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あんな感じで考えるのもありかもよ

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「“わからないことは何でも聞いてね”って自分は後輩に対して自信を持って言えないなぁって思ってます」

そんな話をしてくれたのは、とある企業の社員Aさんでした。

Aさんの勤める企業は少し前までいわゆる“若い人”がおらず、30代半ばのAさんが社内の“最若手”でした。その時点で中途入社してから10年程度が経過していましたがその間ずっと“最若手”のポジションのままで“若い人”が入ってきて定着することが無かったそうです。

もちろんその間も会社として事業を行い中途採用もしていたり、Aさんも数年間で様々な仕事をやりながら仕事ができるようになって“年上の後輩”ができたりしたわけですが、社内の先輩や上司からすれば相変わらず“最若手”のままであることは変わりがないので、どうやら入社してからずっと入社当時と同じような扱いをされていたようでした。

とは言え、Aさんが入社してから10年程度の時間が経過しているので実際にはAさんも世間的には“中年”と呼ばれる年齢になっていますし、先輩方も同じように年齢を重ねていて、人によっては定年退職がもうすぐになっていたりして、組織としても“平均年齢”がかなり上がってきているのは傍から見ると明らかではありましたが“組織内”にいる人達としては(当たり前ですが)全員が同じように年齢を重ねているので自分達もAさんも「約10年分の年齢を重ねて経験を積んでいるんだ」ということを客観的に認識することが難しかったのかもしれません。

そんな環境で“最若手”として仕事をしてきたAさんが冒頭のようなことを考えているのはもしかしたら「当然と言えば当然の話」なのかもしれません。

そこからウチが関わらせてもらって組織開発を進めていく中で、今では“若手”の採用もできてAさんにも初めての“年下の後輩”ができたり、これからも若手の採用に力を入れていくための取り組みを進めているところです。

そんな中で、社内での“人材育成”を進めていくための取り組みも始まった中でAさんがふと話してくれました。

「“わからないことは何でも聞いてね”って自分は後輩に対して自信を持って言えないなぁって思ってます」と。

なぜそう思っているのかを聞いてみるとこんな回答でした。

「後輩に質問をされたら、聞かれた側はどんな質問にでも全て的確に正しいことを答えらえないといけないものだと思っている」と。

なるほど確かにそう思っているのであれば「わからないことは何でも聞いてね」なんて言うことは“自信”の表れに感じるでしょうし、その“自信”を持っていないとこの言葉を言う事は“恐怖”や“不安”に感じられるかもしれないなぁ、と感じました。

ただ、実際には「どんな質問であっても全て的確に正しいことを答えられる」なんてことは起きるんでしょうか?

もしもそんなことができるとしたら、それはきっと“その仕事”とか“その会社”の中に“ありとあらゆる正解を知り尽くした全知全能の存在”みたないモノが鎮座している場合だけなんじゃないかなと思っています。

つまり、そんなことは現実的には「誰であっても出来ない」んじゃないかなと。

そんなことは誰にもできないからこそ“組織”とか“会社”ってものが存在しているんじゃないかと。

そんなことが誰にもできないからこそ、“組織”では「目的の共有、円滑なコミュニケーション、協力」が必要不可欠なんじゃないかなと。

だから、後輩には堂々と言えばいいんじゃないかなと思うんです。

「わからないことがあったら何でも聞いてね」って。

そして、こうも付け加えればいいんじゃないでしょうか。

「もちろん、聞かれてもわからないこともあると思うけど、わからない場合には“わからないから〇〇を△△までにするね”って、その後どんなアクションをいつまでに取るかを回答するから安心して何でも聞いてね」と。

だって、わからないモノはわからないのでしっかりと「自分にもわからない」って伝えるしかありません。

だけど、同じ組織内の後輩から“仕事”のことで質問をされたことが、自分も「わからない」ということは「組織の仕事(後輩にやって欲しい仕事)が滞る」ということを意味しています。

それは組織としては何とかしなければなりません。必ず“どうにかして”わかる状態にして「やるべきことを実行して成果を出す」ということが必要な情態です。

だから、聞かれても自分が「わからない」のであれば“わかる人”に教えてもらうとか、“わかる”ように何らかの手段で調べるとか、誰かの力を借りて“考える”とかが必要です。

そうして「わからない」という状態が解消されるまでの道筋を後輩に示してあげることができればいいんじゃないかなと思っています。

何しろ、“組織の一員”として組織の中で働いているわけですから根本的な原理から考えても「自分一人で全てができるわけじゃない」ということを理解して認識しているはずなわけです。
その組織を最初に作った人達も、その組織を受け継いできた人達も、今現在のその組織を構成する全ての人達が「自分一人で全てができるわけじゃない」と理解して認識して、そのことに合意しているからこそ“組織で働く”ということを今現在しているわけです。

そんな根本的な原理から考えても「わからない」ってことは当然にあるわけですし、「わからない」ということがあっても何の問題もないし、誰かが「わからない」としてもそれを“組織”としてクリアできなければならないし、それをしていくのが“組織”が“組織”として存在している理由です。

だから堂々と「わからないことがあったら何でも言ってね」と言っていけばいいですし、聞かれてわからなければ「自分もわからない」と堂々と言っていけばいいすし、「わからない」ことについては他の誰かの力をだったり道具だったりなどの“組織が持っているリソース”を最大限活用して「わかる・できる」状態にすればいいだけです。

是非とも植木等の『だまって俺について来い』のように言ってあげて下さい。

でも、この歌詞のまんまじゃ後輩も一緒に困っちゃうことになるので少しだけ変えて言ってあげるといいかもしれません。

わからないヤツは俺んとこに来い

俺もわからないけど心配するな

みろよこの仕事 この資料

そのうちなんとかなるなんてことはないから

俺が一緒に何とかするぜ


先輩、こんな考え方ではどうでしょうか?



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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