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この道を行けばどうなるものかはわかりませんが

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

ここのところ、その日に「初めまして」の関係性の方々とグループになって話し合いをする場に何度か参加しています。

その時に「すごく有意義な話し合いだったなぁ」と感じた時と「何だか話が色んなところにとっちらかってしまっていったなぁ」と感じた時がありました。

「それらの違いは一体何だったんだろう?」

そんなことを考えるともなしに考えていたんです。

例えば、「ファシリテーター役をしてくれた人の技量の差なのか?」と考えてみると、僕が最近参加して「すごく有意義だったなぁ」と感じた話し合いではファシリテーターの方もそこまでスイスイと仕切っている感じもありませんでしたが、参加者の方々がみんなとても対話的で協力しながら話し合いが進んでいたように感じました。それとは逆に、「話が色んなところに~」と感じた話し合いの方ではファシリテーター役をしてくれた人はかなりこなれた感じでファシリテートの技量も高そうな感じでしたし、参加メンバーも積極的に話をしていましたがなかなか話は深まることなく終了していったように感じました。
こうなってくると「ファシリテーターの技量」というのはそれほど大きな影響力があるわけではなさそうだなぁということが見えてきます。

じゃあ、もう一つ考えられる「参加メンバーの取り組み姿勢の差なのか?」と考えてみますが、これもどちらの回でもスタート当初の姿勢はそれほど大差は無かったように感じました。ただ、話が進んで行くと「有意義だった」と感じた回の方が話し合いが進む中での参加メンバーの集中度合いとか考える深さのようなものやグループメンバーの協力度合いがどんどん高まっていくような深まっていくような感覚がありました。

そうやって考えてみると、一体何が違ったのかがどんどん迷宮入りしていったのでひとまずその両方の回に参加した時にもらった“資料”をよく見てみました。

すると一つの違いが見えてきました。

どちらも資料の大まかな作りは特に変わらずその進行の流れも変わらない感じだったんですが、一つだけ大きく違うところがありました。

それは、グループでの話し合いについての“テーマ”でした。

あ、もちろん話し合いの回が違うんだから“テーマの内容”が違うのは当たり前なんですが、ここで言う違いは“テーマの内容”ではなくて“テーマの形式”とでも言うんでしょうか。

例えば、僕が「話がとっちらかって深まらなかったなぁ」と感じた回では「〇〇と◇◇について」というテーマが設定されていました。

一方で、僕が「すごく有意義な話し合いだったなぁ」と感じた回では「△△とは何か?」というテーマが設定されていました。

この違いに気付いた時には「ああ~~~」と思わず頭を抱えてしまいました。

なぜなら、テーマが「問いになっていないモノ」と「問いになっているモノ」という明確な違いがあったからであり、その「“問い”か“問い”じゃないか」ということに、その時その場で気付かずに、今こうやって振り返ってみてようやく気付いている自分自身にガッカリしたからです。

ウチの会社は「対話の会社です」と謳っています。そして、対話には相手がいて、その相手が語ることを聞くことが必要ですし、語るためには“問い”が不可欠ですし、問われたら考えることが必要ですし、考えたことを語り、それを聞く相手がいてくれるからこその対話です。

それを仕事にしているのにもかかわらず、こうしてそれぞれの“話し合い”について振り返ってみてようやく“テーマの形”の違いに気が付いているんですから自分にガッカリしてしまいます。

でも、自分自身に対して大きくガッカリしつつも一方では「気が付くことができたという収穫があった」と感じているのも事実です。そして、自分達がテーマを設定する際には必ず「“問い”の形にする」ことに気を付けているんですが、自分が参加者としてそこに居る場合には「テーマの形がどうなっているのか?」ということに全然気を付けることができていないということもハッキリわかりました。これもまた自分にとっての収穫になりました。

自分がこれほど愚鈍だということに気が付かされて正面から向き合わされたのはとっても痛かったのは間違いありませんが、これほど大きな転倒であっても、いや、だからこそ、転んでもタダでは起きないようにしようとなるべく心がけています。

ここに書いたようなことを、こうやって文字にしたり口に出したりしなければ自分だけが「ああ、しょうもなかったな俺は」と思っておくだけで済むんだとは思いますが、ここにこうやって書いておけばいつの日か自分がここに書いたことを読み返した時に「あの頃はまだまだこんなところに居たんだな自分は」と再確認できる目印になるんじゃないかと思っていますし、僕をリアルで知っている人が読んでくれた時にも「ああ、このくらいのところにいるんだなぁ」と等身大を知ってもらうことにも繋がるのかもしれないと思っています。

自分は本当にまだまだだし、全然何もわかっていないし、これからもずっと修行を重ね続けていかないと誰かの役に立つことなんて難しいんだから、本当に心の底からこう思います。

「毎日が修行だし毎日研鑽を重ねないと此処で止まってしまって何処へも行く事ができなくなっちゃうよ」って。

だから、自分を客観的に正面から観察して正しく自分を知って自分を鼓舞し続けるしかありません。

まだまだ知らないことだらけだし、まだまだ全然足りていないんだから、止まってないで前に進むしかないんだよ。ほら行け、進め。このままここで終わっちまっていいのかよ?それで成し遂げたいことができるのか?まだまだなんだろ?自分しかいねーんだよ、自分の願いを叶えるために行動してくれるのは。だから、恥ずかしくても情けなくても行くしかねーんだよ。「行けばわかるさ」って、あの人も言ってたことだし、な?


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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