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自分の事なのに思い通りになりません

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

一日の終わりに寝床に横たわった時、「リラックスする」って難しいなあと思うことがよくあるんです。

横になった状態で、自分の体の頭のてっぺんから爪先まで意識を向けてじっくり観察してみると、確かにリラックスして緩んでる箇所もあるんですが、必ずどこかに力が入っている事に気が付きます。そもそもどうやってその箇所の力を抜いたら良いのかわからないので軽く動かしてみようとすると別の箇所に力が入ったりして、自分の意思で狙った箇所の力を抜いて全身をリラックスさせるのって難しいなあと思ったりして、体を休める難しさを感じることがよかあります。

こんな風に意識してやってみたことで、普段から口に出して言ってしまっている「リラックスする」とか「リラックスしよう」って言葉が、実はとても難しいことを自分や他人に要求していたんじゃないかと思っています。

一日の終わりに、『ただ寝るためだけに横になった状態=何もせずにリラックスするためだけの唯一の時間』なはずなのに、その時にすら全身をリラックスするという意識的に自分の体から力を抜くってことですらも出来ないんだから、日常の中で何かを成し遂げる事を目的に行動をしている最中に、その目的の為には不必要な箇所の力を抜いて余計な力みを取り除きたいというリラックスが必要な場面で「よしリラックスしよう」とか、ましてや他人に対して「リラックスしていこう」なんて声をかけていたんだというこの事実。
自分だけに向けていたならいざ知らず、他人に対して己が如何に無茶なことを口に出していたのかという反省と申し訳なさを痛感せずにはいられません。

まあ、こうやって反省出来るところは自分の良いところだと自認もしているんですけど、やっぱり他人に求める前にまずは自分がリラックスできるようにならなけれいけないなあという使命感のようなものを感じている今日この頃です。

とは言え、キングオブヒマ人の称号を持つ僕としても、さすがにこんな事をいつもいつも考えているわけではありません。もちろん、こんな事を書いているくらいなので、人よりは「こんな事」を考える機会がだいぶ多いのは紛れもない事実なんですが、寝床に横たわって余計な事を考える間もなく寝てしまっていることも多々あります。そんな時は恐らく、リラックスできているんじゃないかなと思いますし、そもそも、寝返りっていうものが体のどこかがリラックスできていない状態の偏りを分散させるためにしている行動なんじゃないかなあと思うんです。つまり、寝ている間に(ある程度は)自然に調っているんじゃないかなと。だからそこまで気にしなくてもそれほど日常的に不都合は感じないようになってるのかもしれません。

そうだとしても、やっぱり自分の意思で体を緩める事ができるようになれば、体のリラックス度は上がって、今よりも体が楽になるのかもしれない。そこに希望を見いだしています。
なので、寝床に入ったときは、なるべく自分の体の全身に意識を巡らせてみたりとか、いわゆる呼吸だけに意識を向けてみたりとか、そんな事をやったりしています。何しろ、基本的には一歩も動かずただ横になってるだけで出来る事なので苦労はゼロに近いですから。
もちろん、なかなか「リラックスする」がうまく出来ている感じは手に入らないですが、それでも徐々にではありますが、自分の体の隅々まで意識をして観ている感覚が広がっていたりとか、呼吸だけに意識を向けられる時間が長くなったりとかは出来ているような気がしないでもないので、これからも続けていこうと思っています。

リラックスを意識して出来るようになるってことは、自分の状態を客観的にとらえてコントロール出来るようになるって事だから、そうなったら今よりも生きやすくなるんだろうなあという可能性を感じて楽しくなってきます。

ただ、この事を忘れて布団に入るなり即寝てしまう日がよくあるので、忘れずに毎日寝る時にやるというセルフコントロールが専らの課題ではありますが。





あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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