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それはどこからやってきたのですか

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「僕の完敗でした」。

朝のミーティング中に予想もしていなかった言葉が口から飛び出しました。


週の頭の午前中は、いつもミーティングから始まるのがウチの恒例なんですが、その中で、最近ちょっとずつだけど増えてきはじめてきた新しい案件の中の一つについて話をしている時に、色々が繋がって、若干停滞気味になっていた計画作成の最大のボトルネックが「自分自身の中に内面化されてきっていたモノが言語化できていなかった事」に気付いたんです。

この瞬間までは、僕の中では「何が進まない原因なのか理解できない」というハテナマークがずっと頭の中に存在しているような状態であり、その停滞している現状に対して、怒りすら湧いてきているような状態でした。

その時に、ふと思い立ってそんな“怒り”に焦点を当てて、分析してみる事にしたんです。これはホントに何気なく思い立ってそうしてみました。

ただ、この時、僕の頭の中では、先日参加させてもらって、とても“学び”多かったと感じている『オープンダイアローグ』の事を思い出されていました。

あの時に、自分が話をさせてもらったのも“怒り”についてだったけど、その時の話をしっかりと聞いてもらった事や、自分には一生かかっても思いつかなかったかもしれない観点からの“自分自身の感情の分析”によって、自分の怒りの根本的な原因が理解できたことで、その後の自分自身の心の中に、いままでに感じた事のなかった“爽やかな気持ち”が訪れたり、そこからの変容ぶりが自分でも感じられているのがとても大きかったんです。

だから、あの時と同じように「問い」を立ててみる事にしました。

今の自分の中にある、この“怒り”のホントの原因は一体何なのか?

これについて、ミーティングで仲間と話をしたところ、結構あっと言う間に原因は割り出されたんです。

それは、“恐れ”でした。
自分が理解できない事柄に遭遇した時に感じる恐怖という“恐れ”。

そんな“恐れ”が自分の中に湧いてきたことに自分でも気づかないくらい瞬時に、この“恐れ”が“怒り”に姿を変えている事に気付いたんです。

きっかけは、仲間の一言でした。

「その状況だと、私は“怖い”って思っちゃうんですけど、あかねさんは何で“怒り”になるんだろう?」と。

これを聞いた時に、なるほどと思いました。
「あーーーー。確かに。“怖い”って思ってるのかもしれないけど、それより先に“怒り”になってる気がする・・・」

自分で気が付いてみれば、この話って色んなところでよく聞く話だったりもしているわけです。

だけど、自分自身の怒りが、まさか“恐れ”からきているものだったとは、なぜだか想像すらもしてみた事がありませんでした。

でも、理解して納得すると、もうこれ以外に自分が“怒り”を感じている理由にしっくりくるものはありません。

そう言えば、このミーティングの前に、最近のニュースとして何かで見た“北海道の街中に熊が出没して自衛隊の門を開けて侵入していった”話なんかもしていたんです。
熊の専門家(?)によると、熊はパニックになって人に攻撃しちゃうらしいという事を、あらためて知りました。

「パニックになる」という事は、“恐怖”や“不安”によって普段の熊とは異なる状態に陥っているという事なんだと思うんです。

そしてその「パニック状態」でとる行動が、人間から見た時には“無差別攻撃”にも映る。

そんな時事ニュースの話題と自分を重ねて考えてみる事が出来たのも、僕にとっては良いタイミングだったのかもしれません。


自分の“怒り”は、「何かが起きた時に一番最初に湧き出して来る感情」なんかでは全然無かったというこの仮説の“しっくり来た度”の高さたるや。

そもそも、自分の“怒り”は、「何かが起きた時に一番最初に湧いてきた“不安”や“恐怖”によって判断を止めたり行動を止めたりしてしまわない為に自分の体が身に付けた、動き続ける為のスイッチなのかもしれない」という仮説と、上の仮説を組み合わせると、自分自身の“怒り”に塗れた心の中が、実は、“不安”や“恐怖”に曝され続けている状態から、自分自身やそれ以外の色々なモノを守ろうとしているから起きる「防御反応」なんだろうという事がよくよくわかってきました。

そんな、「自分自身の弱さ」みたいなモノを真正面から捉える事が出来て、先日参加させていただいた『オープンダイアローグ』や、このタイミングで新しい案件についてミーティングした事や、僕に「問い」を投げてくれる仲間や、熊出没のニュースや、その他諸々に感謝の念を覚えつつ、それと同時に、冒頭の「完敗でした」という気持ちになりました。


自分の中の“怒り”のメカニズムが見えてきたことで、今後は、この“怒り”が芽生えた時にどれだけ素早く、「自分は、この“怒り”によって、どんな“恐怖”をすり替えようとしているのか?」という「問い」を自分に向けられるかの勝負になってくるのかなと思っています。

元々、僕は“怒り”を悪いモノだとは捉えていません。
自分自身が動き続けるためには、とても重要なエナジーの源泉だと考えています。

人間の感情について“喜怒哀楽”なんて表現をするように、人間の本質の部分に関わるモノなんじゃないかなあとずっと考えてきています。

だけど、ここ最近は、そんな自分自身の“怒り”が強すぎて、その“怒り”自体に囚われてしまう時間が増えてきたような気がしていました。

だから、「この“怒り”を使ったり使わなかったりのコントロールが出来たらいいなあ」なんて考えていたんです。ボンヤリと。

そしたら、こんな事も思いつきました。

「“喜怒哀楽”って、もしかしたら一番根っこに在るわけじゃないんじゃないのか?」

という事は、
「“喜怒哀楽”の4つの感情は、その大元に“安心”と“不安”があるのではないか?」

そしたら、
「“安心”は、“喜”と“楽”の源泉で、“不安”は、“怒”と“哀”の源泉なのでは?」

つまり、
「“不安”の中には“恐れ・恐怖”も含まれていて、それが“怒り”に変化するんじゃないのかな?」

という事に繋がった感じがするんです。


こうなると、今現在の自分の心持が“安心”を感じているのか“不安”を感じているのか。それを確認するだけで、その時の感情の源泉が見えて来るのかもしれないし、この源泉を先に掴んで、自分の内面だけじゃなくて、外に向けて発信する事が出来れば、自分一人じゃなくて他の誰かと一緒に考えてもらう事も出来るかもしれないし、そもそも、そうなれば“怒り”や“哀しみ”という自分だけで抱えるにはキツイ感情を抱えずに済むようになるのかもしれないし、そうなれば、自分のパフォーマンスは上がるに違いないのでウチの会社にとっても良いことづくめに違いない。

そんな事を考えました。


この今日の一件で、ただ一つだけ「難しかったなあ」と思った事があるとすれば、

「自分の中の“怒り”が、実は、自分の中の“恐れ”から発しているらしい」

という「自分はビビりである」という客観的事実を、現実として、真正面から受け入れて理解して納得するには、なかなかの胆力が必要かもしれないという事だけです。


ホントに、もう、完敗です。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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