見出し画像

同じモノも区切るだけで別モノに

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021』を映画館に観に行ってきました。

この映画は、僕がまだ子どもだった頃に、『大長編ドラえもん』としてコロコロコミックにも掲載されて、当時映画にもなっている作品のリメイクなので、話の筋は知っているし結末も知っているものでしたが、とても楽しみにして映画館に行ってきました。

ドラえもんの映画は、先日もテレビの地上波で『映画ドラえもん のび太の新恐竜』が放送されましたが、映画作品の全てをテレビで放送してくれるわけではありませんでした。

テレビで放送されたモノを観ていると、映画館で観た時と比べて、ところどころカットされていて、特にエンディングにかかる部分がまるまるカットされていたりしたので、やっぱり映画作品として映画館で観るか、レンタル作品を借りて観るかしないと、なかなか「作品そのもの」として味わうのとは別の味わいになってしまうんだなあとあらためて感じました。

正直、映画で観た作品が好きだった僕としては、「味わいが変わってしまってまるで別モノのような印象」すらも受けたわけですが、当然ですが“話のスジ”は全く同じですし、“話の内容”もほとんど同じですし、実際に作品の一部分をカットして放送しているだけなので“全く同じもの”なのは間違いないはずですが、映画館で観て、地上波放送でも観た僕としては、“全く別のもの”と感じた事も間違いありません。

とは言え、僕自身「映画ファン」だという自己認識もありませんし、映画を観に行くのも最近では年に1~2回程度なので、「映画作品は映画館で観てこそだ」という主張があるわけでもありません。時折、レンタルショップで借りてきて観る映画作品でも、「充分に堪能できた」と思う事がほとんどなので、地上波で観た時に感じた“全く別のもの”という感想は、「映画館で観たから」という事よりも「映画館で流れている作品の内容」との違いについて感じているのが一番大きいんだろうなと思うんです。

と、ここまで書いていながら、途中までボンヤリと思っていたのは「出来上がった映画という作品を、地上波で流すために部分的にカットをするという“再編集”とも呼べる作業によって別物と感じているんじゃないか?」という仮説でした。

でも、ここまで書いてきて気が付いたのは、“再編集”という作業の影響よりももっと大きな影響がありそうな部分でした。それが「CM」です。

考えてみれば当たり前なんですが、映画館で観るのもレンタルした作品を観るのも、途中でCMが入る事はありません。映画館もDVDやブルーレイも、作品の前か後にCMが入っています。だけど、テレビ放送は作品の途中途中でブツッと切れてCMが入ります。

当然と言えば当然ですし、「無料で視聴できる」という仕組み上仕方無いモノなのでそこに何かイチャモンをつけたいわけでは無くて、「ただ、そんな仕組みの違いによって、同じ映画作品でも“全く別のモノ”と感じるという事に、今更ながらに気が付いた」という事が言いたかったんです。

もちろん、「わざわざ映画館で高いお金を払って映画を観なくても、自宅に居ながら寝転がったまま無料で観れるテレビの方がいいなあ」と感じる事もあるわけです。何しろ、“全く同じ作品”がタダで観れるわけですから。同じ作品、同じ話のスジ、同じ結末を見て知るにあたって、映画館に行って時間とお金をかけて観るよりも、テレビの地上波放送の方が“コスパが良い”のは間違いありません。

僕が、今日映画館で観てきた『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021』も、自分が子どもの頃に漫画で読んで映画も観た(はず)なので、同じ作品を観ていますし、話のスジも知っていますし、結末も知っています。

だけど、「映画館で観られて良かった」と感じています。

これは、今回の『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021』だけじゃなくて、これまでに映画館で観てきた『映画ドラえもんシリーズ』全てに感じています。

例え、昔も観た作品だから“話のスジ”を知っていたとしても、例え原作を読んでいて“結末を知っている”としても、映画館(やレンタルして)観ることによって、合間合間をぶつ切りにしてCMを差し込まれる事の無い状態で観ることが出来て、「話の中に没入する感覚」をぶった切られる事が無い状態で最後まで観ることができる。

これが、その作品を「作品そのものとして味わう」という事に繋がる最大の方法なんじゃないかなと。

そして、この「それそのものとして味わう」というのは、例えばゲームをしたり、漫画を読んだり、本を読んだり、セミナーなどで学んだり、そんな“世界観への没入”が重要なモノを体験する時には、本当に重要な事なんだろうなと、映画館で『ドラえもん』を観ていた今、これまでには考えてこなかったレベルで考えています。

「全体の流れと内容を情報や知識として伝えられればOK」なモノもあるかもしれませんが、“それ”がどういう意図で作られてどういう意味や価値を持っているのか?

それらを全部、「それそのものとして味わえる状態」を提供するというのも、提供する側にとっては考えなければいけない大事な事なんじゃないだろうか。そんな事を考えています。

今回の作品は、流行病の影響で公開が1年遅くなりましたが、それだけ待って高まった期待にもかかわらず、しっかりと面白い作品で大満足で充分に期待に応えてくれるのが、ドラえもん作品の凄いところです。

今回もそうですが、毎回、映画館に観に行く度に『映画ドラえもんシリーズ』は、“何かしら”の学びや気付きを与えてくれます。

今から、来春公開の新しい『映画ドラえもんシリーズ』が一体どんな作品になるのか、今から楽しみでたまりません。必ずまた、映画館に観に行きたいと思っていますし、入場時にいつも特典として配布される“おまけ”もとても楽しみです。

これからも、毎年『映画ドラえもんシリーズ』をしっかり味わうことを、僕の中の“春の訪れ”と位置づけて、観た後でどんな事を感じて考えるのかを自分で楽しみにしておきたいと思います。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

#ビジネス #仕事 #群馬 #高崎 #対話 #組織開発 #人材開発 #外部メンター #主役から主人公へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?