いつかきっとどこかでは
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
色んな業種の色んな会社の色んな職種の方々に出会いお話を聞かせてもらうことが多い仕事をしていると、時々出会うことのあるのが「他責的で消費者感覚が強く被害者ポジションを取ることに一生懸命になる人」です。
どの組織でも必ず出会えるというわけではありませんが、それでも組織の大小に関係なく大抵の組織の中で“そういう人”に直接会ったり、もしくは、「職場に“そういう人”がいて困っている」というような話を聞かせてもらうことがあります。
そんな“他責的な人”は、年齢や性別や職歴や在籍年数にかかわらず存在していることが観測されているんですが、みんなそれぞれ全く別の人であるはずなのに“そういう人”の発言内容や行動にはなぜだか一致しているポイントがたくさんあります。
その中で何か一つの特徴的なポイントを挙げるとすればこういう部分でしょうか。
「なぜそうなるのかは全くわからないが、“ある事象”について、“その人”以外の複数の人達が認識している“事実”について話す内容と、“その人”が認識している“事実”について話す内容が“大きく異なっている”というケースが“幾つも”確認される」というところです。
「いや、そんなこと言ったって全ての“事実”と呼ばれるモノは必ず“誰か”の主観なんだから唯一絶対の事実なんてものはこの世界に存在しないはずだ」なんていう考え方もあるとは思っていますし、それはそうだなとも思います。
ただ、こと“仕事”の場面においては、いわゆる“客観的な事実”というモノは「存在する」という前提でないとそもそも“仕事”というモノを誰かと協働してやっていったり“目的”を共有して成果を挙げるなんてことが不可能になってしまいます。
だからこそ「やり取りの内容を文字化して記録する」ということが頻繁に行われていますし、そのためにメールやチャットなどのテキストコミュニケーションによって“言った言わない”を無くし、関わる人達の間で「“客観的な事実”を握り合いました」という合意をはかることにそれなりのコストを割くわけです。
そうやって“客観的な事実”をいうモノをみんなで握り合って仕事を進めていく中で、時折出会う“他責的な人”は多くの関係者が認識して合意している“客観的な事実”を全く別の観点や視点から捉えて認識していることが多く、その認識は「責任は“誰か・どこか”に存在していて、そのために自分は不利益や害を被った」というところから発していて、さらにその認識の中に「“客観的な事実”としてはどうやら存在していたことが無い(可能性が非常に高い)誰かの発言や行動が加わっている」ということが多々あるケースがとても多い、そんな実感があります。
とは言え、これはあくまでも僕の観測範囲内の話なのでこれが世の中全体でそうなのかどうかは確認できていませんし、それを調査することも今のところはできませんので「これが一般論です」と言うつもりは毛頭ありませんし「全てのケースでこうであるはずだ」と考えているわけでもありません。
だけど、「全くの妄想話である」と考えているわけでもありません。
だから“そういう人”に出会い、仕事の中で話を聞かせてもらうタイミングがあった場合には、少しだけモードを切り替えた状態で話を聞かせてもらおうと取り組むことにしています。
どんな風に他責的なのか?
どういうところで消費者感覚が強く出てくるのか?
どんなことで被害者ポジションを取ろうとするのか?
例えば、普段はあまりしない“そんなポイント”を強く意識しながら話を聞くようにしてみたりすることもあったりします。
そして、そういうところが周囲にどんな影響をどんな風に与えているのか?その人の“強み”はどんなところにあってその強みは周囲にどんな影響をどんな風に与えているのか?なんてことまで聞けたら尚良しです。
そうやってたくさん話を聞かせてもらうことができると、場合によっては一緒に“未来”について考えて、建設的なことに取り組んでいけるようになる場合もあったりしますし、そうならなくても“他責的などの特徴”が職場にあまりマイナスの影響を与えなくなっていくような変化が起きる場合もあります。
そんな変化が起きていったりすると、なぜだか段々と“客観的な事実”を“客観的に”認識することができてきたりするのが不思議です。
もちろん、全てのケースで同じことが起きるわけではありませんが、そんな目を見張るような、驚くし嬉しくなるような、そんな変化が起きたりすることがあるのでいつだって誰に対しても“希望”の可能性はあるはずだって思いたくなってしまいます。
とは言え、いつだってその時々の“現実”を努めて冷静に、希望を交えず客観的に観察して認識していくことも必要なので“抱いていた希望”を切り離さないといけない場合もあったりしますが、そういう時は無理矢理にでも「今はそういうタイミングじゃなかっただけなのかもしれないな」と思うようにしています。
いつかきっとどこかの時点では“そういうタイミング”が来るのかもしれないという“希望”は忘れずにいよう、忘れずにいなければ。
もしかしたら、自分に向けてそうやって言い聞かせているだけなのかもしれませんが、それでも忘れずにいたいと思っています。未来にはきっと希望はあるはずだから。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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