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無いけど有るから難しい

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「有るようで無いけど、無いようで有るモノってなーんだ?」

これが“なぞなぞ”だとしたら、色んな答えがありそうだなあなんて考えるのかもしれません。

例えば、目には見えないけど存在している“空気”とか、実際に感じる瞬間がある“楽しさ”とか“満足”とか“幸せ”とか、そんな、触る事も出来ないし物体として存在している事もなかなか認識する事が出来ないような、だけど、実際に“ある”と言い切れるようなモノがその答えとしては思い浮かびます。

冒頭の“なぞなぞ”に近い問いを投げかけてみた事があります。
もちろん、そのままではありませんが、概ね似たような内容でした。

「自分からの提案について周囲のメンバーが無反応だったらどんな気持ちになりますか?」

そんな問いかけをしてみました。
なぜなら、その少し前にこんな事が起きていた事があったからです。

チーム内で情報共有の為に利用しているグループチャットの中で、Aさんがちょっとした提案をほとんど思い付きに近い形で投げ込んだんです。そのグループ内では、まさにその“思い付きの提案”を奨励していたところだったので、「ああ、これをきっかけにして“思い付き提案”が活性化すればよいなあ」なんて思っていたんですが、なかなかレスポンスが付かず、結局数日経ってから1つレスが付きました。それからまた数日経過して幾つかのレスが付きました。

そんな様子を見ていて、「これはもしかしたら」と思い、タイミングよく全員で集まるミーティングの時に、前述の問いかけをしてみたんです。

そうしたら、それに対してこんな反応がありました。

「何かの悪意があって反応しなかったわけじゃなくて、せっかく提案があったけど、既に書かれていた内容について自分は納得してしまって、それを上回るような事が何も自分の中から出てこなかったので何も書けなかった。何か出てきたらその時に書こうと思っていた。でも、今考えてみると悪い事したんだなって思ってる。自分だったら何の反応も無かったら悲しいから」

口火を切ってくれたメンバーが、そんな話をしてくれました。

他のメンバーからも、概ね同じような内容の話が出て来て、「ああ、やっぱりな」と思ったんです。

それまでのチームメンバーの関わりを見ていて、「他の人間を虐げてやろう」だなんて様子は誰の中にも存在して無かったのは当然ですが、そもそも全員が「一丸となって協力していこう」と積極的に考えている様子はいつも伝わってきていましたし、恐らくメンバー間でもそれは認識していたんだと感じました。

それでも、“無反応”というリアクションをしてしまった。

そこには(案の定ではありましたが)、
「“無反応”が、相手に対してのリアクションになっている」という自覚が存在していませんでした。

そして、それと同時に、
「“無反応”だった事には悪意は無い」という前提を強く持っていました。

そんな認識が、全員の中に存在していた事がみんなの反応を聞いて明らかになりました。


そこで、メンバーみんなに聞いてみました。

「自分が何かを提案したとして、全員から何の反応も無かったらどんな事を感じますか?」


そうしたら、当然ながらごくごく当たり前の感想が出てきました。

「的外れな事言っちゃったのかな?」「ダメだこりゃと思われたかな?」「呆れられたかな?」「嫌われたかな?」「自分を除いた他の人達だけで作った別のグループチャットがあってそっちで悪口言われてるのかな?」「無視されてるのかな?」というような感じで、どんどん妄想が広がっていって、疑心暗鬼になって不安になって怖くなるetc。

想像しただけでもこれだけ浮かんでくるような事を、「“無反応”というリアクション」を受けた人は感じているかもしれないという事を全員が認識してくれました。

もしかすると、この社会の中でもとても多くの、「結果的に反応しなかっただけで、“無反応”というリアクションをしようと思っていたわけでは無い」が存在しているんじゃないかなと感じています。それは、これまでの自分がしてしまっていた事を思い出してもそうでしたし、自分が喰らってきた事からもそれが推測される場面がたくさん思い出されます。もちろん、自分の周りでも同じような事が起きていた事をたくさん見聞きしてきました。

そんな中で、今確実に言えるのは、「“無反応”は明確な意志を伴った行動です」と認識して欲しい事をそのメンバーには伝えました。

例え“考えているさなか”だとしても、例え“いいアイデアを返せそうにないから躊躇していた”としても、例え“別の仕事で忙しかった”としても、その「“無反応”というリアクション」を受け取る人からしたら、「周囲の(仲間だと思っていた)人から、反応がもらえなかった」という事実を受け取るわけです。

その「(自分が起こした何らかのアクションに対して)反応がもらえなかった」としたら、上にも書いたように、ほとんどの人達の中には疑心暗鬼がやってきてたくさんの不安を芽生えさせていく場合がほとんどです(稀に、「そんな事は考えないよ」という人がいると思いますが、そういう人は“強い人”でありこの話の中では例外にしています)。

もうちょっと言えば、「(誰かの何らかのアクションに対して)反応をしない」という選択をして決断をして行動をしているのは、「“無反応”というリアクション」をしたその人本人であるわけです。

それを、「“無反応”によって疑心暗鬼に駆られ不安を芽生えさせてしまったアクションを起こした人」に対して、「何を勝手に不安になって周囲に不信感を抱いているのだ!それはあなたの身勝手な妄想に過ぎない!」と断じる事は、ちょっと無理筋過ぎてキツイです。

もちろん、当のチームにはそんな無理筋な人はいませんでしたが、僕のこれまでの経験だとそうやって扱われるような場面を多々見聞きしてきました。


だけど、僕たちは大前提として「エスパーでは無い」んです。

誰かの考えている事を、言葉も行動も無い中で、正確に寸分たがわず受け取る事は出来ません。

と言うか、そもそも、言葉を介しても“その人”が考えている事を、全て寸分たがわず受け取る事は出来ません。

それが、大前提中の大前提という世界の中で生きています。

だからこそ、「“無反応”というのは、明確な意志を持った行動(リアクション)である」と認識しすること、つまり、「誰かのアクション」に対して、「“無反応”というリアクション」を返す事はしない。

「誰かのアクション」は、そこに明確な意志があり、それが行動として現れているわけです。

それに対しては、同様に、明確な意志を持った行動として「反応するというリアクション」を返すのが、相手の存在を認め、相手と対等な関係性である事を示し、相手が“リスクを取って先にしてくれた行動=贈与”に対しての真っ当な“返礼”であるんじゃないかなと思っています。

そういう小さなところから始まっていくのが、実は、組織全てを取り巻き、時には丸ごと全てを飲み込んで浸食していく“空気”とか“風土”とか“文化”なんじゃないでしょうか。

そして、その組織の“空気”とか“風土”とか“文化”ってやつを細かく見ていけば、そんな小さな、そして、様々な特徴を持つ「人と人との間で行われる日常的な行動のやり取り」が必ず存在しています。

それらを一つずつ見ていって、それらを日の光の下で明らかにして、それらをみんなで認識して、それをこれからどうしていくか話し合って、みんなで「こうしたい」し「役に立つ」方向に積み上げ直していく。

やる事はそれだけですし、単純です。

とは言え、“単純”だからと言って“簡単”なわけじゃあないとも思っています。

だけど、諦めなければ必ず出来るような単純な事だとも思っています。

そんな風に考える事が出来ているからこそ、組織開発を仕事にして実際に手掛けるなんて事を今はやっているのかもしれないなあと、今更ながら自分自身について思っています。

単純な構造の頭で助かっている。そういう事なのかもしれません。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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