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そこもここも繋がってるってことなのか

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「何のためにそれをやるのか?」

いわゆる“目的”を考える時に立てる“問い”としては誰でも思い浮かぶようなスタンダードな“問い”なのかなと思っているんですが、この「目的を考える」というのは、自分達でやってみても思いますし、他者が取り組んでいるのも見聞きする中で、「これって、本当に難しいことなんだなぁ」とつくづく実感させられます。

例えば、企業で言えば企業理念とか経営理念と呼ばれているようなモノが“目的”に該当するように、凡そ「人が集まって組織・チームを形作ってコトに取り組む」という時には必ずこの“目的”が必要になってきますし、“目的”が共有されていなければ組織・チームとして成し遂げたいコトが成し遂げたい形で成し遂げられることは(よっぽど運に恵まれでもしない限りは)とっても難しいんじゃないかと思います。

そんな重要な“目的”ですが、じゃあいざ考えるとなった時にはそれがとっても難しいわけです

何しろ、企業で働く社員の方々からもよく聞きますし、その企業の経営者からも極稀に聞くことがあるんですが、「理念をすぐ忘れちゃうんです」なんて話は“あるある”です。

そして、それが“あるある”なわけですから、“目的”に近づいていくためにしているはずの事であっても、その事をやってる内に段々と“それをすること自体”が目的に成り代わってしまって、ただただ「それをやる」だけになってしまう、なんてことも“あるあるの中のあるある”です。

「どうしてこういうことが起きるのか?」を考えてみると、色んな要因があるんだろうなということくらいは分かるんですが、何か一つだけを切り取って「これが原因だ」と言うことは難しいと思っています。

ただ、「ここはどの事例にも共通しているんじゃないかな?」と思えるようなことはあるような気がしています。

それは、「組織・チームの“目的”と、自分個人の“目的”が、自分自身が肚落ちするレベルで“紐づけ”ができていない」ということなんじゃないだろうか、ということです。

例えば、組織・チームの一員として「みんなで同じコトに向かって頑張ろう」というようなことは、例え会社であろうとスポーツチームであろうと、かなりハッキリと打ち出されていることがほとんどなんじゃないかと思っています。少なくとも、仕事やスポーツなどをするための組織・チームの一員である人に対して「あなたには、この組織・チームの“目的”は教えません」なんて関りがされることはありません。という事は、「組織・チームの“目的”は(どのレベル感かはわかりませんが、おおまかには)みんなで握れている」というのは明らかです。

でも、ついつい“目的”が見失われてしまって、すぐ目の前の「今、ここにある“やること”」のことだけしか見えなくなってしまう。

となると、そこには恐らく「個人としての“やること・やりたいこと”=“個人としての目的”が(自覚のあるなしにかかわらず)優先されている」ということが起きているのかもしれません。

そして、こういうことが起きている時には当然ですが“組織・チームの目的”と“個人としての目的”が連動するようになっていないし、何なら「全く無関係の別物」としてそこに存在しているのかもしれません。

もしもそうだとすれば、“組織・チームの目的”を知識や情報としてメンバーの誰もが知っている状態だとしても「それはそれ」としてそこに在るだけになっている状態がある。

そして、「それはそれ」とは無関係に、組織・チームのメンバーのそれぞれが思い思いに“個人としての目的”に向けての行動をする状態になっていたら、余程の幸運に恵まれて「みんなの行動がたまたま組織・チームの“目的”と合致していた」なんてことでもない限りは、てんでバラバラの“個人としての目的”にそれぞれが取り組むわけですから、組織・チームのパフォーマンスは全く上がらないし、かと言って個人個人が手を抜いているわけでもない、なんて状態が「いつものこと」になってしまっているのかもしれません。

逆に言えば、“個人としての目的”と“組織・チームの目的”がしっかりと関連づけをすることができていて「“それ”をすることで“これ”も前に進むし、“それ”をするとアレがこうなってそうくるから“これ”も伸びていくってことなのね。じゃあ、それもこれもあれもみんな意味があるじゃん」というようなことが出来ると、個人のパフォーマンスは当然ながら、組織・チームのパフォーマンスも上がっていくわけです。

物理的には目に見えないけど「そこに確実に存在している関連性」が見えてきて、その“目には見えない紐”を使って“組織・チームの目的”と“個人としての目的”をしっかりガッチリとその“紐”で縛りあげることで、目には見えないけれども確実に見えるし実感できる“紐づけ”が出来さえすれば、組織・チームとしても、個人としても、どちらの“目的”にも確実に近づいていくことができるわけです。

そうして“紐づけ”が出来てはじめて「目的を忘れちゃう」ということは無くなるでしょうし、「手段が目的にすり替わっちゃう」ということも無くなるでしょうし、何かをはじめる時に“目的”を考えるのもそこまで困難を極めることも無くなるはずです。

「何のためにそれをやるのか?」

これを考える時に、この“問い”に対して考えると「これだ!このコト1つだけだ!」なんて具合に「何か一つ単体で存在するモノ」てことは無いはずです。この“問い”を考えて出てくるモノは、きっと他の“なにか”とも紐づいているでしょうし、その紐づいている“なにか”もまた他の何かと紐づいているはずです。

そんな、目には見えない“紐”、もしかしたら考えて出てくる全てのモノは自分以外の他者には見ることができない“紐”で繋がっているのかもしれません。だからこそ、その目に見えない“紐”をこの世界で最も感じとることができる自分自身で明らかにして解いていく必要があるんじゃないかと思うんです。

そういう“目に見えないモノ”を扱うような繊細でめんどくさくて大変な作業をすることで、はじめて「何のためにそれをやるのか?」が自分自身の目にも明らかに見えてくるようになるってことなのかな、なんてことを考えています。

ああ、だからあんなに大変なんだし、脳みそへの負荷が高すぎてついつい逃げ出したくなっちゃうし、時には本当に逃げ出してしまうなんてことが起きるのかもしれないと考えるととても納得感が強めです。なるほどね。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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