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良き人生に必要なコトを続けよう

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

「なんだか最近、色んなことにストレスを感じやすくなってる気がするなぁ」

こんなことを自覚できるようになったのは、本当にここ数年くらいの出来事なんですが、それ以前はこれを自覚することができていませんでした。

冒頭のようなことを、自覚できていなかった“以前の自分”と自覚できるようになってきた“今の自分”とでは一体何が違うのかについてちょっと考えてみたんですが、一番の違いは「ストア哲学を知り実践を始めたかどうか」だと認識しています。

今から振り返ってみると、“以前の自分”は、それこそ一日の中で起きる様々な出来事に対して何度も何度も“己の感情”に囚われて気分が上がったり下がったりしていましたし、それによって疲弊していましたが、“今の自分”と比べてもフィジカル的に体力や回復力が高かったのでそういう日々を毎日繰り返すことができてしまっていました。

でも、ストア哲学を知って実践をするようになってからは、少しずつではありますが“己の感情”に囚われることが少なくなってきているのを実感します。

もちろん、相変わらず様々な出来事は次から次へと起きますしそれに都度都度対応する必要も出てきますし、それによって感情が湧き上がってくることはありますが、その湧いてきた感情に囚われたり飲み込まれたりすることは“以前の自分”と比べたら大幅に減ってきて、その感情を客観的に眺めたり、「なぜ今この感情が湧いてきているのか?」とか「そもそも、何を問題だと感じているのか?」なんてことを自分に対して問いかけて考えることで、湧いてきた感情が治まっていくことが増えてきました。

僕がストア哲学の考え方で気に入って実践しているのは“コントロールの三分法”というモノで、これは僕の大好きな本『良き人生について ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵』(ウィリアム・B・アーヴァイン:著/竹内和世:訳) の中に書いてあったモノです。

これを知って実践してみたことで、“以前の自分”が如何に「自分には変えることのできないモノ」に対して思い悩んだりアプローチをしたりコストや時間をかけたりリソースを割いたりという“途轍もなく無駄で無意味なコト”に人生を費やしていたのかに気が付かされました。

それと同時に、自分が40年以上も“この事”を知らないまま、取り組まないまま、生きてきてしまっていたという己の愚かしさを真正面から自覚させられることになりました。

でも、不思議とすんなり「ああ、自分は本当に無駄で無意味で愚かなことに時間も労力も費やして嘆いてきただけだったんだなぁ」と受け入れることができました。もちろん、めちゃくちゃに“痛み”と“喪失感”を感じることにはなりましたが。

そんな体験をしたからなのか、とっても自然に“コントロールの三分法”を実践するようになりましたし、それ以外にもストア哲学の実践について取り組むようになりました。

とは言え、長年繰り返してきた“習性”のようなモノはなかなか“修正”ができません。

何度も何度も毎日毎日繰り返し取り組んで「ああ、またできなかった」と自分に対して失望を繰り返しながらも継続しているうちに、「ああ、ほんの少しだけ出来たかもしれない」と思える回数が増えてきているような感覚です。

そういうことを繰り返していると、当然ながら冒頭のように自分自身を客観的に眺める訓練が積まれていくわけなので、「なんだか最近、色んなことにストレスを感じやすくなってる気がするなぁ」ということに気が付けることも増えてきましたし、ストレスに侵食されてしまって、暴飲暴食などでストレスを自分自身にぶつけたり、言わなくていい余計な一言や余計な行動によってストレスを自分以外の他者にぶつけたりするようなことは“以前の自分”と比べると格段に減ってきました。

それに加えて、自分流の“ストレスへの対処法”も見つけることができてきました。

とてもベタな方法で何のオリジナリティもありませんが、一つは運動。もう一つは、読書です。

僕の場合、これら二つに共通するのは「忙しくて時間が取れない」と思い込んでしまっていると、運動も読書もどんどん疎かになっていってしまいます。

それによって、運動が減ると「フィジカル的に“最大出力”を発揮する機会が無くなり、筋力が衰え筋量も減って体形が“望ましくない形”に変化していき、体が錆びついていく感じがするし、現実的に代謝も落ちて睡眠の質も低下する」ということが起きてきます。

読書が減ると「自分よりも遥かに賢い人達の英知に触れる機会が減って、自分以外の価値観や考え方に触れる機会が激減してしまい、“自分自身の価値観や考え”に囚われたり固執してしまったりしていることに気付きづらくなっていって“頭の中が晴れ渡る”ような体験が激減する」ということが起きてきます。

「忙しい」という思い込みによって、運動も読書も減ると、そもそも「自分にとって必要だし楽しいはずのコト」をする機会が無くなるのもストレスの大きな要因につながっています。

「自分という人間はそういう風に出来ていて、こういうことが重要なんだ」ということが分かってきた“今の自分”には、運動と読書をする時間を捻出して、さらにそれらを「“習慣的”に実施する」というプログラム(?)を生活のリズムの中に組み込むことで、明らかにストレスが軽減するし、体は健康になるし、脳みそは活性化するし、精神的にも健全になっていくというのがこれまでに何度も実証されています。

なので、なんとかして「運動と読書が組み込まれた生活リズム」をできるだけ規則正しいプログラムとして組み込んで、できる限りそのリズムを崩さないように「忙しい」という中でもどうにかこうにかやりくりして進めていくことが「とっても重要なんだな」ということを、久々にまとまった時間集中して本を読んだりとジムで運動したりして“とても清々しく前向きな気持ち”になったことで強く強く感じました。

自分にとっての「良き人生」にするためにも、なるべくブランクを空けずにちゃんと続けていかなくちゃ。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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