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一遍に一変した人生の一編と世界の一辺

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

今日はまた随分と自己理解が進んだ一日となりました。

僕の中で自己理解が進むタイミングは大抵が“調子の悪い時”です。

体調が悪かったり、気分が悪かったり、もしくはその両方だったり。そんな時に、自己理解が進みます。

体調が悪いと、気分が落ち込み、気分が落ち込むと良くない事ばかり考えるようになります。良くない事を考えるようになると、気分が更に落ち込みます。そして以下ループ。

そんな状態になると、かなりの速度で“底”まで辿り着くのが、僕のいつものパターンです。そして、“底”に辿り着くと必ず「そもそも自分とは?」みたいな事を考えることになってしまいます。

「そもそも自分とは?」

「なんで今ここにいるのか?」

「どうしてこの仕事をしているのか?」

そんな事を、普段以上に考えて、だけどもちろん明るい方向で考えることはできないので、ある意味では希望的観測が入り込む余地の無い状態なので、ありとあらゆる負の可能性について検証する事が可能な状態でもあったりします。

そうなった時に辿り着いた感じがするのが、自分の中にあったかもしれないけど今まで気付く事の無かった(と言うか、気付かないようにしていた)本当の部分なのかもしれないと考えています。

今日辿り着いたのも、今までこんな状態になった時と同様に、「それまでの自分は一度も考えた事が無かった自分の姿」でした。

「自分には、こういう部分があったのか」

「自分があの時していた言動はこういう意味があったのか」

「自分が“こうだ”と思い込んでいたことは、実は全然違ったのか」

今日見えてきた“自分の新しい姿”によって、これらの事が全部矛盾なく繋がっていって、ハッとさせられました。

自分自身についての、新しい解釈ができたんです。

もちろん、この“自分自身の新しい解釈”はハッキリ言って途轍もなくショックなモノでした。それまで、自分の事を「自分はこういう人間だ」と捉えて思い込んでいた姿が、実は全然違って、「自分はこんな風に考えてあんな言動をしていたからこういう状態になっていたのか」という、思い返すと顔から火が出そうな事実を否が応でも認識させられる事になりました。

これは、久々に衝撃的な出来事でした。

起業してからこれまでも何度も何度もこんな事があって、自己理解についてはここ3年間で随分と深めてきた自覚がありましたが、今日くらいの「天地がひっくり返りそうな自己理解への到達」については、これまでには無かったというのだけは間違いありません。

今までの自己理解の深まり具合とはレベルの違う深まりでしたので、当然ながら、受けたダメージもそれだけ大きかったのは言うまでもありません。

これが、もし、平常時の精神状態で辿り着いてしまった自己理解だったら「いやいやいや、そんなはずないでしょ」なんて、真っ先に否定してしまっていた可能性は多分にあるんじゃないかなと思っています。何しろ、平常時の自分の中では“希望的観測機能”が多分に稼働しているので、その希望が邪魔をして、ここまで冷静に深く自分自身の内面に入っていく事が出来ていなかったのは、今日までここに辿り着いていないという事実からもハッキリと分かります。

ということは、平常時の精神状態では今日のような自己理解に辿り着く事は出来ないというのがハッキリしているわけでもあるんですが、そう考えると、今日起きたこの出来事があったという事で「体調も気分も落ち込んでいてよかったなあ」なんていう感想すらも今の自分の中には湧いてきてしまっていたりもするんです。

今から思い出してみても、今朝の体調と気分の落ち込み具合は「また経験したい」とは思えませんし、出来るならば今日到達した自己理解に伴う「痛みと喪失感」はレベルが高すぎてまた経験したいとはとてもじゃないけど思えません。

でも、恐らく、これからもまた自分の中にこういう事が起きるであろう予感は既にしています。

なぜなら、これは“構造”の話なんだろうなと感じているからです。

今日体験した自己理解は、自分自身に対しての認識の変化は、「自分自身について深く考える」という行為をする際に、「どんな事をどうやって考えるのか?」という“構造”を理解していなかったからこれまで辿り着けなかったんじゃないか?一度経験した今はそんな風に感じています。

だけど、今日はたまたま“そういう体調”で“そういう気分”だったから偶然に起きた出来事だったのかもしれませんが、偶然でも一度体感して自分の体の中を通ったことで、その“構造”を理解して把握する事ができたような気がしています。

もちろん、「いつでも好きな時に再現できます」なんて言う程の理解度ではありませんので、当然ながら再現できるかどうかはわからないんですが、それでも一度体感できた事で、「今まで一度も体感した事の無かった感覚がこの世界に存在するんだという事がわかった」と言い切る事は出来るよなあと感じています。

今まで頭の片隅にもその存在をイメージする事ができなかった状態から、今は「あの感じ」だとイメージする事ができるわけです。

「イメージ出来る事はマネージ出来る」と僕の尊敬する人は言っています。

僕もこの言葉が大好きですし、まさにその通りだという実感も持っていますし、常にこれを信じて色んな事を考えて行動もしているつもりです。

これこそ、佐藤雅彦さんの著書『新しい分かり方』で言う「新しい分かり方」なんじゃないかとも思っています。

こういう世界があると分かってしまった以上は、分かる前の自分にはもう戻れません。分かる事がどんどん増える事で、自分はどんどん変わっていくし、それに伴って過去の意味付けもどんどん変わっていきます。

そういう事が推進力になって、世界もどんどん変化していくんだ。

そんな事をいつも感じて、考えています。

何しろ、今朝は「もうダメかもしれない」と思うくらいに体調も悪くて気持ちも落ち込んでいた僕が、12時間以上経過した今は途轍もなく晴れ晴れとした気持ちでこうやってnoteを書いていられるくらいに変化しているという現実がここにあるんです。

もちろん、気まぐれとか気分変調とか色んな要因もあるのかもしれませんが、それ以上に、自分自身の中に在ったこれまで知らなかった部分の窓、“ジョハリの窓”で言う“未知の窓”が開いた事によって、大きなダメージを負いつつ、それと同時に、これだけ晴れ晴れとした気分になるくらいの変化が起きるんです。

自分が変われば、世界も変わります。

「今日一日で、あの一瞬で変わった」そう考える事も出来ますし、「ここまで辿り着くのに45年以上かかった」そう考える事も出来るでしょう。

でも、いずれにしても、僕の内面は一変しましたし、僕から見えるこの世界の景色も確実に一変しました。

そうして、その変化をきっかけに、そこに纏わる様々な物事への捉え方もどんどん書き換わって、今この瞬間では何もかもが昨日までとは別の角度からも捉えて新しい意味が加わってきているような気さえします。

当然、仕事における考え方も早速影響を受けて、現在進行中のモノもこれから手掛けるモノも、これまでには考えてもいなかったような新しい意味付けを加える事が出来る構想が見えてきましたし、そこにも“新しい構造”を応用する事が出来るアイデアが湧いてきています。

今はただ、「あんなに最悪の状態が、こんなに最高の状態を生み出す事に繋がるなんて事があるんだな」という事に驚きつつも、あんなに最悪の状態だった少し前の自分自身に感謝すらしています。

負のループに陥ってしまう自分自身に対して、まさか感謝する日がやってくるとは思いもよりませんでしたが、ただただ「そんな事も起きるんだから面白いよね人生は」と、楽しく今日までの自分の人生を思い返しつつ、こんな内面の変化が必ずまたやってくるだろうなという予感をビンビン感じて仕方ありません。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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