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携えてるのは諸刃の剣

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

組織開発で他社にかかわらせてもらう時に、経営者と従業員に必ずと言っていいほどする質問があります。

「あなたは、どうしたいですか?」

外部メンターで1on1で話を聴かせてもらったり、チームで対話をしていたりすると、どうしても“現状見えているダメなところの話”や“過去に嫌な思いをした話”などにずっと焦点が当たってしまう事が多くなります。

とは言え、「言っておかないと気が済まない」という気持ちもよくわかりますし、そういう愚痴めいた話の中に課題が含まれているというのも本当の話なのでとても重要な話でもあります。ただ、組織開発という“未来を創るための取り組み”をしていこうという状況の中で、“変えることのできない過去にあったかもしれない出来事”についての話を聴くこと“だけ”に時間を費やすのもあまり建設的ではありません。

これは、“あるある”話ではありますが、毎回毎回、話をする度に同じような“過去にあったかもしれない出来事”を繰り返して、「その話を踏まえたうえで未来の話をしましょう」と促しても「いや、でも、あの時○○のヤツがこういう事をしたんだよ」と話を過去に戻そうとする人ほど、組織開発の取り組みについて「結局、何をやっても何も変わらないじゃないか」という事を言いがちです。

そういう時に、冒頭の問いを投げかけます。

「あなたは、どうしたいですか?」

もちろん、この言葉通りの“問い”を投げかけて考えて話しをしてくれる人もいれば、この言葉通りの“問い”だけでなくその人の状況やそれまでに重ねてきた話の中から更に“解説”を加えることもたくさんありますが、“問い”の基盤は変わりません。

「あなたは、これまでの“過去”と“今”の組織の状況を踏まえたうえで、どんな“未来”を創りたいですか?そして、そのためにどんな“行動”をしていきますか?その理由も併せて聴かせて下さい」

こんな“問い”を投げかけることによって、どんな話を聴かせて貰えるのか?それによって、様々な事が見えてくる。僕はそう考えています。

もちろん、それぞれの企業によって、それぞれの組織によって、それぞれの人によって、細かい話の内容が違うのは当然です。でも、大枠では、この“問い”に対して出てくる話はそれ程大きな分類はありません。極端な事を言えば、たったの2種類しか無いとも言えます。

“未来に向けた話”なのか“過去を向いた話”なのか、たったのこれだけです。

“未来に向けた話”は、文字通り、未来にベクトルが向いているのでそんな話が出てくれば「もうあまり心配はいらないかな」と考えています。何しろ、未来を考える事が出来ているんですから、一緒に未来を創っていける可能性は高いわけです。

でも、“過去を向いた話”だと「なかなか厳しいかもしれないな」と感じる事があります。時々あるのは、「あの時の事を、アイツに謝罪させたい」という話です。だけど、そもそもそれら“過去”の出来事が、あらゆる角度から検証した時に“全てが正しい事実”であるかどうかは誰にも分かりません。何しろ、ここまで話が拗れている時点で、既に“見解の相違”が組織の中で起きているのは紛れもない事実です。ここでわかるのは、必ず「お互いの“正しいこと”がズレている」というのがハッキリと存在しているという事だけです。

とは言え、外部から組織開発を行うために僕たちが関わらせて貰っているということは、「“過去に起きた出来事”を全て水に流しましょう」と言っているわけでもありません。

こんな時に、「“過去に起きた出来事”によって嫌な思いをした人達がいるという事実を踏まえて、これから“その出来事”と同じような事が起きない組織にするためには、何が必要なのか?そもそも“その出来事”は、なぜ誰かに嫌な思いをさせることになったのか?みんなで、そんな話をして各自の考えを出し合って、それを材料にして、これからの“未来”をみんなで一緒に創っていきましょう」という話を伝えます。

という話をした後の、ここから先も“組織”によって“人”によって、様々な意見が出てきますが、これも大きくざっくり切り分けると2種類に分かれます。

「みんなで話し合って決めるのいいね」と「トップの責任で決めて指示命令として下に降ろせばいい」という意見です。

どっちにしろ、それぞれ“良い点”と“悪い点”があるのは、パッと眺めただけでも分かるんじゃ無いかなと思います。もしイメージしずらいとしたら、世界中をザッと見渡した時に見えてくる国々がどんな体制で運営されているのかが参考になるんじゃないかなと思います。

1つは、「組織(社会)を形成しているそれぞれの人が意見を出し合って話し合いの上、制度や方向性を決めていき、良いことも悪いこともみんなで考えて対応して乗り越えていく組織(社会)」。つまり、“自由”と言われるモノがある代わりに、常にみんなが“考える”ことが必要な組織です。

もう1つは、「上(体制側)が全てを独断で決めて、従業員(人民)は上に対して意見をする事はできないが、従業員(人民)の生活はトップ(体制側)の庇護下に置かれ、全て上(体制側)に従う組織(社会)」。つまり、“上の庇護”がある代わりに、みんなの意見は必要なく指示命令に従うことだけが必要な組織です(もちろん、「なにか意見を出して」とか「自由に考えて」も従うべき指示命令ということになります)。

さて、どちらがいいのか。

これを決めるのは、外部メンターをしている僕ではありませんし、外部から組織開発で関わらせてもらっている僕たちではありません。

これを決めるのは、その企業の経営者の方かもしれませんし、経営者を含めた“組織”を構成している方々なのかもしれません。

でも、ここには、動かしがたい明確な“事実”が2つあるんです。

1つは、「プロタゴワークスが他社の“この状態”に遭遇しているという事は、“外部”に対してお金を払って“組織開発”をしたいと経営者が考えている」という事実。

もう1つは、「プロタゴワークスは、“独裁制を布く”ことを望んでいる経営者の方に対しては、力になれる事がほとんどない」という事実。

ウチは“対話の会社”です。対話は、独裁制とは相性がよくありません。

「対話は他者の事をもっと知りたい」「お互いにもっと理解したい」というところからスタートしていると僕は考えています。

だからこそ、ウチが取り組む対話イベントや企業内で対話を実践する時には、「わかり合えないをわかり合う」ということを掲げています。

「我を他者に押しつける」のはウチが最も望まない状態ですので、ウチが対価をいただいて組織開発や外部メンバーなどを実施しているということは、少なくとも、ウチが関わらせて貰っている以上はスタート時点では、つまり、経営者の考え方としては“独裁制”を望んではいない。これが明確になっているという事です。

そこから、もしも、ありとあらゆる従業員が“独裁制”を望んだとしたら、そっち側にシフトしていくこともあるのかもしれません。ただ、僕は“その体制”によって組織が良くなる事は有り得ないというのを確信していますし、そもそも“その体制”にするためには対話も必要無いでしょうからウチのサポートは必要ありませんし、もちろん、今のところそんな実績もありません。

と、なってくると、「トップの責任で決めて下に指示命令として降ろせばいい」と考えている人がいるとしたら、「なぜ、そう考えるんですか?」という質問を皮切りに、そう考える人の“本当の理由”を聴かせて貰う必要が出てきます(トップは「そういう体制にしたくない」から僕たちが関わらせて貰うことになっているという前提がありますから)。

だから、冒頭の質問が全ての始まりのキッカケになるくらい重要な“問い”になるわけです。

「あなたは、どうしたいですか?」

これだけパワフルな“問い”ですから、この“問い”を発する際には、自分自身がこれに対して答えられるモノが無いと使いこなす事は難しいのは言うまでもありません。

「俺は、どうしたいんだ?」

いつだって、この“問い”を自分に向け続けて考えて続けていなければ、他者に投げかける資格があるはずがないですから。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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