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エントロピーの増大に抗って

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「色んな競技者が混在している“カオス”な状態なのかもしれないなぁ」

これまでに、様々な“組織”に身を置いて働いてきましたし、様々な“組織”に外部から関わらせてもらってきましたし、様々な“組織で働く人”の話を聞かせてもらう機会がありましたが、その中で冒頭のようなことを感じることが多々ありました。

どんな組織であっても、そこには必ず何らかの“組織の目的”が存在していて、その目的に向かうために形成された組織の一員として他者と協働して仕事をするということが“そこで働く人”には求められています。

そうである以上は、必ず“とって欲しい行動”というモノがあって、そこには必ず何らかの“判断基準”となり得るモノが存在しているはずです。

だけど、“そうであるはずの状態”であるにも関わらず、どんな理由が在ってそうしているのかはわかりませんが「“その組織に内包されているはずの判断基準”ではなくて“その人個人の判断基準”で考えて選択して決断して行動しているように見えてしまう人の存在」が多々見受けられたりするわけです。

それは例えるなら、自分が選択して参加したはずの“サッカーチーム”であるのにもかかわらず、「俺は野球がやりたいんだよ」と“その人なりに”考えて野球のボールとバットをサッカーグラウンドに持ちこんでみんながサッカーを始めた中で、いきなり野球の球をあちこちに打ち始めるというようなことなのかもしれません。

そして、そのサッカーチームの中には“その人”と同じように“その人なりに”「自分はラグビーをやりにきたんだ」とか「自分はホッケーするためにここにいる」とか「自分はプロレスしかやりたくない」と考えて、サッカーグラウンドでサッカーという競技をやっているはずのチームの中で、いきなりタックルをかまして相手を地面に打倒して雄叫びを上げたり、たりホッケーのスティックを振り回しなが走り回ってボールを奪おうとしてみたり、近くにいる人の背後に回って両手で腰あたりを抱えて持ち上げて自分の後方にバックドロップをしてみたり、なんていうカオスな状態が発生してしまっている。

そんな“カオス”な状態が巻き起こっているようにしか見えない“組織”が存在しているように感じることが多々あります。

とは言え、傍から見ると「サッカーチームでサッカーの試合をしているはずなのに、その実、それぞれのプレイヤーが“やりたい競技”を自由にやっているようなカオスな状態」に見えるわけですが、そのプレイヤーたち個人個人は「とても一生懸命に“その競技”に本気で取り組んでいる」からこそ、“カオス状態”により一層の拍車がかかってしまうのかもしれません。

「“カオス”になっている状態をどこからどうやって手を付けて“カオスではない状態”に持っていけばいいのだろうか?」

僕自身もカオスな組織にいた時には、いつも漠然とこんなことを考えていたような記憶があります。

ただ、その時はよくわかっていませんでしたが、どうやら“カオス=混沌”という言葉には対義語があるようです。

そして、その対義語はどうやら“コスモス=秩序”というらしいということがわかりました。

「混沌⇔秩序」

こうやって考えてみるとわかりやすくなる気がしてきます。

そうすると“昔の自分”が考えていた疑問はこう言い換えられるのかもしれません。

「この“混沌としている状態”を、何があれば“秩序のある状態”に変えていけるのか?」と。

冒頭にも書いたような、

本来はサッカーチームとして在るはずなのに、現状では「色んな競技者が混在している“カオス”な状態」から、“秩序のある状態”に持っていくためには何が必要なのか?と考えてみることで、案外と“シンプルなコト”が見えてくるような気がします。

なぜなら、この“本来”サッカーチームであったはずのカオスなチームを構成しているメンバーではありますが、それでも(基本的には)同じ言語を操り、同じような文化を共有している場合がほとんです。

それにもかかわらず“カオスな状態”であるということは、「俺たちはサッカーチームであり、サッカーをやるために集まったので、それぞれの人たちにはかくかくしかじかのポジション及びそれに必要なこれこれしかじかのプレイを求めます」ということについて、全員が「それが“当たり前のこと”である」と認識できていないからこそ発生している“カオスな状態”であるわけです(「全く言葉が通じない」とか「全く意志の疎通ができない」という状態ではないからこそ、同じサッカーチームとして集まったはずですから)。

ということは、「このチームは“何をするため”に集まっていて“どこを目指しているのか”を、みんなで共通の認識にすること」が必要です。

そのうえで「このチーム内で許容されるルールを理解したうえで実践して、ルールに則ったプレイをすること」が重要になります。

そして当然ながら「チーム内でお互いのプレイを連携させること」でおよそ“サッカー”という競技を成立させるための連携プレイができるようになるでしょうし、それらを実践することがチームを勝利に導くための得点に繋がるんじゃないかと思うんです。

そうやって、何らかの“スポーツ”のアナロジーを使ってみると、まさに“組織の三要件”に繋がってくることがよくわかりますし、それこそが“カオス(混沌)状態”を“コスモス(秩序)状態”に変えていくために“必要な何か”何だろうということが見えてきます。

そして当然ながら、“組織の三要件”を“その組織”に根付かせるためには“その組織”に固有の“基準”や“規範”や“規則”というモノが必要になってくるのは言うまでもありません。

“その組織”に固有の“基準”や“規範”や“規則”などが存在していて、それらに則って各プレイヤーが“組織の三要件”を実現させることによってそこにはじめて「秩序のある状態のチーム」が存在することができるようになるわけです。

そうして、“ルールの周知及び共通認識のためのコミュニケーション”や“みんなで協力してサッカーの試合に勝つという意志の確認”というモノが存在している「“コスモス(秩序)状態”のチーム」として、みんなが“サッカーというモノ”に一生懸命に取り組むことができる“よいチーム”が出来上がるんだろうと考えていますし、そうであるからこそ“そこ”で働く人たちみんなが“仕事=プレイ”をして充実感と貢献感を味わいながら、「世界は誰かの仕事でできている」を実感していくことに繋がるんじゃないのかなぁ、なんて思っています。

例え、「エントロピーは増大する」んだとしても、頑張って抗っていきましょう。”よいチーム”としてプレイフルにプレイしていくためにも。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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