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思い描いていた理想はもしかして

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

普段はあんまり強く意識する事が無いような気がしているんですが、様々な物事についての“理想の姿”を、必ずどこかで思い描いてそれと比べているような気がしています。

もちろん、自分自身の事として“理想の姿”を思い描くというのは、それ以外の事と比べればそれなりに意識する機会が多いんじゃないかなと思うんですが、自分自身の事以外の物事については、そうとは意識しているつもりは無くても、案外強めに“理想の姿”をどこかで思い描いてしまっていたという事に、後々になって気が付いた、なんて事が僕には結構よくあるんです。

例えば、PCやスマホやポメラなどの電子デバイスだったり、ゲーム機器やテレビやブルーレイやコンポなどのAV機器だったり、空気清浄機やエアコンなどの家電も含めて、およそ日常の中で使用するいわゆる“機械”が、その用途を果たして欲しい時に、通常作動するはずの手順を踏んでも正常に動かない時に、僕はかなりイライラしてしまうんです。

そんな心の狭い自分自身について後々思い返すと、確かに自分の中に「絶対に指示通り正確無比に動いて故障も不具合も存在しないで、常に持てる機能を全て充分に発揮するはず」などという普通に考えると有り得ないはずの“理想の機械像”を頭の中に思い描いてしまっていて、それと現実に起きている事象を比べてしまってイライラする感情が起きているんじゃないかという事に思い至ります。

そんな、“自分自身以外の存在”に対して意識しないままに持ってしまっている“理想の姿”には、物だけじゃなくて“他者”に対してのモノも当然ながらあったりします。

例えば、“家族”や“仲間”や“友人”や“知り合い”などに対して、“理想の姿”を持ってしまっている事は「確かにたくさんあったんだろうなあ」と、今これを書きながらも回想しています。

それ以外にも、当時自分が働いていた会社の“上司”や“部下”や“同僚”や“先輩”や“後輩”や“経営者”に対しても確実に“理想の姿”と比べていましたし、そんな時はいつもこう思っていました。

「なんでそうなるんだよ!○○だったらこうするべきだろう!」
(○○の中には、“上司・部下・経営者”が入る事が多くありました)

もちろん、こんな事を口に出して“その本人”に向けて言ったことは無かったと記憶していますが(あったとしたらごめんなさい)、僕が頭で思い描いていた“理想の姿”が実現される事は、僕が頭の中で思い描いていただけの時期には、ほとんどありませんでしたから、結局いつも「なんでそうなるんだよ!」と思い続ける日々が続いていました。

そんな、自分の中にある“理想の姿”に振り回されてストレスを溜め続ける日々から解放されたのは、“マネジメント”というモノを知って、学んで、実践をするようになってからでした。

部下に対するマネジメントと、上司に対するボスマネジメント。
この2つを実践する事で、自分の仕事がどんどんやりやすくなっていきました。

この2つのマネジメントは、その矢印が向かう先がちょっと違うだけで、やっている事は全く同じです。

「みんなができるだけ楽にスムーズに仕事を遂行するために、他者に動いてもらう働きかけをする」

ただそれだけの事だって気が付いたからです。
その為に、“動いて欲しい人”の特徴や特性をよく把握しておく事で、こちらからの“働きかけ”はかなりスムーズになりました。

こんなマネジメントを実践する中で、それまで散々悩まされて自分のストレスを生み出す最大の要因になっていた“理想の姿”は、途轍もなく役に立つ存在に変わりました。

自分の中にある“理想の仕事像”が、このときのマネジメントを実践する時の強力な指針になったからです。

この時は、とても運が良い事に、その会社の理念が僕にとってとても共感できる内容だったので深く理解が出来ていました(これは恐らく僕の妄想ではなく、客観的事実としてもそうだったので新入社員のオンボーディング研修を担当してたんだと思っています)。

その為、僕の中の“理想の仕事像”が、マネジメントをする際の「みんなができるだけ楽にスムーズに仕事を遂行するために、他者に動いてもらう働きかけ」を考える際に、ブレない軸として大いに効果を発揮してくれました。

そんな、過去の自分自身の体験を通して、自分の中の“理想の姿”とのギャップからくるストレスに苦しんでいる人、マネジメントやボスマネジメントの概念を持たないまま徒手空拳で組織の中で奮闘して疲弊してしまっている人、会社の理念の理解が深まらない状態で自分自身の“理想の会社像”で走り続けて嘆いている人。

組織開発をしていると、会社という組織の中には、そうやって苦しみながら働いている人達がたくさんいる現状を目の当たりにします。

そして、そこにはその人が持っている“理想の姿”というモノの存在に、その人自身が気が付いていないまま、だけど、現状とその内に在る“理想の姿”とを比べ続ける事でその苦しみが生まれているのが、話を聞かせてもらう事で段々と浮かび上がって来ることがとてもたくさんあるんです。

もちろん、僕の経験が全てでは無いのはわかっているので「それが絶対有効です」というつもりはありませんが、それでも外部の第三者という立ち位置から観察を続けていると、僕自身が体験してきたケースとかなりの部分が似通っていると判断できるケースが多いのも事実なので、その時には、僕の体験談を聞いて貰ったり、対話を通じてその人自身の中にある“理想の姿”について気付いてもらったり、“マネジメント”と“ボスマネジメント”の考え方と実践の方法について研修をしたりして、「今よりもっと楽に楽しく働く」が可能になる事に繋がる事が多くあります。

そうして、その先には、ようやくその人自身の中にある“理想の姿”の活躍する場面がやってくる事もあるわけです。

“理想の姿”を思い描くというのは、その根拠や理由が明確になっていると、未来に対する“希望”や“楽しさ”に繋がる事もたくさんあるなあと感じますが、僕やこのケースの人達みたいに、知らないうちに自分の内側に出来上がっているモノだとすると、知らないうちに“苦しみ”や“ストレス”に繋がっている事もあったりします。

“理想”ってこうやって考えてみるまでは、「なんとなく素敵なシロモノ」みたいに考えていたんですが、もしかすると、常に、“希望”と“苦痛”の両面を備えている、結構おっかないシロモノなのかもしれません。

できるだけ、自分の中に在るまだ明確になっていない“○○の理想の姿”に振り回されないように気をつけていこうと思っています。


あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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