「大事なのは、得意を伸ばすことさ!」他者にもそう言いますし、自分にもそう言い聞かせています。
そのお陰なのか、特殊能力“翻訳”を役に立たせることができる環境も手に入りましたし、座右の銘も「他力本願」となりました。
「一人じゃ何にも出来ないんだ」この言葉も今では堂々と言えるようにもなりました。
むしろ、「一人じゃ出来ないことばかりだから、他者と一緒に働いているし、他者のサポートをする仕事しているんだ」
そう言いながら日々仕事をしていますし、これからも、このスタンスは変わらないんじゃないかなと思っています。
みんなオラに力を分けてくれ!
あかね
株式会社プロタゴワークス
https://www.protagoworks.com/
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