見出し画像

当たり前の角度を変えて見てみたら

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

自分でもびっくりするくらい遅く起きてしまったんですが、それでもずっと眠気が取れなかったので、「このままじゃ一日寝て過ごしてしまう」という危機感があったので、思い切って午前中にその辺を散歩する事にしました。

子どもも一緒に行くというので、目的地を少し離れた公園に設定して、そこで売っているアイスクリームを食べるというミッションも設定し、のんびり歩いて行くことにしました。
あそこまで行くとしたら恐らく30分以上は歩くことになるだろうと想像したら、なんとなく、もう2年くらい履く機会の無かったブーツを履いていこうと思い立ちました。

何でかと言われてもそこに大きな理由はありませんが、普段よりも歩くのであれば、ここしばらく履く機会のなかったブーツを再び足に慣らすのに最適なんじゃないかなと思ったからかもしれません。

そう思って、保管場所から引っ張り出してきてブラシをかけていたら、段々と散歩に対しての“やる気”の様なモノが内側から湧いてくるのを感じました。

「よし、行くぞ」

そんな燃える気持ちを胸に、本当に久しぶりにブーツに足を通して紐を縛っていると、さっきの“やる気”が轟々と音をたてて燃えてきたような気持ちがします。

「この感じ、懐かしいなあ」と感慨を覚えつつも、これから始まる少々ながめのウォーキングが楽しみになってきました。

とは言え、実際の子どものとの散歩は、そんなにガシガシ歩くわけでもなく、どちらかと言えばタラタラ歩くような感じです。途中で何か目に付くモノがあれば立ち止まったり、時には勝手に走り出してまた走って戻ってきたり、あっちへ飛び跳ねこっちへ飛び跳ねして子どもはかなり無駄な動きをしながら進みますが、僕はただただタラタラ歩くだけです。なので体感できる程の疲れは感じずに進めます。気候もちょうど良いので、暑くなりすぎる事も、寒すぎて行きたくないと思うことも無く、ただただゆっくり散歩をするのにとても適していると感じます。

そして、久しぶりに履くブーツがとても良い。
高度な技術で作り込まれたブーツの形状が、歩くのにとても適していて、久々に履くのにとても履きやすいし、歩きやすいしで、この位の距離を歩く事が多いならこれからはいつも履いていこうと思えてきました。

もちろん、休みの日に履くことの多いスニーカーは当然歩きやすいし走りやすいし履きやすいので気軽に履けるために使用頻度が多くなって、段々と履くのに手間がかかるブーツからは遠ざかっちゃうのかもしれません。

スニーカーは本当に軽いし柔らかいし、歩くとか走るとかの運動をする際に、履いている事が気になるなんて事は無くて、その存在感を感じないのに、履いている物にサポートされている感はあるというような不思議なツールであるのをあらためて思い返す事が出来ました。

というのも、ブーツで歩くと適度な重さがあって、適度な固さがあって、適度な高さがあって、何というか「今、自分はこのブーツを履いて歩いているよ」という実感のようなモノをとても感じる事ができたんです。ブーツという物の存在感と一緒に、歩くという行動の実感といいますか、大袈裟に言うならば、「一歩一歩を踏みしめている実感」という感じかもしれません。そして、今書いていて思ったのは、これって全然大袈裟じゃなくて、文字通りの、一歩一歩の実感だったのを今確信しました。

一歩を出す時の足に感じる重さ、一歩を着地した時の踵に感じる衝撃と振動、一歩を踏みしめた時の分厚い底でしっかりサポートされている安心感、一歩を後ろに蹴り出す際に感じる靴底の反りによる蹴り出しのサポート、などの実感を、一歩毎に感じながら前進していく感じと、これらによって“歩く”という行動が楽しくなってくるこの感じ。

先日、車が壊れて「歩かざるを得ない」状態に陥ってから、考えると話に“歩く”という事について感じて考える機会が多かったからかもしれませんが、革靴とスニーカーとブーツといういわゆる“靴”という物でも、その種類によって作りも違えば用途も目的も違うんだなあというのを、歩くという体験を通してあらためて体感して考えて知る事が出来たような気がしています。

“歩く”という動作のパフォーマンスを高めるスニーカーというツールがあれば、“歩く”という動作をサポートするための革靴というツールがあれば、“歩く”という行動を実感してエンターテインメントとして楽しむためのブーツというツールもある。

もちろんこれは今の僕の解釈なので、作り手側の考え方とは全然違う可能性の方が高いとは思うんですが、実際に使ってきたうえで、また改めて味わってみたうえでの今の解釈としてこれはこれでありなのかなと思っています。

いつもしている“歩く”という事すらも、こうやって履く物を変えたらまた見えてくる物も変わったりする事があるので、もちろん歩き方を変えたり、呼吸を変えたり、姿勢を変えたり、その他様々なアプローチをするだけでもまた見えてくるモノは大きく変わってくるんだろうと想像されます。

ただ“歩く”だけの事でも、アプローチを変えると楽しくもなるし辛くもなるし苦しくもなるわけなので、これはきっと他の行動でも当然こういう事が起きるんだろうなとも感じています。

という事は、朝あれだけ遅く起きて、昼寝もたくさんしてしまったけれども、これから夜寝るにあたってアプローチを変えればまたもやぐっすり眠れるかもしれないという可能性もあるのかもしれません。早速試してみようと思います。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


#ビジネス #仕事 #群馬 #高崎 #対話 #組織開発 #人材開発 #外部メンター #主役から主人公へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?