最後の最後はどうしましょう
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「明日が地球最後の日だったら何やろうかな~」
テレビゲームをやり始めた子どもがそんなことを言っていました。
何のことか聞いてみるとと、ゲームの中で実施されているイベントのようなモノの中でそんなことが言われているとのことでした。
そんなテーマがゲームの中で掲げられることもあるのかと若干驚きつつあらためて聞いてみました。
「明日が最後の日だったら何するの?」
「えー、何だろう?欲しい物買うとか欲しい本買うとかかなぁ」
「明日が最後の日だと、欲しい物を買っても使うことが出来ないんじゃないかな」
「そっか。じゃあ何だろう?ディズニーランドに行くとかかな」
「なるほど。地球最後の日にディズニーランドのスタッフの人達はいつも通り働いてくれるのかな?来てくれない可能性が高いからアトラクションも動かないんじゃないかな」
「じゃあ、やりたいことやったりとかかな」
「やりたいことって例えばどんなこと?」
「やりたいことかぁ、何だろう?」
「今考えてみてパッと出てこないような“やりたいこと”が最後にやりたいことなの?」
「最後にやりたいことなんて今まで考えたこと無かったなぁ」
そう子どもが言うのを聞いて、「子どもの人生の何倍も長生きしているのに、自分自身もこれまで考えたことが無かったかもしれない」ということに思い至りました。
これまで“自分の人生が今日最後の日だったら”ということについては頻繁に考えて想像してみたりしていますが、この時の話題のように“地球最後の日だったら”ということは確かに一度も考えたことがありませんでした。
“地球最後の日”ということは、どんなシチュエーションかはわかりませんが恐らく全人類が生きていることは不可能な状態だという前提だと思うので、きっと「仕事をする」という選択肢は無いんじゃないかなと思います。何しろ“その日”が終われば地球も終わり人間を含めたこの星の上の全ての生きとし生ける物がいなくなるという状況ですから“未来”に向けて何かをするということは自分は考えないんじゃないかなと想像しています。
ただ、“自分の人生だけが最後の日”でそれ以外の人達の人生もこの社会もこのまま続いていくという状態__誰もが迎える人生の終わり__が「明日来る」という状況なのであれば“地球最後の日”とは全然違う事を考えて行動できるような自分で在りたいなと考えています。
そんな自分が考える“地球最後の日”は何をして過ごしたいのかなぁ、なんて子どもと会話をしながら考えてみたりしました。
子どもはこんなことを言っていました。
「“地球最後の日にやりたいこと”って特に思いつかないけど、みんな最後だから、家でゆっくりしながらまだ読んでない本を読んだりして過ごすのがいいかな」
そう言うのを聞いて、「確かに自分もそういう感じになるんだろうな」と思いつつ、「それって、何の予定も無い休日の過ごし方だな」ということに気が付いてしまいました。
地球は最後にならないかもしれないけど毎日“その一日の最後の日”ってことを考えながら過ごしていれば「いつも通りに過ごす休日」も特別な過ごし方ってことなのかもしれないなぁ、なんてポジティブに考えてみることにしておきます。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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